今日からお姉ちゃん
急がなきゃ。
ただそれだけを思い、大地を蹴り付け、風を切るように、駆ける。
急がなきゃ。
ぬかるんだ地面も、石がごろごろしている川原も関係なく、走り抜ける。
急がなきゃ。
野良犬の尻尾を踏みつけても、川原でお昼寝をしていたおじいさんのお腹を蹴っても、止まれない。
急がなきゃ。
だって――私はもうすぐお姉ちゃんになるんだから。
ようやくたどり着いた我が家。門をくぐって、一目散に母のいる部屋へと向う。
もうすでに心臓はバクバク。一人で運動会した気分。立ってるのも辛い。
けど、もうすぐ会える。
弟か、妹に!
やっぱり、妹がいいな。うん、妹! 妹だ、絶対。
めいっぱい可愛がってあげるんだ。一緒にお茶したり、一緒にオシャレしたり、フィーナ姉さんみたいに威張ったり、レイナ姉さんみたいに意地悪な事言ったりしない、優しいお姉ちゃんになるんだ、私。
決意した。
うん。このドアを開ければ、私はもう末っ子じゃない。お姉ちゃんなんだ。よし……行くぞ!
「セレーナ! 一体どこをほっつき歩いていたの!」
「ちょ! ちょっとフィーナ姉さん! 何よ、急いで帰ってきたじゃない!」
いきなり長女フィーナが口から火を噴いた。って、もちろん火なんか噴かないけど。本当に口うるさくって困る。夜になったら寝顔に落書きしちゃおっと。今夜はどんなお化粧にしようかなあ。私が自信を持ってコーディネイトしてあげるね、フィーナ姉さん。
「セレーナ! 何よそのかっこう!? スカート破けてるじゃない……服も泥が付いて……汚い子ね!」
「だって、急いで帰ってきたんだもん! メーヨノクンショーよ!」
「何が名誉の勲章よ! だいたいあんたね、意味解って使ってるの!?」
「知らな~い」
「また知ったかぶりして! もう!」
今度は次女レイナの目がギロリと光った。きっと後10年もすれば、小じわがいっぱい増えるに違いない。でも、腹が立つなあ。後でこっそりレイナ姉さんのベッドにカエルでも入れちゃお。レイナ姉さん、泣き虫だもん。へへ、楽しみ。
「セレーナ」
「は、はい」
お父様が私を見る。もしかしたら、打たれるかもしれない。お父様にいたずらで報復したら、もっと打たれる。うう。痛いの嫌だ。
目をつむってその時を待った。でも、その時はいつまで経ってもこない。すると、肩に何かが乗って、恐る恐る目を開けてみる。
「今日からお前も姉だ。はしたないかっこうや、見苦しい行動をつつしみ、姉として手本となるよう心がけろ、いいな?」
「はい!」
お父様の顔はどこか優しくって、いつものような悪魔みたいな感じじゃなかった。きっと明日は空から岩山でも降ってくる。いや、そんなことよりも。
そうだ。
私はお姉ちゃんになるんだ。
再びそう決意を固めた時。
母の苦しそうな声。思わず耳を塞いでしまいそうになるくらい大きくて、痛そうな声。
それからしばらくして、もう一つ小さな声が聞こえてきた。
それは、産声。
「ファイナ! よくやった! おお……おお……ついに、ついに世継ぎが産まれたぞ! これでエイドスの家は安泰だ!」
父が母……ファイナに駆け寄り、手を強く握った。世継ぎ……って何だっけ?
フィーナ姉さんとレイナ姉さんは互いに抱きしめあって喜んでいる。
私は何がなんだか解らず、しばらくその場に立ち尽くした。
結局どっちなの? 生まれてきた赤ちゃんは女の子? 男の子?
使用人のばあやは、何度も出産に立ち会った経験があるとかで、母の側に仕えていた。ばあやは、私だけじゃなく、姉さん達の時も立ち会っていたらしい。
そのばあやが腕に抱いてる赤ちゃんが、私の弟か妹。
「セレーナお嬢様。よかったねえ。元気でかわいい弟ができて」
弟。そっか、男の子だったんだ、ちょっと残念。
「ほら、抱いてご覧? 自己紹介しなきゃね」
「え? え?」
半ば強引に、ばあやが私の腕に赤ちゃんを乗せる。
不思議な感触。そして、暖かい。でも、何だろう……この気持ち。
これが、この子が、私の弟なんだ……。こんなに小さいのに、息をしていて、心臓が動いている。そう、生きているんだ。
これが、私の……弟。
小さな手が何かを求めている。それがとても愛しくて、熱い気持が胸の奥からじんわりと染み出てきた。
「初めまして、セレーナお姉ちゃんだよっ! よろしくね」
生まれてきた赤ちゃんは、アルフレッドと名付けられた。
アルフレッド・エイドス。私のとってもかわいいかわいい弟。
私は末っ子を卒業し、この子のお姉ちゃんになるんだ。
うん。決めた!
