四十四話 シュウライ
しばらく僕はその場に立ち尽くした。だってそうだ。ロッテとの再会。そして、戦い。シャナールとの開戦。ルヴェルドのルーンナイト復帰。
あまりにも短時間で多くの事が起きすぎた。わずか数時間前。この町にたどり着いたばかりの僕に、今のこの状況が想像できただろうか?
できるわけがない。ロッテにまた会えた事は嬉しかった。でも、僕を殺すと言って刃を交えた時は、やはり悲しいものがった。シャナールの侵攻によってそれは無くなったものの、今まで通りにロッテと言葉をかわす事はもうできない。
8年はとても長かったんだ。知らないうちに僕はロッテを傷つけてしまっていたのか。あの時……僕は背中越しにロッテの泣き声を聞いた。けれど、それを振り切った。きっと……ロッテに辛い思いをさせてしまったんだろうな。
そこに後悔はなかった。なによりも僕の心は怒りに燃えていたから。しかし、ロッテをあそこまで歪ませてしまったのはやはり、僕の責任なのか……。
ロッテの家庭について聞いた事は無かった。ロッテが川にあやまって落ちてしまった時、彼女の素肌を見た。あれは今でも覚えている。
服で隠れる場所にはアザというアザがあって……思わず目を背けた。ロッテはいつも川原にいて、僕を待っていた。雨の日も風の日も。そこがまるで自分の家みたいに、いるのが当たり前の様に川原にいつもいた。
どんな家庭かだなんて、想像するまでもない。僕にとってロッテが太陽だったように、ロッテにとっても僕が太陽だったのかも……知れない。
あの時ああしておけばよかった。人はそう思って人生がやり直せるなら、と願う。けれども人生にやり直しはきかない。ありのままを受け入れて、それを教訓にし、前に進むしかない。
前に進もう。今はとにかく、ここを離れることが先決だ。そして、いつか全て終わったらロッテに……。
そこまで考えをまとめるのに一時間くらいが経ってしまった。いけない。早くここから離れなければいけないのに。
川原を背にして、みんなの待つ宿に向かおうとした時。
臭いがした。これは……血の臭い。そして耳を澄ませば、鉄と鉄のこすれあう音が聞こえる。
「……何だ?」
まさか。こんなに早く国境を突破したのか? ロッテ達は一体何をしているんだ!?
僕は駆ける。町に急いで戻ると、我が目を疑った。
「シャナール軍……」
町に待機していたのであろう、騎士達は無残に切り裂かれていた。そして、数人のシャナールの兵士が町の人々に剣を向け、どこかに連れて行こうとしていた。その中にはアイクや、幼少時に見知った町の人々の姿があった。
「クソ!」
駆け出そうとした時、急に背中を引っ張られ裏路地へと体を引っ張られる。
「少年。軽卒だな」
オルビアだった。オルビアが右手で僕のエリをつかんで、まるで仔猫の首をつかむようにして僕を路地の奥へと連れて行く。
「まずは落ち着くことだ。ここで君が飛び出しても、町の人々が盾にされる。シャナール人とはそういう奴らだ。一応国際条約では、非戦闘員の命を奪う事は禁止されているが、民間人の命もいざとなれば平気で奪う。この世界で一番優れているのは自分達だと思い込んでる、困った連中だよ」
「オルビア?」
「……自分の母はシャナール人の奴隷でな。ガイザーが己の欲を満たすために『買った』のだ。だが、父が母を連れ出し……まあそういうわけだ。だから、人並み以上にシャナールの知識はある。どんな筋トレが流行っているのか、とかな」
ここは筋トレに突っ込まないほうがいい。
「じゃあ、オルビアはハーフなのか。エルドアとシャナールの」
「そうなるな。意識した事は無いが」
「ところで、一体何が起こっているんだ? それにどこに……ていうか、降ろしてくれない?」
「ん? 自分は筋トレになるし、構わないんだが」
こんな時でも筋トレとは恐れ入る。
「アルちゃん!」
「アルお兄ちゃん!」
路地の奥には師匠とリトが座り込んでいた。
「表で腕立て伏せをしていたら、妙な気配がしたのでな。急に男に剣を向けられたので、ヘシ追ってやったら肉弾戦に持ち込もうとしてきた。やはり、鍛えていてよかった。その男をダンベル拷問してやったらシャナール兵だと言うではないか」
ダンベル拷問が気になる。
「とりあえず手足を縛って、肥溜めに沈めて来たから他の兵士にばれる事はないだろうが、迂闊な行動は取るなよ、少年」
「その兵士さんに色々お尋ねしたら、数十人規模の部隊で国境を迂回して、誰も通らない森の中を進んできたんですって。えらいわよね」
「敵の狙いは……国境に目を向けさせ、手薄になったここを抑える事……か。進軍ルートが確保できたなら、後続の部隊がやってきてロッテ達が挟み撃ちにされる」
「そうだな。叩くなら今しかないが、相手は人質を取った上にこちらよりも数が多い。全員で乗り込んでも結果は見えている。ならば……」
「誰かが陽動に出て、敵の目をひきつけその間に人質を救出する……かな? 問題は誰がやるかだけど」
「ふ。自分に考えがある。こんなこともあろうかと、秘蔵の筋トレグッズを用意してきた。これをみれば、連中もこぞって筋トレを始めるに違いない。自分で言ってなんだが、この知略、末恐ろしいな」
言葉が出ない。
「ま、まあ。とにかく、陽動はオルビアに任せるよ。リトはどこかに隠れていて。師匠、行きましょう」
「アルちゃん。人質さん達の場所、わかるの?」
「この町で人質を一箇所に集めてかつ、立てこもるのに最適な場所は一箇所しかありません」
そうだ。僕の思い出が詰まった場所。僕の産まれた家……。