四話 トモダチ
翌日。昼食を食べ終えた僕は、川原で読書でもしようと思い、昼下がりの町を歩いていた。
十数分ほど歩いて、目的の場所に到着すると、そこにはすでに先客がいた。
赤く長い髪を左右で結って胸元に下げ、つぎはぎだらけの服を着た少女……僕と同じか少し上くらいの年齢だろうか? 気の強そうな目がギラギラと輝き、迂闊に手を出せば噛み付かれそうな雰囲気だ。
少女は木の棒を両手で持ち、一心不乱に縦に横に振っている。たぶん、剣の稽古でもしているんだろう。
関わると面倒臭そうだと僕は思い、少し離れた所に腰を落ち着かせ、父の部屋から拝借した本を広げる。しばらく本の内容に没頭していた僕であったが、唐突に本が宙に浮いてそれは中断された。
少女だ。赤毛の少女が意地悪そうに悪ガキっぽい笑顔を浮かべて僕の本を右手でつかみ、僕を見下ろしている。
「殴っていい?」
「はあ?」
一瞬で僕の頭の中は疑問符で埋め尽くされる。この女、想像以上にヤバいのかもしれない。
「あたしの剣術の餌食になってもらいたいんだけど」
「なるわけないだろっ!」
僕は素早く少女から本を奪い返し、一歩後ずさる。
一体、この世界の子供はどういう教育を受けているんだろう。とにかく、逃げなきゃ。僕には木の棒で叩かれて喜ぶような特殊な感性はない。
「ねー、ちょっとだけでいいからぁ」
強引に僕の肩をつかんで離さない。うんざりして、僕は振り向き言い放った。
「初対面の相手が、そんなこと許すはず無いだろ」
「じゃあ、明日ならいいの?」
「明日もダメ、明後日もダメ。だいたい君、なんなんだよ」
少女は、一つ咳払いをして両手を腰に当て、偉そうに胸を張った。
「あたしは、ロッテ。ロッテ・ルーインズ、未来のルーンナイトよ」
フフン。と鼻を鳴らし、また偉そうに腕を組んで目をつむるロッテ。
「あたしの練習台になれるのよ、きっとあんたは歴史の1ページに名を残すわ。あんたの勇姿は未来永劫語り継がれるのよ」
「それって、何だか僕のほうが目立ってるんじゃないの?」
殴られて歴史の1ページに名を残せるなら、安いものだろうか? それにしても、よく口の回る少女だ。本当に僕と同年代なのか?
「それに」
真剣な面持ちでロッテは僕を見る。
「あんたも、でしょ?」
「え?」
「転生」
その言葉に一瞬凍りつく。一体どうして? 何故彼女にはそれがわかるのか。
「傷だらけなのよ、あんたの魂。そういう奴は得てして、前世の記憶とルーンの才能を持ってる。もちろん、あたしもね」
右手の親指を立て、自分を指すロッテ。その表情は真剣そのもので、とても冗談を言っている雰囲気ではない。
「あたしには、魂の傷が見える。あんたの魂は相当ひどいわね、今まで見たことが無い位、最悪」
「……」
「あんたを一目見てピンと来た。あたしと一緒だって。この世界には、時折前世の記憶を持ったまま生まれる人間がいるみたい。でも、大人になるとみんな忘れちゃうみたいだけどね」
ロッテは小さな背中を向けて、また続ける。
「クソみたいな前世だったわ。生まれ変わってもご覧の通り、ゴミ箱みたいな家に生まれてマズイ飯の毎日よ。だからあたしは目指すの。ルーンナイトを。富と名誉を手に入れて、イイ男をモノにして、名前を残してやるのっ! 女だからなんて、誰にもバカにさせやしない。そんな奴は叩き斬ってやるわ!!」
しばし静寂が僕らを包み込み、川原に立ち尽くした。優しいそよ風が僕の頬をなで、ロッテの赤い髪を揺らす。ふいに、背後で物音がした。
振り返り絶句する。白い体色の四足獣が汚いよだれを垂らし、赤い双眸で僕らを品定めしていた。おそらく、『どちらがうまいか』。
姉達から話だけは聞いていたが、実際に目にするのは初めての事だった。
――『異形』。この世界において人間の天敵ともいえる生物……『異形』。姿形は様々で、共通しているのは白い体色に赤い双眸を持つという事。
そもそもルーンとは彼ら『異形』を狩る為に体系付けられた技術で、もともとは戦闘技術だ。それを家庭でも便利に使えるようした物が一般的な物なのだが、騎士達は戦闘特化されたルーンを学び、それを練磨し各々の個性に合わせて仕上げる。
僕の使える子供の遊びとはワケが違う。その子供の遊びが目の前の敵に通用するか――。考えるまでも無い。
「ロッテ、逃げろ!」
僕は背中を向けたままのロッテの手を掴み、一目散に走り出した。
「ちょっと、何? 愛の逃避行? あたし、年上が好みなんだけど」
「後ろだよ、ヤバイのがいるんだ。逃げないと仲良くあいつの口の中でミンチだ!」
しかし、子供の脚力で逃げ切れるはずも無く、あっさりと追いつかれてしまう。
僕は舌打ちをすると、意を決した。
意識を集中する。燃え盛る火をイメージして、ルーンを唱える。右の手の平にブワっと自転車の前輪くらいの大きさの火が宿る。
昨日よりも、大きい炎。周囲には陽炎が浮かび、ロッテが熱さのあまり後ろに一歩後退する。
ヤツはそこを見逃さなかった。怖気づいたロッテを一直線に目指し、4本の足で駈ける。
勢いよく迫る捕食者に、尻餅をついて悲鳴をあげるロッテ。ロッテが危ない。僕は呼吸を整え、命を奪う決意を固める。
あいつを……焼き殺す。
僕はタイミングを見極め、右手を突き出した。
焦げた肉の臭いと、耳に残る断末魔。白い皮膚は跡形もなく焦げて、まずそうなバーベキューがそこに転がる。
「危なかった。ロッテ、大丈夫?」
「な、何なのよ、そのルーン? おかしすぎよそれ! あんた、前世で何があったの?」
僕は一呼吸置いて、ロッテの目を見た。
「地獄、かな」
ロッテはパンパンとスカートに付いた土を払い立ち上がると目を逸らし、川面に視線を移し、表情を後悔の色で染める。
「僕も、ルーンナイトになりたい。前みたいに、何もできずに死ぬより、力を身につけて守りたい」
小さな背中が少し揺れて、振り返る。
「あんたも私と同じなんだ……」
ロッテはまた悪ガキっぽく笑って右手を差し出した。
「ガビョウとか、仕込んでないよね?」
「仕込むか! てか、この世界にはないでしょーがよ! 握手よ、握手! 友達になってやるのよ」
そっぽを向くロッテの右手をそっと握る。その感触に僕はロッテが本気でルーンナイトを目指しているのだと気が付いた。
とても女の子の手とは思えないくらい、デコボコでマメだらけだったからだ。
「わかった。友達だ。よろしく、ロッテ。僕はアルフレッド・エイドス。アルって呼んでよ」
この世界で始めてできた僕の友達。数年後、彼女は目標を果たし、女性初のルーンナイトとなる。
僕と敵同士になって。