七十四話 タウロス
地獄ってヤツは、間違いなくこの世に存在する。
生きてる内に拝めるのは、ありがたいもんじゃないが。
どうせ拝むのなら、かわいい女の子がいっぱいいる天国を希望するね。俺なら。
「現実ってのは厳しいねえ」
霧が立ち込める森。その中に転がる無数の死体。そのどれもが、無残に食いちぎられていた。血の臭いと脂の腐った臭い……それら死の臭いが、霧と共に充満している。
「文字通り死人に口無し……か」
俺、ルヴェルド・ジーンは、主戦場から遠く離れた森で、1人調査をしていた。
エルドアとシャナールの戦争が始まって、3週間。
これまで大小含め何度か戦闘があったものの、ここ最近は互いににらみ合う形になって、膠着状態が続いている。そんな中、部隊の中に一つの噂が広がった。
それは、あるエリアに送られた部隊が、一度も帰ってこないというものだ。それも、一度や二度ではなく、三度目に派遣された部隊も……全ての部隊が帰ってこない。
兵の間では、帰らずの森だの、死んだシャナール兵の呪いだのと語られて、士気が下がっていた。
バカバカしい。
何であれ、原因があるはずだ。敵の罠かもしれない。そう睨んだ俺は、単身調査に乗り出した。
無論、部下に止められた。しかし、もうすでに3つの部隊が犠牲になっている。人的被害をこれ以上出さないためにも、少数かつ、突出した戦力でことに当たるべきだ。それにこいつが解決すれば兵の士気も元に戻る。いや、上がるかもしれない。
なにより、障害になりそうな事件は、早い内に排除しておいたほうがいいしな。
部隊の事はベルゼリオに任せればいい。
「異形……だな。まったく、デートの相手はシャナールだけでいいのによ。ご迷惑な横恋慕だこと」
死体の状況から見て、人間の手によるものでは無い事はあきらかだった。
ここで起こったのは、戦闘ではなく、食事。
地形やら気候。それに、この行儀の悪さ。
「タウロス、か。それもかなりの大物だな」
「貴様! こんな所で何をしている!?」
「っと、想い人のほうに出会っちまったか」
前方を見ると、青い鎧を着た兵士が5人。剣を抜いてゆっくりと俺に近づいてきた。
シャナール兵だ。
すると、隊長格と思しき男が死体を発見して、口の端を曲げた。
「エルドア猿め。食糧代わりに自軍の兵を食い殺しおったわ! これは傑作よ! 蛮族らしいわ、はははは!!」
「猿め! 恥を知るがいい!」
シャナール人はこういう奴らばっかりだ。自国以外の人間は猿かブタだと思い込んでやがる。
「貴様らのような猿は、我々が管理する必要がある。投降せよ! そうすれば死ぬまで気持のいい拷問がお前を待っているぞ、ひひひひ」
隊長格の男は、たくわえられたヒゲをさすり、黄色い歯を露にする。他の4人も同様俺を嘲笑っていた。
まったく。
「あー、そうだなあ。かわいい女の子いる? 拷問の場所は指定できる? 下半身とかさ」
にやけながらそう言ってやった。
すると、隊長さんの額にみるみる青筋が浮び、ご立腹の様子。まあ、当然か。
「この猿め! 立場が解っていないようだな? おい、少し痛め付けてやれ、シャナール人の偉大さを、愚かなエルドア猿に叩き込んでやるのだ!」
「はっ!! シャナールの栄光を、この胸に!」
向ってくる。
4人のシャナール兵。森の中を滑るように、最小の動きかつ、高速で。
「なかなかテクニシャンじゃないの」
兵士一人一人の錬度は非常に高い。一挙手一投足全てがそれを物語る。先ほどまで見せていた薄ら笑いも、もうどこかに飛んでいた。
まったく、優秀な殺人兵器だ。
「死ね、エルドア猿!」
兵士の1人が剣を振りかざし、右から回り込んで俺を狙ってきた。
意識を集中する。大地をえぐるように右手をめりこませ、俺の相棒をたぐりよせる。
ルーンの武器化は俺の十八番。石のハルバードを形成するとすぐさま右に振って、兵士その1の剣を受け止めた。
「はい、ご苦労さん」
「ぬ!? 貴様……ルーンを?」
今度は左からやってくる兵士その2。
意識を集中する。風の妖精を抱き寄せるように、優しく左手で空気を愛撫してやる。
風のボウガンを形成し、左に向けて連射。兵士その2の左胸を射抜き、戦闘不能にする。
……後で暇があれば、墓くらい作ってやるよ。
「よ、よくも、エルガーを! 殺してやるぞおおおおおおおお!! 猿がぁ!」
その3、だな。その3はその2と親友だったのか、顔を狂気に歪めて正面からやってきた。
激情にかられて、動きが単調になる。……アマチュアめ。
しかし、未だ右手はその1の剣を受け止めたままなので、動かすことができない。
風のボウガンは、一度に連射可能だが、再射撃までに少し時間がかかる。
「まったく、いいオトコは辛いぜ。戦場でこんなに野郎にモテちまうんだからよ! 嬉しくねーけどさ」
向ってくるその3。
左足を軸にして、思い切り右足を蹴り上げ、顔面に命中させる。その3は悲鳴を上げて盛大に吹き飛んだ。
「ひあ!?」
足の裏に嫌な感触がこびりついている。鼻でも折っちまったかな?
「ひ、ふうふう。きじゃまぁ! ごろして、やる」
なおも立ち上がるその3。顔面はすでに血の海って感じだ。足元には吐血した跡があり、歯が折れたらしい。
口内の出血に加え、前歯の欠如に歯茎の損傷。
飯がうまく食えるってのは、幸せだよな。
「半端にしちまって悪かったな。今度はちゃんと心臓貫いて――」
「ひぎゃああああああああああああああ!?」
俺のセリフが終わる前に。その3は下半身を失っていた。
いや、食われたんだ。
霧の中にいる、あいつに。
「クライス!? な、なんだあれは!」
俺のハルバードに切り込んでいたその1。彼は振り返ると、絶叫する。
「た、だずけて!」
「クライスーーーーー!!」
霧の中から無数の白い触手が伸びてクライス……もとい、兵士その3を絡みつけ、霧の中へご招待。
そして、奴の食事が始まった。
「隊長殿は? ルゲイルは? クライス! おい、どうした!」
「おい、おたく。死にたくなかったらここを離れろ」
「何だと!? エルドア猿の分際で! 貴様の指図など受けん!」
その1は俺の忠告を無視して、霧の方へと歩き出す。
「クライスか? 何だ、無事だったのか。驚かすなよ」
霧の向こうには、人の形をしたシルエットが浮かび上がっていた。
いや、あれは……。
「おい、よせ! そいつは疑似餌だ!」
「え?」
振り向いたその1は、クライス同様、白い触手に絡められ、霧の中へと消える。
絶叫。
生への執着と、食われる恐怖を孕んだ最後の声。
それが終わると、ヤツは霧の中から出てきた。
ようやくおでましか。
――タウロス。