五十九話 バカナヤツ
翌朝。ベッドから飛び降り、伸びをする。
一通りの用意を終えて下に降りると、宿の扉は、応急処置が施されていた。扉をあけて顔を出すと、村人達は不眠不休で作業をしていたのか、瓦礫はある程度取り除かれ、遺体もすでにそこになく、村の中はキレイになっている。
「おはよう」
「……ああ」
背中に陽気な声を受けて振り返る。
案の定、女将がそこに立っていて、若い女が着る上等そうな衣服を抱えていた。生活費の足しにするため売るのだろう。
あの服は、女将の体型に絶対収まりそうに無い。
「これ、あんたにあげるよ。あたしが若い頃、ダンナに買ってもらった、よそ行きの服なんだ。あたしゃ、この通りの体だからね。この服も、あんたみたいな若い子に着てもらったほうが喜ぶってもんさ」
「オレに……?」
女将の若い頃に何があって、こうなったのか……人間とはつくづくフシギな生物だな。
「そうだよ。こっちへおいで、これから村長の家に行くんだろ? 髪もちゃんと手入れして、身なりも整えて、しゃんとしなきゃあ」
バカな。服に興味が無いオレでも解る。あれは相当な一品だ。しかも、保存状態がいいのか新品同然。売れば当分の生活費になるというのに……。
女将は優しい顔をしてイスを引き、そこに座るよう手招きをする。
まあいい、くれるというんだ。もらってやる。後で売り払っても構いやしない。
「まだ村長も寝ているかもしれないし、いいだろう。時間つぶしに付き合ってやる」
イスに腰掛ると、色々された。髪をクシでとかされ、したことがない化粧までされた。
正直、ただこそばゆいだけだったが、女将の手つきはとても丁寧で、その柔らかな表情を見ている内に、母親を思い出した。
そういえば……こうやって髪を優しくとかしてくれた……ような気がする。
「ほらできたよ。あたしの若い頃そっくりだ」
その言葉でオレは陰鬱な気分になった。どんなバケモノがそこにいるのかと、おそるおそる鏡を覗き込む。
「誰だ、これは?」
「あんただよ。ほら、なんて可愛らしい子なんだろうね。ちゃんとすれば、あんたはこんなにも輝けるんだよ。やっぱり、女の子はオシャレしなくっちゃねえ。けど、あたしの若い頃に比べるとまだまだだけどね」
しばし鏡を見て呆然とする。貴族の令嬢か、はたまたどこかの国のお姫様か……自分じゃない自分がそこにいて、オレは未だに信じられない。
試しにギンと睨んでやったら、鏡の向こうのお姫様が恐ろしい形相で睨んできた。
ああ、これ、オレだ。そこで初めて納得して、これが自分の顔だと認めた。
「さ、今度は着替えなくちゃね。あたしの見立てだと、あんたの体のサイズならこの服は大丈夫だよ」
と言って、女将はオレの服を楽しそうに脱がしていった。
抵抗しようにも、圧倒的な筋力で掴まれ成す術もない。こいつ、宿屋の女将なんてやめて、戦場にたったほうが稼げるんじゃないか?
