三十四話 ユルセナイ
耳障りな音がして私は眼を覚ます。父親のいびきが目覚まし代わりだ。今日も夜遅くまで飲んできたらしい。アルコールの臭いをぷんぷんさせて、横たわっている。
目が冴えてしまったので、仕方なく外に出て、星を見上げた。夜空には恐ろしいくらいの星々が煌いており、鳥肌が立つ。綺麗といえば綺麗だが、それ以上に恐ろしく感じた。
東京の空はいつも人工の光に照らされ、こんな大量の星を映し出したことは無い。田舎に行った時に見た、満天の星空。それ以上にひしめく星々。いかに自分がちっぽけな存在なのかを思い知る。
そして、いつも独りの恐怖に怯えていた。けど……ポケットに残っていたクッキーのかけら。それが私に勇気をくれた。この世界で生きていく勇気。
私はここで生きていく。きっとこれが、神様に与えられた運命ならば……前世の忌まわしい記憶を消さずに残していたのも今を生きる試練だというなら、乗り越えて見せよう。
私は生きていく。
東から昇る太陽に背を向け、私は水を汲みに井戸へ向かった。
アルの家族と知り合って数日が経ったある日。私はアルに内緒でエイドス家にお邪魔していた。目的はあのおいしいお菓子……ではない。フィーナさん達と会う約束をしていたからだ。
「アルのお誕生日会ですか?」
例のリビングで、3人のお姉さんとお茶をしながら話を聞いていた。どうやら、もうすぐアルの6歳の誕生日らしい。アルは妙に鋭い所があるが、どうも自分自身の事に関しては鈍い所がある。誕生日についても、アルの事だから忘れていたんだろう。
「アルってば、子供のクセにみょーに遠慮しちゃう所があるのよねー。欲しい物とかあんまり言わないし」
「けど、男の子って何が欲しいのか私達には解らないよね」
「だから、一緒に遊んでるロッテちゃんなら、何か知ってるかなって思って」
なるほど。アルの欲しい物……か。この前、パソコンかゲームって言ってたけど……そんな物はこの世界にはないし……。
「ごめんなさい、解らないです……」
「うーん。そっかあ、しょうがないね。今度のお出かけの時に、私が直接選ばせちゃうかな」
「それしかないわね……お願いできる、セレーナ?」
「まっかしといてー。無理矢理吐かせるから!」
腕まくりしてセレーナさんが、力強く頷いた。
「あの、アルの誕生日っていつなんですか?」
「明後日なの。明日、皆でお出かけするから、チャンスはその時しかないんだよね」
明後日……明後日は私にとっても特別な日だ。
「どうしたの? ロッテちゃん、なんかボーっとしちゃって」
「あ、あの……明後日は……私も……誕生日なんです」
エイドス3姉妹はいっせいに声を上げる。『じゃあ、ロッテちゃんも一緒に』。『プレゼント用意しなくちゃ』。『むしろ、ロッテちゃんが主役で』。
そして気が付いた時には、明後日は私もお誕生日会で祝ってもらうことになっていた。
誕生日……6年目にして初めて誰かに生まれてきた事を祝ってもらえる。それだけでもなんだか胸が熱くなる。プレゼントなんかなくったって、その気持ちだけで十分にありがたかった。
「じゃあ、明後日の晩に家に着てね。楽しみにしてて! 素敵なパーティーにするからね!」
「えっと……ありがとうございます」
明後日。楽しみだ。次の日が来るのをこんなに楽しくて、待ちきれないだなんて事、いつ以来の事か……。
その日も父親のいびきがうるさかったが、私は安らかな眠りにつくことができた。
そして、その日が来た。前日に聞いた話によると、アルはクマのぬいぐるみが欲しいと言ったらしい。ベッドで抱いて一緒に寝るのだろうか? 想像したらアルがより愛しく思えた。
一番傷んでないマシな服を選んで、暗くなった外に出る。どんな風にアルにお祝いの言葉をかけようか? 私の頭の中はそれでいっぱいだった。これから始まるであろう、楽しい時間に心が躍る。
大きな屋敷が見えてきた。幸せな時間はすぐそこにある。少し速度を上げて、小走りになる。わくわくとドキドキが私の足を加速させる。
「あれ……?」
妙だった。明かりがない。そして、何故か台風でも過ぎ去ったように木々が薙ぎ倒されている。
途端に私の中の幸せな心は吹き飛ぶ。変わりに嫌な予感が全身に駆け巡って、寒気がする。
「何?」
暗闇の中に目を凝らすと、二つの人影があった。
赤いローブに身を包み、不気味な笑みを浮かべている謎の人物。そしてその右手はアルを……アルを締め上げていた。
「アルから離れろぉ!」
近くに落ちていた棒切れを拾い、アルを締め付けていた右手に叩きつける。
アルが危ない。アルを守らなくちゃ……。謎の人物からアルを守るように私は立ちはだかった。
そして、すぐに違和感に気付く。
――魂が無い。
赤いローブの人物には……魂が無い。一体こいつ……何なの?
