七話 クリカエサレルヒゲキ
朝日が部屋の窓から目に射し込み、僕は目覚めた。ベッドの中で軽く伸びをする。まず、左手を伸ばして次に右手を伸ばす。むにゅっという柔らかくて暖かい感触が右の手の甲に伝わる。
なんだろうこれ? 僕は右の手をグーからパーに変えてそれをまさぐる。今まで触ったことが無い不思議な物体だ。僕はそおっとその物体の正体を確かめるべく、枕の上で顔を90度回転させた。
「――!!」
何故か僕のベッドにセインさんがいた。
じゃあ、僕の右手がふれているこれは何なのか? 何なんだろうね、これ……。
僕はセインさんのナイスなお山から、そっと手を離して再び状況を確認する。状況から考えて、セインさんが部屋を間違えたのだろう。まったく、おっちょこちょいな人だ。それにしても、いつまでもこの状態というのもなんだかマズイ気がする。
このまま部屋を出て行くべきだろうか? それとも、ここで知らぬフリをして再びベッドに潜り込み、やり過ごすか。ベッドの上で考えていると、急にドアが開いて、フィーナ姉さんがやってきた。
「あら、アル。どうしたの? わかった。怖い夢でも見たんでしょう。それでセインのベッドに潜り込んじゃったのね」
「え?」
部屋を見渡してようやく気が付く、ここは僕の部屋ではなく、隣の客間だった。
そうだ。部屋を間違えたのは僕だったのだ。
その後の朝食の時も、昼食の時も僕が起こした事件で食卓は盛り上がった。一生の不覚である。きっと10年経っても言われるんだろうな。本人にも、家族にも。
「あれ?」
昼食を終えて、父と姉達がいないことに気が付く。さっきまではそこにいたはずなのに、もう姿が無い。使用人の一人に聞いてみても行き先を告げられなかったそうだ。
「アルフレッドちゃん」
セインさんが、腰をかがめ僕の視点に合わせて言う。
「私、これから少し町に出かけるね。夜には戻るから、もしおじ様達が帰ってきたら伝えておいてくれるかな?」
「うん、いってらっしゃい」
黒い外套を着込み、セインさんは出掛けてしまった。
僕は特ににやることもなかったので、自室に戻り、読書することにした。そして時は瞬く間に過ぎ去り、黄昏時を迎える。
馬車が表に止まる気配がして僕は部屋の窓から顔を出した。
「みんなで僕を除け者にするなんて……」
僕はちょっぴり家族達の悪口を心の中で呟くと、玄関へ向った。玄関を勢いよく飛び出して、門の外の馬車へと駆け寄る。しかし、一向に中から出てくる気配がない。
すでに馬車を降りてしまったのか。
そこに来て、僕の中に一つの答えが弾き出される。きっと僕を驚かすために隠れているんだ。セレーナ姉さんあたりならやりかねない。
僕はそっと馬車の窓を覗き込み、4つの人影を確認する。先手必勝。僕は思い切り馬車の扉を引いた。
――かい。赤い。赤くて赤くて赤い。ひたすらに赤い。そしてむせかえるような臭い。
車内は赤の世界だった。4人の家族は向かい合ったまま目を見開き、死んで、いた。
フィーナ姉さんも、レイナ姉さんも、セレーナ姉さんも、父さんも。みんな、死んでいた。そう、死んでいた。
フィーナ姉さんの金色の様なカーテンの長い髪は真っ赤。レイナ姉さんの勝気な顔は苦痛に歪んでる。セレーナ姉さんは最後まで抵抗したんだろう、損傷が激しかった。
父は生前の威厳を失い、それ以上を正視できない。僕をぶったその手も、頭をなでくれたその手も――動かない。
「何だよ、これ」
そう、搾り出すのがやっとだった。同時に、湧き上がるドス黒い感情と家族を失った虚無感。その時、僕をつき動かしたのはやはり、殺意だった。
車体を右の拳で思い切り殴りつける。その反動で扉によりかかっていた、セレーナ姉さんが地面に崩れ落ちた。セレーナ姉さんは何かを抱きかかえるようにして逝っていた。
そっと両腕の中のそれを取り出す。
ぬいぐるみだった。昨日、僕が適当に選んだクマのぬいぐるみだ。血だらけになったそれは、今もなお愛らしい目で僕を見ていた。首には手紙がくくりつけられており、それを開いて読んでみる。
『6歳のお誕生日おめでとう、私達のかわいいアルフレッド』
手紙の内容そのままのセリフが、ふいに僕の背後で発せられる。後ろを向くと、人がいた。
全身を赤いローブに身をまとい、表情はフードに隠れ、暗くてよく見えない。
『初めまして、アルフレッド・エイドス』
目の前の人物がそう言った。男のものとも女のものとも、若者とも老人とも判別できない声。体付きも、中肉中背でこれといった特徴は無い。ただし。
左手だけは違った。金色にきらきらと輝くそれは、一度目にしたら忘れることは無いだろう。
『私のプレゼントは気に入っていただけたかい?』
僕の体内の血液が沸騰するのがわかった。こいつだ。こいつがやったんだ。何のために? そんなことどうでもいい!