丸裸にされると、着たことも無いようなフリフリの服や、スカートを穿かせられた。
「胸はどうだい?」
「ん……ああ。大丈夫だ、問題ない。まだ余裕がある」
「そうかい……。あたしが着たときは少し窮屈だったんだけどねえ」
何だと。それはお前のぜい肉だろう。
女将の目を見ると、どこか勝ち誇った顔をしていたので、少しイラついた。
髪だけでなく、服もちゃんとした物を着たのは何年ぶりか……これまではほとんどズボンとか、男物の服ばかりでスカートなんて穿いたことがなかった。
オレの全身をなめるように見渡し、女将は深い溜め息を付いて何度も頷いた。
「こいつは、息子が嫁を連れて帰ってきたらその嫁に着せてやろうと思ってたんだけども。うん。あんたによく似合ってる」
「そうか……」
「さあさあ、完成だよ。フィーザちゃんや。行っておいで」
「フィーザちゃん……だと? オレをナメるな」
「そんな汚い言葉遣いはおよし。今のあんたには似合わないよ」
「……まあ、いい。これは迷惑料としてもらっておく。感謝はしないぞ」
「いいよ。あたしが好きでやったことだからね。さあ、お行き。もし、寂しくなったらいつでもここに帰ってきてもいいんだよ。この宿はすべてのお客さんにとって、帰る家なんだからね。あんたはもう一泊したんだ。もうあたしの家族さね」
「気色が悪い。じゃあな。世話になった。もう会うことも無いだろう」
女将は優しい笑顔でオレを見送った。
宿を後にして、村長の家を目指す。村長はすでに起きていて、家の前で腰をさすりながら薪を割っていた。
「村長。報酬を取りにきた、よこせ」
「は? どちらさんで?」
村長は斧を振りかざそうとした体勢でこちらに振り返った。怪訝な顔をして振り向いたが、オレの顔を見るやいなや、満開の笑顔になった。
何だ? こんな顔をするジジイだったか? キャラが違うだろ。
「どこかの貴族のお嬢さんかね? ここは昨日、異形の襲撃があって危ない所ですよ。ご家族が心配される前に早くお戻りになられたほうが」
「オレだ。フィーザだ」
「フィーザさん!?」
途端に、ゴキっと骨が鳴る音がした。見ると、村長が斧を地面を放り出し、地面に膝を付いて苦しく呼吸をしていた。
「こ、腰が抜けてもうたわい……あのフィーザさんがこんなベッピンさんに化けるなんて、あわわわ」
どういう意味だこのジジイ。
「報酬を受け取りにきた。くれ」
穿きなれないスカートの裾を揺らしながら、オレはかがみこんで、倒れた村長の目の前で右手を突き出した。
村長はオレと目が合うと、次第に視線が下降していき、急に顔がにやけた。何だ?
「フィーザさんや、その……いひひ。もうちょっとその、気をつけたほうが、よろしいかと、ふぉふぉふぉ」
村長の視線の先をたどる。
「!?」
このエロジジイ。こいつは当分長生きするだろう。これだけ元気なんだからな。
村長は急に元気になって立ち上がった。下のほうも元気に立ち上がっているんじゃないか、このジジイは。
そして、村長は家の中へ入り、すぐに出てきた。右手には金の入った袋が握られている。
「では、これが約束の物です」
「ああ、確かに」
村長から袋をひったくり、中を確認する。……ざっと見ただけだが、おそらく額はあっている。
村の復興がどうたらで、ケチられるかと思ったが、約束はちゃんと果たしてくれたようだ。
「それにしても……あんたは、女将の若い頃によくにとるのお。いや、生き写しじゃよ」
「どういう意味だコラ。オレは何十年かしたら、ああなるとでも言うのか」
村長の胸倉をつかんで、問いただす。
「ひ! いえいえ。そうではなくてですな。女将も昔、それはそれはとても美しい娘でして……今はまあ、その。年相応でございますが。ふぉふぉふぉふぉ」
「ふぉふぉふぉふぉじゃねえ。どこの古代神話だそれは」
「はひ!? その、申し訳ございません」
「まあいい。二度と会うことも無いだろう……じゃあな。世話になった。オレは行く」
これでここともお別れだ。
エルドアに行ってそこで……。
宿の前を通った時。ふと、女将のことを考えた。そして、昨日まで我が城だった宿を眺める。
昨日の襲撃で、元からボロかった宿は輪をかけて、さらにボロくなった。宿屋より、お化け屋敷のほうがしっくりくる。女将のやつも、ノーメイクで突っ立っていればそれだけで絵になるだろう。
もちろん悪い意味で。
応急処置した扉も、分厚い板をはりつけただけに過ぎない。
金が要るだろうに……。
視線を下に落とすと、上質の生地で作られたスカート。
……そして、昨日の夜感じた生暖かさを思い出す。
少し、懐かしい。そして、何故かそれが恋しい。
あの女将は……これからもここで生きていくのだろうか? 金はあるのか?
こんな大事な物をオレなんかにタダで譲って……大丈夫か?
……まったく。バカな奴。
オレは宿の扉の前に、村長からもらった袋をそっとおいた。
……まったく。バカな奴だ、オレは。
エルドアに行けばまたそこで仕事を探せばいいさ。
こいつは、服の代金だ。じゃあな、女将。
この宿が潰れてなかったら、また来てやる。……その時までオレが生きていればの話だが。
――さて、行くか。
村の門を目指し、オレは歩く。
目指す先はエルドアの王都エルディア。
そこにいるかもしれない。あいつが。
父の命を奪った男が。
待っていろ、アルフレッド・エイドス。
オレがお前の命の音を止めてやる。