七十話 タマシイノカガヤキ
不思議なものだ。そう思う。
1時間前まで互いに命を奪い合っていた者同士が、今1つのテーブルに着き、隣り合って同じ釜の飯を食っている。
僕たちは、似た者同士だったからかもしれない。
大切な者を奪われた者同士。復讐を誓った者同士。
解り合えれば……互いを理解し合えば、憎しみは雪のように溶け、清らかな川の流れを湛える。
それができたからこそ、似た者同士だったからこそ、僕とフィーザは新しい関係を築けたのかもしれない。
友達? フィーザはなんだか一方的な感情を抱いているようだが、僕は友達が1人できた。そう思うことにしている。
フィーザとの件は一応決着が着いたが、彼女はこれからどうするのだろうか。まあ、それを考えるのは後でもいい。
今一番の問題は目の前にあるのだから。
3人で屋敷の片づけを終えると、僕らは食堂に行き、ドルイドの手料理をごちそうになることになった。
食堂のテーブルには左から僕、メイド服を着たフィーザ、ロッテが座り、それと向かい合うようにして、ドルイドとエリスがいる。
フィーザはカーテン一枚のかっこうだったので、再びドルイドからメイド服を借りてそれを着ているのだ。
「私の趣味は料理でな。ハーケンの家の男は剣の扱いから料理まで、幼い頃に全て叩き込まれる。故にこの屋敷に使用人はいるが、料理に関しては誰にも任せてはいない。自分で食う物は自分で作る。働かざる者食うべからず。医食同源。日々鍛錬。騎士の上に立つ物はそれ以上の――」
長い。
すでにドルイドの作った料理が運ばれてから、もう軽く30分は経っている。
ロッテの言うとおり、ドルイドの話はクソが付くほど長い。
エリスはそれになれているのか、ドルイドの横でじっと動きを止めて静かに待っていた。
「であるから、我らが国エルドアには若い力が必要なのだ。お前達には期待しておる。しかし、若さとは力であり、同時に未熟さも併せ持つ諸刃の剣なのだ。経験せよ、若人よ。私も若い頃は――」
もうすぐ1時間くらい経ちそうだ。
皆こんな拷問みたいな長い話に良く耐えれているな。そう感心して隣を見た。
「んー、おっさんの手料理っていうから、どんなのが出てくるかビビってたけど、まあまあイケるじゃん。肉はもうちょい小さい方がオレ好みだな」
フィーザは口の周りにシチューをくっ付けて、がつがつと食べていた。
ロッテは、背筋をピンと立てたまま寝ている。すごく器用だ。
「あれはそう、私がロイド様の元で修行に明け暮れていた日々のこと。そのころ私もお前達と同じ14,5歳の少年であった。ただただ剣を振り、勉学に勤しむだけの毎日であったが、かけがえのない素晴らしき日々であった。そして、よく無茶をしたものよ。単身タウロス……牛のような姿の異形であるな。そのタウロスの巣へ挑み、命からがら逃げ延びてロイド様に助けられ……その後だったな。私が初めて殴られたのは――」
「おいおっさん。んな思い出話はどうでもいいんだけど、これのお代わりねーの?」
フィーザが恐ろしい。
ドルイドはしみじみと目をつむり、昔に浸っていたがフィーザの能天気なその一言に反応して、急に目を見開いた。
「うむ。すぐに代わりを用意しよう。む? アルフレッドよ、食が進んでおらんでないか! 娘を見習ってもっと食え。騎士は体が資本。食わねば戦はできん。それとも……私の料理が食べれないとでも?」
重い空気が食堂に立ち込める。一気に食欲が消えうせたが、ドルイドから放たれた怒気に押され、僕はスプーンを装備した。
赤く濁ったシチューは、どこか毒々しくて、お世辞にもうまそうとはいえなかった。しかし招かれた手前、手付かずでお暇するのは無礼だろう。
スプーンをシチューの中に突っ込むと、ぐにょりと嫌な感触がして手を止めそうになる。一体何が入っているのか。
「私の自信作だ。心してかかるがよい」
おそるおそるスプーンの中身を口に運ぶ。恐怖とおぞましさで頭は混乱しているが、それは瞬く間に感嘆へと変わった。
「おいしい!?」
「当然だ」
ドルイドの外見からは想像ができないが、本当に料理は得意らしい。驚いた。
いつの間にかロッテも起きて、何も言わず黙々とスプーンを口に運んでいる。
「おい赤毛。お前これいらねーのか? ならオレがもらうぜ」
フィーザが神速のごとき突きで、ロッテの肉をフォークで奪い去った。
「あ!? あんた、何するのよ! それは最後の楽しみに残しておいたのに!」
「はん。盗られる奴が悪いんだよ。悔しかったらオレから盗ってみるこった」
「あんた、全部食べ終わってから涼しい顔して言ってんじゃないわよ! あたしがこの世でもっとも嫌いなのは、楽しみを奪われることなのよ。……解ったわ。その腹かっさばいて、胃袋から引きずり出してやる!! あんたには軍法会議は必要ない。即刻死刑にしてやるわ!」
「あんだと? やんのか? あ?」
早くもロッテとフィーザは命がけのケンカを始める。ケンカするほど仲がいいのかもしれない、この2人。
しかし、また屋敷を壊して掃除なんてごめんだ。
「ロッテ、僕の分あげるから、抑えて抑えて」
「アルが……そう言うなら……命拾いしたわね、フィーザ」
そうロッテが呟いた瞬間、僕の皿から全ての肉が消えた。隣を見れば、フィーザがごっくんして、勝気な笑みを浮かべている。
「……へへ、ありがとよ、アルフレッド。今まで食った肉の中で最高にうまかったぜ、やっぱ愛は最高の調味料だな」
どこにも愛は無いと思うんだけども。フィーザが勝手に盗ったんだし。
「ななななな! それはアルの愛情よ!? アルの慈悲よ!? あんたはもう、許さない!」
一触即発。そんな四文字熟語がぴったりと似合う状況だった。
「やめい。代わりならばいくらでもある。肉もほれ、ごろごろと入っておるぞ」
ドルイドが指で合図すると、代わりのシチューがテーブルに運ばれてきて、フィーザはロッテではなく、シチューに襲い掛かった。
ロッテもまた肉ではなく、シチューに視線を戻し、フィーザを警戒しつつスプーンを閃かせる。
エリスは1人もくもくと食べ続けている。
僕はまだ一口も食べていないが、そんなにうまい肉なのだろうか? けど、何の肉なんだろう? 牛? 豚? 鶏?
