七十五話 ヤミノルーン
異形タウロス。
別名、『騙し屋』。
名前の由来は奴の狩り方にある。霧や闇夜など、視界の悪い環境で、体から伸びた無数の触手を使い狩り対象……主に人間だな。触手を人間の形にしておびきだし、油断したところを、ぱくり。
というわけだ。
タウロスの外見は白い牛に、あちらこちらから気色悪い茶色の触手が生え出た感じ、ってとこか。
あんな気持悪いのを好き好んで食う輩がいるってもんだから、世の中解らないもんだ。世界的な珍味らしいが、俺ならいくら金を詰まれても食ったりしないね。
以前、ドルイドの大将に食わされかけたが……あのおっさん、話が長い上にゲテモノ好きの変人だからなあ。
一言アルちゃんに注意しとけばよかったかも。
まあ、今そんなことは問題じゃない。
霧の中から出たヤツは、触手をしならせこちらに向ってくる。赤い眼が光ると、触手が元気よく逆立った。
俺も食うつもりだ。
「お代わりがまだ欲しいってか? なかなかグルメだねえ、お前」
タウロスが吼える。それこそ普通の牛みたいに、モーモー言ってくれるならまだかわいい。が、実際はそんなかわいらしいもんじゃない。
とにかく、こいつは始末しておかないとな。このまま放置しておけば、自軍に被害が出るかもしれないし。
うまいことシャナールの連中を襲ってくれれば儲けモンだが、マイナス要因はこの場で取り除く。なにより、ただでは帰してくれそうにない。
……やるか。
さて、それじゃまずはご挨拶だ。
風のボウガンで狙い撃つ。正直、近寄りたくねえ。
なにより、あの触手は強力な武器になる。人間の肉を簡単に貫く鋭さと、柔軟性。接近戦はごめんこうむりたい。理由はこれだけじゃないが。
狙いを付けて頭部に3連射。だが、ヤツは触手を盾にしてそれを防ぐ。
おいおい、マジかよ。
「うお!?」
舌打ちする間もなく、お返しとばかりに奴の体から触手が伸びる。その数、8。
バックステップしてかわすが、それでは終わらない。触手は変幻自在の動きを見せ、再び俺を目指してくる。
石のハルバードを横薙ぎして、触手を切り落とす。触手は地面に落ちると動きを止める。
これで触手は封じた。と安心するのが早い。すぐに本体からお代わりが出てきて、溜め息と同時にうんざりする。
触手はいくらでも再生するのだ。
仕方が無い。接近戦へと持ち込むしかないか。
こいつ程度の相手に、『腕』を……本気を出すまでもない。
俺は石のハルバードを構え、駆ける。
津波の様に迫る触手。ハルバードで切り払いつつ、前進。
やがて本体に迫る。
――これが嫌なんだよ。
突然俺は貫かれた。それは物理的にではない。鼻を突き抜ける死の香り。
タウロスのひどい体臭が、接近すればするほど嫌でも鼻につく。しかし、止まれない。
触手が再生する前に、ヤツの首を切り落とす!
グボオという、不吉な死神の声。タウロスがうなり、俺に向ってくる。
俺は間合いに入ったのを確認すると、ハルバードを頭上から振り下ろす。
頭部に命中。手ごたえはあった。しかし――。
額から赤い飛沫を上げ、タウロスはのけ反るがまだ生きている。そこを間髪いれず風のボウガンで追い打ちをかけ、脳天をぶち抜く。
「終わったか……」
頭部を失い、タウロスは絶命した。
さて、と。
事件の元凶は始末した。あとは……墓でも作ってやるか。部下だった者達。敵だった者達。死んだら敵も味方もないからな。
『やあ。元ルーンナイト第三席。ルヴェルド・ジーン』
「あ……?」
不意に声がした。嘲笑うような、くぐもった声が。
声のしたほうを振り向いて、驚く。
「てめえは……」
その姿を認めたとき、目の前の光景が現実なのか、それとも夢なのか。まるで頭の中にもやがかかったように朦朧とする。
会いたかった。ずっと探していた。
『お久しぶりぃ』
赤いローブと、黄金に輝く左手。禍々しく歪んだ口元。そして……。
フィーナのカタキ。
「黄金の、ヴァン、ブレイス……!!」
『ギヒヒヒヒヒヒ』
「久しぶりだな、このクソ野郎。アルちゃんに任せたつもりだったが……俺の前に現れたんだ。お前は俺が殺す」
アルちゃんの分も、俺が。
不気味に笑い、ただ立ち尽くす黄金のヴァンブレイス。
俺は静かに息をして、気持を落ち着かせた。
「お前のせいで俺は色々と失った。家族も、未来も、愛する人も、部下も……この右手もな」
ゆっくりと瞳を閉じ、かけがえのない日々を思い起こす。そして、俺がやらなければならないことを再確認すると、目を開けた。
「失ったモノはでかい。けど」
意を決する。そして、右腕に手をかける。
「代りに手に入れたモノもある。でかすぎる代償だけどな……!」
義手を外し、放り捨てると意識を集中する。
燃え盛る炎をイメージして、そいつに首輪をつけて服従させる。
途端、右手が燃えるように熱くなった。いや、実際燃えてるんだ。
右手を排し、ルーンによる炎の義手を作る。肘から先は炎のカタマリだ。普通なら火だるまだが、水のルーンを同時に使用して、体に影響しないようコントロールしている。
この時点で火と水の二重詠唱。さらにそこに風を込めて三重詠唱の出来上がりだ。
波打つ炎。肘から先は地獄の業火と化す。
これが、俺の『腕』。失ったモノの代償。
あるいは……単なる憎しみの炎、かもな。
『へええ』
「死ね」
シンプルに一言。それ以上はいらない。
右手を前に出して、解き放つ。
右手は一筋の獄炎となって、一直線に黄金のヴァンブレイスを直撃した。あっけないものだ。
炎がヤツの体全体を包み込み、フードを燃やす。その下から現れた顔は闇。
闇の下に口や鼻がくっ付いている、なんとも不可解で奇妙な顔。
アルちゃんの言ったとおりだった。……こいつは人間じゃない。
しかし、だとしたら……こいつは何だ?
まあ、いい。そんなことはどうでもいい。
ヤツは炎にまみれ動きを止めている。今がチャンス。
直接あの体に右手を叩き込んでやる。それで終わるんだ。俺の復讐が。
アルちゃんも救われるだろう。
フィーナだって。
これ以上語る言葉などない。黄金のヴァンブレイスに接近すると、右手を顔面に、闇へと向けて思い切りぶち込んだ――。
途端。
闇は黒い霧となって、あたりに拡散し……俺の炎の義手は形を失い、強制的に解除される。
正直、何が起こったのか解らなかった。
「……あんたは」
目の前には、黄金のヴァンブレイス。しかし、顔にかかっていた闇はない。
「どうして」
闇の下には、ちゃんと人間の顔があった。
「何で」
その顔がにやりと笑う。
再びヤツの体に集まってくる闇。すぐに顔はそれに覆われて元に戻る。
だが、あれはどう見ても……だが、あの人は……いや、違うはずだ。違う。
『お前の心の闇は素晴らしい。それが一時的に私の闇のルーンを上回り、この結果に繋がった』
闇のルーン……何だそれは? 聞いたことが無い。
いや、それよりも、こいつだ。
確かめなければいけない。こいつが何者か。
俺は、適度な距離を取ると、再び意識を集中し、『腕』を形作った。