目が合う。フードの中の目は……どこかで見たような気がした。そうか。と私は気付く。
私を殺したあの男の目……あれと……一緒だ。
「やめて、ロッテ。僕なんかほっといてよ!」
背中でアルが叫んだ。
私は振り向いて、元気付ける為に笑う。
「あたし達、友達じゃん」
友達……いや、違う。今の私にとって彼はそれ以上の存在になりつつある。
たかが5歳の男の子にこんな感情を抱くのもなんだけど、アルは他の子とは違う。アルは色んな意味で特別だ。
だから、守る。決意を固め、前に向き直るが、すでにそこに奴の姿は無かった。
「ちぇ、逃げられた~。命拾いしたわね、あのヘンタイフード」
「うん、命拾いしたよ……」
「それより、どうしたの、えらく散らかってるし、馬車がなんか……」
「近づくな!」
今までに聞いたことの無い、アルの激昂した声。その声に一瞬たじろぐ。
「え、う、うん」
「あいつが、そうなんだ」
「え? どうしたの、アル?」
「あいつが『黄金のヴァンブレイス』……。あいつは絶対に僕がこの手で……」
アルが……アルじゃなかった。お日様みたいに眩しい笑顔のアルがいない。
「ちょっと、アル。どこへ行くのよ! お家は?」
「僕は、家を捨てる。もう、ここには何もないから」
背中を見せ、そのまま立ち去ろうとするアルに私は追いすがる。
「捨てるって、どこいくのよ!? あたしと一緒にルーンナイトになるんじゃなかったの!?」
「そんなものはもう興味ない。守る人ももう、いないから」
「……あたし達、友達でしょ!! 友達を置いていくの!?」
行かないで……アル。私、独りになるのは……嫌だよ。
「わかった」
アルは振り向いて、一瞬微笑んだ。
私はその笑顔にどれだけ救われたか。しかし――。
「もう僕たちは友達じゃない。絶交だ」
ゼッコウ………? トモダチジャナイ? 意味が……解らない。
遠ざかっていく小さな背中。玄関のドアノブを見つめていたあの時の私が蘇る。熱い雫が私の膝を濡らす。
また……また、捨てれてしまった。
「フィーナぁぁぁぁぁぁぁ! おい誰だよ、畜生!」
不意に後ろで若い男の声がした。それはあの馬車の向こう。アルが近づくなと言った場所だ。
そっと近づいてみて、私はすぐに後悔した。
ひどいものだった。二日前まで一緒にお茶を飲んで……笑い合っていたエイドス3姉妹……。血にまみれて……綺麗な顔が苦痛に歪んでいる。
アルは……これを……見たんだ。『黄金のヴァンブレイス』……さっきの奴がこれを……やったの?
目を逸らすと、そこにはかわいらしいクマのぬいぐるみがあった。きっと、アルが欲しいとおねだりしたぬいぐるみ。それはごく普通のぬいぐるみ……真っ赤である事を除けば。
もう一人、男がやってきてフィーナさんにすがり付いて、服を真っ赤にしていた少年にそっと語りかけた。
「ルヴェルド様、黄金の左手を見たという目撃情報が……」
「……わかった」
少年の目は狂気に満ちていた。やがてその場を去っていき、私一人が取り残される。
私は……家族を殺されたアルを引き止める事もできなかった。
私では……お姉さん達の代わりには……家族にはなりえないのか。
アルから家族を奪った『黄金のヴァンブレイス』……あいつが全ての元凶。……許せない。
アルを引き止められなかった無力な私。……許せない。
私を捨てて一人行ってしまったアル。……許せない。
許せない。許せない。許せない。
全てが許せない。