いや、確か去り際にドルイドがビーフシチューと言っていたから、牛なんだろうけど……でも、なんだかひっかかる。
「ドルイド様。このシチューに入っている肉は一体なんなのでしょうか?」
ドルイドが迫力満点にニヤリと笑う。それを見て僕は背筋が震えた。
「よくぞ聞いた。アルフレッドよ、やはりお前はロイド様の孫だ。その目の付け所……天晴れである。特別に教えてやろう。実はそれこそが先の少年時代の私の話と繋がるのだ」
「え?」
「その肉は、異形タウロスの横隔膜である」
小さな金属音。それは、ロッテがスプーンを床に落とした音だった。
「うぷ。あたし……アレのハラミ食べてたの……う、やだ……」
「ロイド様はたいへんなグルメでな。よく私に修行の一環として、タウロスの討伐を命ぜられた。このタウロスという奴は、横隔膜以外はまるで食えたものでは無いが、横隔膜は至高の食材である。さらに、だ。隠し味に、ドミガルの――」
最後まで聞かずにロッテは口を押さえて食堂を出て行った。
ドミガルもタウロスも見た事が無い僕にとっては、特に何も感じない。黒毛和牛よりも柔らかくて味わい深い何ともいえないハーモニー。ロッテはどうして食べるのをやめてしまったんだろう?
まあ、いいか。
「んだよ、赤毛の奴。お嬢ちゃまだな。いらねーならオレがもらっちまうぞっと」
フィーザは意気揚々とフォークでロッテの深皿からタウロスの横隔膜……という、よくわからないけど、異形の肉を片っ端から平らげる。
「はー、食った食った。やべ、ちょっと食いすぎたかな」
リトとタメを張れるくらいフィーザの食欲も恐るべきものだった。
「さて、アルフレッド。ちょっと夜風にでもあたらねーか? 大丈夫だって、後からいきなりやったりしないからよ」
何をやるっていうんだ。
「不意を打つのは得意だが、お前相手にそんなことしないって」
まあ、いいか。今のフィーザは、本当に爪を丸めた猫のようだ。
「ああ、いいよ」
僕は席を立つと、フィーザの後に付いていった。
今にも降ってきそうな、満天の星空。つい2時間ほど前ここで起こった出来事が、まるでウソのように思えてくる。
再び庭に出た僕とフィーザは、無言のまましばらく歩いた。
「アルフレッド……お前は前世ってのを信じるか?」
「え?」
前世。
懐かしい響きの単語に思わず僕は驚いた。
「信じねーよな、フツウ。まあ、いいんだけどさ」
前を歩いていたフィーザは僕に振り返る。
「生まれる前の記憶がオレにはあるんだ。っていっても、けっこう飛び飛びで、ほとんどかすれてて思い出せねーンだけど。ま、オレのことはどーでもいいや。赤毛もお前も……傷だらけなんだな」
このやりとりは以前ロッテともしたような記憶がある。傷だらけ……魂のことか。
「魂が、かい?」
「へえ、お前魂の輝きが見えるのか? 女にしか見えないと思ってたんだけど……男でも見えるのか」
「いや、僕は見た事がないよ。ロッテと初めて会った時にそう言われたんだ」
「赤毛にね……じゃあ、やっぱ女にしか見えねーもんなのかね」
魂の輝きか。それが見えるのは、フィーザ曰く女性のみ。
そこで、ふと思い出す。8年前初めて対峙したときの、黄金のヴァンブレイスが放った一言を。
『お前は生かしてやる。お前の傷だらけの魂なら私を殺せるやもしれぬ』
あいつには、僕の魂が見えていた。
なら、黄金のヴァンブレイスは――女性?