三十二話 ハナシタクナイヌクモリ
桶いっぱいに汲んだ井戸の水。その水面に赤い髪の女の子が映る。くたびれた服。つぎはぎだらけのスカート。……紛れも無い私自身だった。
私は、生まれ変わったらしい。しかも、地球じゃない異世界みたいで、ルーンだなんて魔法のあるなんともファンタジーな世界だ。
新しい人生。ご丁寧に前世の記憶が残っているだなんて、神様も残酷な事をしてくれた。絶望の記憶は何年経っても色あせず、目を瞑ったら思い出してしまいそうになる。
5年経った今は……まだ、マシか。代わりに新しい問題が生まれたが。
「おい、ロッテ! 水を汲むのに何もたついてやがる! さっさとしねえか!」
「……ごめんなさい、お父さん」
声の主は私の父親だ。生まれ変わった私の家はとてつもなく貧乏だった。母は私を産んで1,2年して父から逃げたらしい。原因は父の暴力だ。
それは程なくして、ターゲットを私へと変えた。ずっと憧れていた父親と母親。私の夢はあっさり打ち砕かれてしまったわけだ。
あざだらけの体にムチ打って、重い桶を家まで運ぶ。まったく、こんな重労働を5歳の子供にさせるなんて……現代日本じゃ幼児虐待もいいところだ。
水道の蛇口をひねって水が出てくるっていうのは、何て幸運なことなんだろうか。文明って素晴らしい。
家に帰ると、父親は昼間から酒を飲んで寝転んでいた。仕事は何をやっているのか知らないが、一応稼ぎはあるらしい。やがて大きないびきをかいて、そのまま寝静まった。
鼻と口をつまんでやろうかと思いたくなる、憎たらしい寝顔を飛び越えて、私は外に出る。
川原までやってきて、子供達がるーんないとごっこをしているのが目に映った。木の棒でチャンバラごっこ。男の子らしい遊びだ。ほどなくして彼らは飽きてしまったのか、棒を放り投げて家へ帰って行った。
ルーンナイト。この国で7人しかいないという、国の誉れ。最高の剣術とルーンの技術を持った騎士……。実力さえあれば、身分、性別を問わず誰にだってなれる。
女性ルーンナイトは未だ存在しないらしいが……もし、私がルーンナイトになることができたら……こんなゴミ箱生活から抜け出せるだろうか?
木の棒を手に取り、上下、左右に振ってみる。
私にはルーンの才能があった。けれど、それを父親に見せた事はない。きっと私の才能を利用したがるだろうから。
もう一つ、私には特別な力がある。……魂を見ることが出来るのだ。人によってはその輝きは様々で、傷が付いたり、小さかったり……特に傷付いた魂の持ち主はルーンに関する才能と前世の記憶をもっているらしかった。
といっても、年とともに忘れていってしまうみたいだが。
私の魂は……ひどいものだった。
前世の記憶が関係しているのか? 解らないが、とにかく私にルーンの才能があることは確かだ。
せっかく生まれ変わったのだ。この世界で……誰にも裏切られない、誰にも頼らなくて済む自分になりたい。ルーンナイトっていうのに……なってやる。
再び、上下左右に木の棒を振る。すると目の端に人影を捉え、ちらりと盗み見た。
幼い男の子だった。年は私と同じくらい……? 金色の髪と青い瞳のかわいらしい男の子だった。上等な服に身を包み、分厚い本を持って川原にやってきた。
私は自分の姿に目をやる。いかにも、貧乏な家の汚い子供らしくて泣けてくる。私だって……せめて生まれる家さえ間違わなければ……。
彼を見ていると、少し腹が立ってしまった。何の苦労も無く、家族に愛され育ってきたんだろう。少し、いじめちゃおうか。
一心不乱に読みふけっている彼から本を奪い取る。すぐに彼は反応して私を見上げた。
「殴っていい?」
半分本気だ。
「はあ?」
まあ、初対面の相手にいきなり殴っていい? と聞かれて『いいよ!』と笑顔で返されても私はドン引きするけど。
けれども……すぐに私の気持ちは変わった。彼の魂は……ひどかった。傷だらけ……ううん。キレイな所が無い。私と同じくらいに……。
興味を持った。本当は追いかけるつもりはなかったのに……彼の事を知りたくなった。
彼を引きとめ、少し話をして……それからすぐの事。異形が私達を襲った。私達は逃げた。けれど、結局追いつかれてダメかなと思った時。
彼はなんと、異形をルーンで焼き払ったのだ。その背中はとても幼い子供のものじゃない。とても、大きくてかっこよかった。
そしてそのルーン……子供があそこまでの力を持っているだなんて……信じろといわれても信じられない。
彼は、ルーンナイトになりたい。と言った。私と同じ目標を持ち、似たように魂に傷を持つもの同士……。
もっと……彼の事を知りたくなった。そっと右手を差し出し、彼は私の手を握り返してくれた。
小さいけど、暖かい。久しぶりに感じたぬくもり。離したくない、また、会いたい。
だから、友達になろうって切り出した。彼は笑顔で『よろしく』と答えた。
アルフレッド・エイドス。それが彼の名前。
私がこの世界で孤独から開放された瞬間だった。