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黄金のヴァンブレイス  作者: 岡村 としあき
第一部 第五章 『8年目のボーイミーツガール』
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四十九話 ゲッコウ

 人間じゃない。


 深い闇。純粋な黒。霧のような闇が、鼻の辺りから顔の上半分を覆っている……いや。顔が半分……ないと言ったほうが正しいのか? まるで口から上半分が闇に蝕まれているような……。


『あ~あ。お気に入りのフードなのに。弁償してもらおうかな? アルフレッドはやんちゃさんだねえ』


 闇の下の唇が動く。しかし、やはり顔半分は何も無い。それでも頬は存在し、筋肉を弛緩させ、ニタニタと笑っている。よくよく目を凝らすと……闇の中で赤い小さな光が煌いていた。おそらく、あれが目なのだろう。


「お前……一体、何なんだ?」


 口元がさらに歪む。顔半分の闇が嬉しそうに波打つ。そこはまるで真昼の夜中。闇よりも暗い闇。そうだ。あれは何かに似ていると思っていたが……まさか……闇のルーン?


『ひどいなあ。これでも、れっきとした人間なのよ? もっともそれは、14年前までの話だけどねえ』


「14年前?」


 僕が生まれた年と同じ……?


『これは聞くも涙。語るも涙の悲しいお話。かわいいアルフレッドにはまだ早いかしら? それにしても、本当に立派に成長したねえ、アルフレッドの(こころ)は』


 僕の右手を見て、ヤツは愛おしそうな視線……を向けた気がした。


「お前がガイザーやバイエルと接触した理由は何だ?」


『フフ。半分は仕事上の偶然。もう半分は……私の願い。その成就の為に二人のキューピッドになる必要があった。……この戦争でたっくさんの人が死ぬ。たくさんの魂と深い闇を持ったニンゲン……それがあれば……私はようやく……死ねる!』


「……どういうことだ?」


『私はねえ。死ねないのさ。私にまとわり付いたこの闇が……私を離そうとしない。辛くて苦しくて、憎くて悲しくて、痛くて重くても……私は死なない。いや、死ねないの。死にたくても死ねない。だから……早く私を――』


 闇の下の唇が、Uの字になるぐらいまで歪ませてその言葉にする。


『殺しておくれ!!』


「殺してやるよ!!」


 同時だった。僕も同時に叫び、ヤツとの距離を詰めていた。駆ける。駆ける。駆ける。世界の裏側だろうと、どこまでも駆ける。たった数メートルの距離が長く感じる。


 ヤツが何者だろうと関係ない。生きてその場に立っているというなら、心臓を引きずり出し、あの歪んだ口に放り込んでやる。


 姉さん達の苦痛を、シャイドさん達の悲しみが、それだけで賄えると思うな。肉の塊にした上で魂を引きずり出し、死体を灰にして、魂を握りつぶして何もかもをこの世界から消し去ってやる。


 みんなの痛みを、苦しみを、辛さを思い知れ!


 思考しているヒマなどない。とにかく僕は駆けた。ヤツに向かって。そして……右手にまとった闇ごと思い切り叩きつける。その赤いローブに。しかし――。


『今の君じゃ、まだまだ憎しみが足りない。もっと大きくなってからおいで……。それまで、もっと私を憎むんだよ、ね? 愛しいアルフレッドぉ。愛してる、アルぅぅぅぅ』


 ヤツの体はまるで黒い霧となり、拡散しその姿を完全に消してしまう。


「またか……」


 僕はその場に立ち尽くした。ヤツの言葉を何度も頭の中で繰り返し、噛み締める。『死にたくても死ねない』。上等じゃないか。絶対に僕がお前に最高の死を与えてやる、黄金のヴァンブレイス……。


 黄金のヴァンブレイスを逃がし、バイエルが最後を迎えてから数時間後。すっかり夜になってしまい、僕は宿の部屋でベッドに横たわり、天井を見上げていた。


 バイエルを失い、挟撃作戦も失敗に終わったシャナール軍が退却して、束の間の安息が訪れた。もっとも、あれは先遣隊で、今回のような奇策を用いて戦果を上げられなかった以上、物量に訴えて今日よりも大規模な侵攻が開始されるのも時間の問題だろう。この町が戦火にさらされるのは確実だった。エルドア建国以来なかった未曾有の大侵攻……それに備え、ここの住民は王都に避難する事が決まっている。


 この町は前線基地へと姿を変え、僕の家はその指令室となるのだろう。今回の戦いでは勝利を収めたものの、この町が受けた被害は少なくない。町の人は何人か殺されているし、刃向かった住民の家は燃やされている。だから、勝利の美酒に酔いしれることなく外の空気はいまだ重々しかった。