意識を集中する。燃え盛る火をイメージして、ルーンを唱える。右の手の平にゴウっと学習机くらいの大きさの炎が宿る。
殺す。
こいつを、殺す。
僕は踏み込んだ、距離にしてたった3メートル。すぐに灰になる。燃えて燃えて燃え尽きろ!
右手を奴の腹に叩きつける。しかし――。炎は奴の体に触れた瞬間、まるで何事も無かったかのように消えてしまった。
「何で……?」
『……』
火がダメなら、他のでやる。僕は後退し少し距離を取った。
意識を集中する。吹き荒ぶ風をイメージして、ルーンを唱える。僕の目の前を鋭いカマイタチが駆けてゆく。周りの木々をなぎ倒して、奴に迫る。
カマイタチは奴の目の前で打ち消された。
「何でだよ!」
ルーンが効かないのなら、物理的なダメージを与えるしかない。僕は先ほどのカマイタチで倒れた木から、太目の枝を一本へし折り、構えた。
叩くんじゃない、突くんだ。あいつの目を。致命傷にはならないかもしれないけど、痛手になるはずだ。こんなまま……何もしないで引き下がれない!
再び僕は踏み込んだ。奴のフードで隠れた目を狙って右手の枝をレイピアの様に鋭く差し出す。
しかし、その前に僕は喉をつかまれ、おもちゃのように弄ばれる。
『お前の魂はイイ』
寒気がした。歓喜に満ちた狂気の声。ぐいっと顔を僕に近づけ囁く。
『お前は生かしてやる。お前の傷だらけの魂なら私を殺せるやもしれぬ』
何を言っているのか理解できない。
『必ず私を殺しに来い。私のかわいいアルフレッドぉ』
口元が醜くゆがみ、楽しそうにゲヒャゲヒャと笑い声をあげた。
「アルから離れろぉ!」
女の子の声がするのと同時、僕は奴の右手から解放され地面に崩れ落ちる。顔を上げて驚いた。
ロッテだった。ロッテが木の棒を構え、僕の前でまるで守るように立ちふさがっていた。
まずい。ロッテが……殺される。
「やめて、ロッテ。僕なんかほっといてよ!」
振り返りロッテはまたあの悪ガキっぽい笑顔を浮かべた。
「あたし達、友達じゃん」
ロッテは奴に向き直り、襲いかかろうとするがすでにそこに奴の姿はなかった。
「ちぇ、逃げられた~。命拾いしたわね、あのヘンタイフード」
「うん、命拾いしたよ……」
「それより、どうしたの、えらく散らかってるし、馬車がなんか……」
「近づくな!」
馬車に近づこうとしたロッテに僕は叫んだ。
「え、う、うん」
「あいつが、そうなんだ」
「え? どうしたの、アル?」
「あいつが『黄金のヴァンブレイス』……。あいつは絶対に僕がこの手で……」
「ちょっと、アル。どこへ行くのよ! お家は?」
「僕は、家を捨てる。もう、ここには何もないから」
「捨てるって、どこいくのよ!? あたしと一緒にルーンナイトになるんじゃなかったの!?」
「そんなものはもう興味ない。守る人ももう、いないから」
「……あたし達、友達でしょ!! 友達を置いていくの!?」
「わかった」
僕の言葉にロッテは明るい笑顔を夜の闇に咲かせた。
「もう僕たちは友達じゃない。絶交だ」
僕の言葉はナイフの様に、夜の闇に咲いたロッテの笑顔を鋭く切り裂いた。
背後ですすり泣くロッテを後にして、僕は歩き出した。
こうして、僕の復讐の旅が始まった。
待っていろ、黄金のヴァンブレイス。いつか必ず僕がお前を……。
殺してやる。