そして、アルが産まれた日の夜。
お父様はお爺様に報告するため、エルディアに向って今はいない。お母様も、産後の調子が悪いのか、部屋にこもったまま。
アルは、ばあやが別の部屋で面倒を見ているので、食堂で食事をとっているのは、私達姉妹だけだった。
気分は最悪。だって、ピーマンの肉詰めと、ニンジンの角切りが入ったスープが出てきたから。
「アイク~。ピーマンやだ~。ニンジンもやだ~。ケーキ食べた~い。3食ケーキ! ケーキ出して~」
私は側に仕えていた執事のアイクに手招きして、ピーマンを突き出した。こんなの、人間の食べるモノじゃない。
「セレーナお嬢様。いけませんぞ。ピーマンとニンジンを食べなければ、素敵なレディーにはなれません」
また子供扱い。もう……私だって10歳。もっと大人として扱ってくれてもいいのに。
「それ、何度も聞いてるよ~私、素敵なレディーになんてならないからいいもん。カウフ流双剣術を習って、お爺様みたいなルーンナイトになるんだから! あ、そうだ。それならアイクが素敵なレディーになりなよ! ピーマンとニンジン食べてさ! スカートやドレスは私の貸してあげるから!」
「ア、アイクがスカート……プっ! アハハハハハ!」
レイナ姉さんが吹いた。一体何を想像したんだろうか。確かにアイクがスカートをはいたら面白いけど。
「セレーナお嬢様! いけません。レディーが剣術などと……。レイナお嬢様も、何ですか! お食事中に笑い出して……爺は悲しゅうございます」
「セレーナ。あなた、いつまで末っ子気分のままなの? あなたはエイドス家の三女であり、アルの姉なのよ? わがままを言っていられる時期はもう、終わったの。上に立つ者としての自覚を持ちなさい。これからはあなたも守る立場なんだから」
「は~い」
「こら、ちゃんと返事をしなさい!」
「うるさいなあ」
フィーナ姉さんが威張る。長女だからって、好き放題言って……私より2年先に生まれたからって……なんだか不公平だ。よ~し、今日のお化粧はよりセンセーショナルにしてやるぞ。覚えてろ、フィーナ姉さん。
「セレーナはほんっと子供よね~。ピーマンとニンジン食べれないって何? 世の中にはね、食べたくても食べられない人がいるのよ? あんたは自分の恵まれた環境が解ってなさすぎるわ」
「知ったような事言わないでよ」
「あたしはちゃんと知ってるのよ、知ったかぶりのあんたと違って。世界5大国家の主要都市を言えるの? 農業の種類を知ってるの? 言えないわよね、知らないわよね~。あんたの世界はこの家の自分の部屋だけだもん。でも、世界地図なら毎日描いてたわね。ベッドに。くやしかったら、自分で描いた世界地図で調べてみなさいな」
「う~……私、毎日おねしょなんかしてないもん! だいたいそれ、何年前の話よ!」
……悔しい。悔しい! もう、本気で怒った!! カエルの数を3倍にして、ベッドをカエル天国にしてやる。夜が楽しみね、レイナ姉さん。
「ごちそうさま!」
「ちょっと、セレーナ、どこへいくの!? レイナも言いすぎよ!」
イスから飛び降りて、一直線に外を目指す。
私はあんな風にはならない。あんな嫌なお姉ちゃんを持った私は不幸だけど、私みたいなお姉ちゃんを持ったアルはきっと幸せだ。
外に出て、カエルを3匹捕まえると、誰にも見つからないように足音を殺して、レイナ姉さんの部屋へ。
ベッドの中にそっと普段からお世話になっているお礼に、プレゼントを残していく。
これでよし。
レイナ姉さんの部屋から出てきたことがバレないよう、細心の注意を払って食堂に戻ると、そこには誰もいなかった。
テーブルの上の皿には、私が食べ残したピーマンとニンジンが残っている。
一仕事を終えて、お腹が空いてしまったのか、私のお腹がキュウと鳴った。辺りを見回すけど、他に食べれそうな物は無い。
……仕方が無い。あれでガマンしよう。
パクッと口の中に突っ込んでみる。目を閉じて、頑張って苦味に耐えて、必死になって戦ってみた。
「まずい!」
やっぱりダメ。なんとか一つは飲み込めたけど、これ以上は私の精神がもたない。まだ空腹感は消えないけど、朝までの辛抱だ。