 これも、黄金のヴァンブレイスの思惑だというのだろうか。あいつは一体……何人の人間を不幸の底に落とせば気が済むんだ……もし、このまま戦争が続いて多くの戦死者が出れば、あいつはまた姿を現す。待てよ。逆にこの戦争を止めてやれば……いや、僕一人でそんな事が出来るわけがないし、あいつは違う方法を考えてくるかもしれない。待つしかないのか……また、悲劇が繰り返されるのを……。


 結局、あいつの掌の上じゃないか。


『――入るわよ』


 唐突にノックがして、赤い髪の少女が部屋に入ってくる。


「隣、いいかな?」


「断る前に座ってるじゃないか。僕に拒否権はないんだろ?」


 ロッテは僕が仰向けになっているすぐ数CM横に腰掛ける。伸びをしたままベッドに寝転がっていたので、お腹からヘソがはみ出し、そこに腰を下ろしたロッテの長い髪がふわりと触れて、すこしこそばゆい。髪が触れているだけだというのに、少し……興奮が隠せない。


 今のロッテは、騎士の姿ではない。鎧もマントもなく、剣も腰に帯びていない。少女であった。その背中が……暗い室内に差し込んだ月の光に照らされ、僕の心を奪う。さっきまでの荒んでいた気持ちがまるで洗われるかのように。


 光源は月の光のみ。そんな暗がりに女の子と二人きり……ロッテの小さな背中に抱きついてしまいたくなる衝動をぐっと押さえ、ロッテに背を向け壁を見つめる。


「仕事の方はもういいの?」


 僕は気を紛らわせるために、口を開いた。


「面倒ごとは全部、部下に押し付けてきたわ。きっと今頃みんな慌ててる」


 ロッテの顔が気になって視線をその背中に戻す。しかし、ロッテもまた壁を見つめたままで、こちらからは死角となって、盗み見る事はできない。今……どんな顔をしているのだろうか?


「そう……困った上司だね」


「……」


 静寂が僕らを包む。開け放った窓から夜風が入り込んでロッテの長い髪を揺らす。それを僕はただ見つめていた。


「ロッテ」


「アル」


 同時だった。僕とロッテは互いの名前を同時に呼び合った。


「何?」


「アルこそ、言いたい事あるなら、はっきり言いなさいよ、男なんだから」


「ロッテこそ、言いたい事があるなら、はっきり言いなよ、遠慮なんて言葉ロッテには似合わない。図々しい方が良く似合うよ。よく家で出されたお菓子、ポケットにこっそり突っ込んでたじゃないか」


「あんた……この8年でえらく失礼になったわね。てか、めざとい奴ね……減るもんじゃないんだから」


「減るよ! 僕の分のお菓子まで食べちゃって……姉さん達はだませても、僕の目はごまかせないよ! それに、ロッテこそ、えらく丸くなったよね……他人の前では」


 丸くなった。それは態度だけじゃなくて……腰とか、その……太ももとかも。そんな事言ったらヘンタイ扱いされて、ベッドの上でマウントポジションで拳のフルコースだろう。デザートはヘッドバットだろうか? ロッテの額が迫ってきて……額? 迫るのは額だけじゃない。あの小さな唇も……妄想していると、昼間の事を思い出した。


 そういえば僕……ロッテと……キス……したんだっけ!? 思い出したように唇をさする。ロッテの感触を思い出して……呼吸が荒くなった。とりあえず一呼吸置いて、気持ちを落ち着かせ、その先を続ける。


「ごめんね」


「ごめんなさい」


 また、同時だった。僕とロッテは同時に謝罪の言葉を口にしていた。


「ロッテ……僕……知らないうちに……ロッテの事、傷つけていたんだね、ごめん」


「アル……ううん。あたしも……ごめん。アルの事……知ってたつもりでいた、一人で解ってるフリしてた……アルがどんなに苦しい思いをしたのか……何を抱え込んでいたのかも」


「ロッテ、仲直りしよう。8年前みたいに。その、友達……なんだから」


 ロッテの背筋がピクリと震えた気がした。あいかわらずここからでは死角になっているので、その表情は読めない。


 でも、唐突に――僕の左手が優しい温もりに包まれる。仰向けに寝転がった僕の左手と背中を向けたままのロッテの左手……重なっている。それだけで……心が熱い。


「あたしは、アルの友達……か」


「ロッテ?」


「友達からそれ以上になるには……どうすればいいと思う?」


「え?」


 ロッテが手を重ねたまま、こちらに振り返った。その顔は月の光が美しく照らし出し、右半分が月光に染められ、左半分は暗がりになっており、そのコントラストが神秘的だった。


「しようか?」


 妖しく、そして美しい顔。同じ14歳とは……とても思えない。その顔に、一言を返す。おそるおそると……言葉の意味を尋ねる。


「何を?」


 ロッテは意地悪く笑う。


「キスの続き」

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