三十三話 ワタシノヤボウ
私は思わず息を飲んだ。大きな屋敷……庭の物置なんか、私の家と同じ広さがあった。綺麗な花がいっぱい咲いていて……とても同じ町の風景とは思えない。
それもそのはず。ここは領主様のお屋敷。私のような庶民が来るようなところではない。
「ロッテ、こっちだよ」
「あ、待ってよアル!」
アルに手を引かれ、私は屋敷の門をくぐる。程なくして、使用人のお爺さんが駆け寄り、『お帰りなさいませ、お坊ちゃま』と頭を恭しく下げる。
『うわあ』だ。正直な感想、それしか出てこない。
いつもの様に川原で私達は遊んだ。アルと童心になって遊ぶのもまた楽しくてしょうがなかった。意外と子供の遊びもあなどれない。
そんなある日、アルが『僕の家においでよ! 一緒におやつ食べよう』と無邪気な笑顔で私の袖を引っ張るので、付いてきてみたが……。
『うわあ』だ。色んな意味で。アルの家がお金持ちなのはそれとなく解っていた。でも、それが……まさか領主の息子だなんて……木の棒で叩かなくてよかったと、私はホッと胸をなでおろした。
アルが玄関の前で立ち止まり、ふと振り返った。
「どうしたの?」
「ん、あんたの家大きいな~って気後れしてたのよ。猫型ロボットのアニメに出てくるお坊ちゃんを、一瞬想像しちゃったわ」
「あはは。懐かしいね。ロッテは今、前世の物で何が一番欲しい?」
「んー」
私は一瞬考える。
「ヘアアイロンかな。あたしの髪って、けっこうクセ毛なのよね。朝がタイヘンで困ってるの、アルのサラサラした金髪が羨ましい」
わしゃわしゃとアルの頭を両手でごねてやる。アルは特に抵抗せずに苦笑いを浮かべて、私の手に弄ばれて『やめてよ、ロッテ』と言った。
「僕はやっぱりパソコンかな。ゲームもだけど、あんまり娯楽がないよね。ネットですぐに調べられたりしたのが懐かしいよ。他には?」
「焼酎かな」
「ロッテって、お酒飲めるんだ……」
「うん。やっぱ芋をお湯で割るのが一番よ。冬はそれに限るわよね」
アルは目をパチパチ動かして、返答に詰まった。その様子は小動物を連想させて、非常に可愛らしい。
あれ、ところでアルって前世でお酒とか飲まなかったのかな? 前世に関しては暗黙の了解というか、互いに聞かないことにしていたので、アルの前世については何も知らない。
今回、アルに初めて聞かれたのでそれに答えたのだけど……もしかして、アルって未成年だったのかな? 女の子だったりして? ていうか、もしかして私、前世がおっさんだとか勘違いされてない?
そう私が思いを巡らせていると、アルの後ろの扉が開いて、中から女の子が出てきた。
「アル、お帰りー。お、その子がロッテちゃんかー。かわいい子じゃない。友達第一号がこんなかわいい女の子なんて、セレーナお姉ちゃん、アルの将来が怖いわ」
お姉ちゃん、アルのお姉さんか。なるほど、確かによく似ている。年は10代の半ばくらいだけど、どことなく幼い印象を受けた。容姿ではなく、おそらく纏っている空気。内面的な物のせいかもしれない。
「ただいま、セレーナお姉ちゃん。レイナお姉ちゃんも、フィーナお姉ちゃんもいるの?」
レイナお姉ちゃん、フィーナお姉ちゃん……他に二人も姉がいるのか。これだけ年の離れた姉が3人もいれば、かなり可愛がられてそうだ。
前世でもそうだったけど、姉を持った男性はどことなくその雰囲気で解る。なんというか、直感的に。親和的というか、そんな空気を漂わせている。アルも多分にもれず、そうだった。
セレーナさんに案内され、私とアルは大きなテーブルのあるリビングへと案内される。
『うわあ』だ。またしても。何もかもが昔、夢の中に描いたお家のようで……またしても気後れしそうになる。これが金持ちか!
「はじめまして、ロッテちゃん。アルの姉のフィーナです。よろしくね」
髪の長い女性……おそらく、長女だ。フィーナさんが優しく微笑んでかがみこみ、目線を合わせてくれた。5歳の子供にここまで丁寧に接するあたり、やはり親のしつけがしっかりしているんだろう。
「ロッテちゃん。お目が高いわね、アルは優良物件よ。あ、私レイナね、よろしく」
同じようにして、セミロングの女の子が私と目線を合わせて、手を握る。この子は次女かな? じゃあ、セレーナさんは三女か。
自己紹介を済ませると、テーブルの上においしそうなお菓子がたくさん並べられ、いい香りの紅茶が丁寧に私のカップに注がれる。
メイドさんが一礼して去っていくと、さっそくティータイムが始まる。が――。
「アル、こっちおいで」
「ちょっと、アルはこっちよ!」
「やめなさい、アルが痛そうじゃないの」
「フィーナ姉さん、どさくさ紛れてアルを持っていかないでよ!」
『うわあ』だった。姉バカ×3の構図に私は気圧される。リビングではアル争奪戦が始まり、アルはあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと急がしそうだ。
私は今のうちに、クッキーを手に取り、頬張った。なんともいない甘さ。もう、涙が出るくらいにおいしい。アルめ、羨ましすぎる。
右手と左手を左右からお姉さんに引っ張られるアルを見て、ちょっと噴出しそうになった。アルは苦笑いのままそれに逆らおうとはしない。きっと、いつもの事なんだろう。
やがて、アルはフィーナさんの膝の上に納まることになり、事態にようやく収拾がついた。
……いいな、アル。こんなに素敵な家族と、こんなに立派なお家があって……。
「ロッテちゃん。遠慮しないで、一杯食べていいのよ」
無論、そのつもりだ。一杯食べて食いだめしておこう。……下品に思われない程度に。
「あなたは未来の義理の妹なんだから、いつでもここに来ていいんだからねっ!」
セレーナさんが私の隣に座って、私の肩を抱く。不思議な気持ち。
義理の妹……アルが私の旦那さん……? ふと、クッキーを食べる手を休めて想像を巡らせて見る。
この広いお屋敷でアルの帰りを待つ私。使用人たちに『奥様』と敬われ、かっこよく成長したアルに愛され、二人の間に可愛い子供が出来て……上が女の子で、下が男の子で……女の子は私に似てて……あ、髪はアルに似ていたほうが良いかな。一緒に料理作ったり……オシャレさせてあげたいな。
「……いいかも」
思わず口に出してしまった。けど、私は物置みたいな家に住んでる物置娘だ。そんな低所得の私と時期領主のアルが吊り合うだろうか? きっとアルにも許婚みたいな人がいるんじゃないだろうか?
いやいや、そこはあれだ。既成事実を作ってしまおう。そしてこのお姉さん達を味方に付けて外堀を埋めていけば……。
ルーンナイトになるよりも、こっちのほうが幸せかもしれない。アルとこのまま……一緒にいたい。
私は家に帰る途中。ポケットに忍ばせていたクッキーを頬張って、野望に思いを馳せた。