世の中には、食べたくても食べられない人がいるんだと、レイナ姉さんが言っていたけど、なんとなくそれが理解できた。ちょっと偉くなった気分。でも、お腹が空いたし、まだちょっと腹が立っていた。
気分が沈んだけど、アルの顔を見れば、きっとすぐに治る。
そうだ。アルに会いにいこう。きっと私がいなくて、寂しがっているに違いない。
そうと決まれば、駆け足。
アルのいるお部屋まで走って到着。ドアの隙間から中を覗き込むと、ろうそくの光が漏れ出た。
『セレーナは本当に困った子ね』
『あの子ったら、本当いつまでも成長しないわ』
む。私の悪口だ。
『でも、あの子ももうお姉さんなんだから、いい加減甘えぐせは直すべきだわ』
『そうね。このままだと、アルがセレーナのマネしちゃって、わがままでイタズラ好きの暴れん坊になってしまいそう』
2人の姉さんは、私がいないのをいい事に、好き放題言っている。
『それじゃあ、レイナ。私、先に寝るわね』
『あ、私も寝る』
2人が部屋を出る気配を感じて、慌ててドアの死角に入り込んでやり過ごした。
なんとか見つからずに済んだので、アルのベッドまで行って、アルを見つめる。
「アル~。セレーナお姉ちゃんだよ~。元気にしてたかなあ?」
しかし、アルはまったく反応しない。寝ているから当然か。
その寝顔に見とれる。私はこれからこの子に何をしてあげれるのか。さっきの姉達の会話を思い出し、考えてみた。
でも……考えてみれば、私……何も取柄が無い。
フィーナ姉さんみたいに歌やダンスがうまくなければ、レイナ姉さんみたいに勉強ができるわけでもない。
強いて言うなら……フィーナ姉さんの小言をかわすのと、レイナ姉さんを効果的に泣かせること……くらい?
ダメだ。そんなんじゃ、ダメだ。
私はお姉ちゃんなんだ。アルのお手本になれるように、なんとかしなきゃ。
でも、どうしよう。
お姉ちゃんらしいって、何だろうか。
その時、また私のお腹がキュウと鳴った。ダメだ。やっぱり朝まで耐えれない。食堂に行って何かつまみ食いしよう。
「アル。またね」
アルに別れを告げて、再び食堂へ。
食堂を色々と探索するけど、食べれそうな物は何もみつからなかった。
そこに再び私の目に飛び込んできたのは、宿敵の姿。
……そうだ。これなら、アルのお手本になれる。
好き嫌いなく食べることができれば、それはいいお姉ちゃんのお手本だ。
今出来る事はこれしかないけど……うん、やってみよう。
私はナイフを手に取り、構える。宿敵を見事討ち果たし、姉としての威厳を備えるために。
「まず……ううん。おいし……やっぱりまず……でも……」
戦いは三日三晩続くものと思われた。けれど、勝負は一瞬で決着が着く。
「ううううううううううう」
発狂しそう。けれど、私は英雄ロイド・エイドスの孫娘。このくらいの苦難は乗り越えてみせる。
……。
……。
ふう。終わった。最後は意外とあっけないものね。
「セレーナお嬢様?」
「あ、アイク!?」
気が付くと、いつの間にか背後にアイクがいた。
「おや……そのお皿は……」
「こ、これくらい当然よ! だって、私はお姉ちゃんなんだから! アルが自慢できるような、優しいお姉ちゃんになるんだから、これくらい食べれて当然よ! 毎日、ピーマンとニンジンでもいいくらい!!」
本気にしないでね、アイク。実現したら私、家出しちゃうからね。
「左様でございますか、セレーナお嬢様。では、これからは毎日お嬢様だけピーマンとニンジンに致しましょう」
「え」
「もちろん、冗談でございますよ。ほほ」
たまにこの執事と来たら、本気でやったりするから怖い。お茶目なところがあっていいとは思うけど。
とにかく。これで私も一つ、成長したということだ。
そう考えると、なんだかイタズラするのもバカらしくなった。フィーナ姉さんの顔にお化粧するのはやめよう。
『いやあああああああああああああ! なにこれ、誰か、誰か助けて~~~~!』
屋敷を貫くほどの悲鳴。これは……レイナ姉さんか。あ。そういえば、カエル入れたんだった。
うん。黙ってたらバレないよね。
私はピーマンとニンジンを見事退治した武勇伝をアルに聞かせるため、食堂を出ると駆け出した。