二十三話 オルビア
街の門で僕と師匠を待っていたのは、ルヴェルドだけではなかった。
「おはよう、少年。今日は自分の依頼した仕事に同行してくれて助かる」
ルヴェルドの横で腕立て伏せをしていた少女騎士。オルビアがキラキラ光る汗を弾いて、爽やかに笑った。同じ汗でもルヴェルドのとはえらい違いだ。
「へっくし! あー朝は冷えるなぁ。いや、誰かこのいいオトコの噂でもしてるな、こいつは?」
ルヴェルドがにへへと薄気味悪い笑みを浮かべる。
「ふう、こんなものか。朝は腕立て伏せに限るな! 見てくれ、このパンパンに張った大胸筋を!」
オルビアが胸当てを外し、僕に近寄り、胸を前に出す。……本人は大胸筋と言っているが、どこからどう見ても、女性のふくよかな胸だ。
「ふふ、少年。この筋肉、羨ましいだろう、触ってみるか?」
「は、はあ!?」
師匠ほどではないが、大きくて形もイイ。男のロマンがそこにあると言っても過言ではない。
「遠慮しなくていいぞ。なんなら叩いてくれても構わない。叩いて筋繊維を断裂させ、筋肉痛を起こしてだな……」
オルビアの筋肉談義が始まり、やがて彼女は一人で違う世界に旅立った。
叩けと言われても……いや、叩きたいけども。むしろこっちが頼みたいくらいだが……。
『じゃあ俺が』とよだれを垂らしたルヴェルドが、その魔の手を未知のフロンティアへ伸ばそうとするが、オルビアはそれを拒み、逆にルヴェルドの胸に正拳を打ち込んだ。
「ルヴェルド殿。心地いいだろう、筋肉痛は? あ、そうだ。今夜も一緒に熱く燃えようではないか! この前のあれはすごかったぞ! 自分もさすがに壊れてしまうかと思うくらいの衝撃だった」
筋トレの話のはずなのに、何でこんなにエロく聞こえてしまうのだろうか?
「おっと、いかん。まただ……筋肉の話になると周りが見えなくなる……そこが自分のチャームポイントでもあるのだがな」
『ワハハ』と笑って胸当てを装着し、オルビアは騎士の顔になる。チャームポイントだったのか。
「さて、残念だが筋肉の話は置いておくとしよう」
別に残念ではないが。
「君達も知ってのとおり、ガルダの巣を叩き、討つ。民間人を守る事が騎士の仕事なのだが、今回はいかんせん相手が悪い。本来ならば君達も民間人。心苦しいのだが、ルーンを扱える騎士はヴィーグには自分とガイザー様しかいない」
「任せとけって。ガルダは仲良く四等分だ。皆でおいしくいただこうじゃないの」
ルヴェルドが舌なめずりして、獰猛な犬の様に吼える。僕なら迷わずダンボールに詰め込んで、雨の日に捨てるような犬の顔だ。
「うむ。存分に腕を振るってくれ。報酬は弾もう。場所はここから小一時間ほど歩いた森の中だ。気を付けてくれ、ヤツは獲物を見つけると空から襲ってくる。常に頭上に気を配るように」
「わかったわ」
僕と師匠は力強くそれに頷く。そして僕ら4人は街の門を出て、ここに来たときとは逆の方向の道を歩き、森を目指した。しばらく歩いて、目的地に到着する。
「これは……」
巣はもぬけの空だった。辺りには何の気配も無い。
「エサを調達しに行ったか?」
「エサ……って何を食べるんです、オルビアさん?」
「人間だ」
「まずいわね。被害が出ないうちに討伐しないと……」
「へっへっへっへ」
ルヴェルドが不敵に笑い、一同を見渡す。
「策ならあるぜ」
「ほう? 何だ、筋肉で釣るのか?」
筋肉から離れようよ。
「囮だよ。ガルダは若い女の肉が好物なんだ……」
そう言ってルヴェルドは師匠を見る。
「何だ、自分の筋肉ではダメなのか?」
オルビアが不服そうに顔をしかめる。
「あの、私ですか?」
「セインちゃん、服を脱げ」
ルヴェルドの顔が、下心一杯に笑う。
「いや、何で脱ぐ必要あるんです? 普通に歩いてるんじゃダメなんですか? 別に反対ってわけじゃないんですけど」
反対しろ、僕! 師匠のピンチじゃないか!
「へ、考えてみろアルちゃん。目の前に裸のおねーちゃんがいたら、どうする? 俺なら迷わず突撃するね」
「いや、ガルダはあなたじゃないでしょ」
「なるほど、一理あるな」
オルビアが妙に納得した顔で頷く。
「筋肉を見たら食いつかずにはいられないだろう。悲しいかな、それが本能というものだ」
「いやいや、ガルダはあなたじゃないでしょ」
「決まりだな」
「え、そんなの師匠が承諾するわけ――」
ふと見れば師匠が上着のボタンを3つほど外し終わったところだった。
「ダメですってば、師匠!」
「だって、暑いんだもん。ちょうどいいかなーって」
「嫁入り前の若い娘が人前で素肌さらしちゃいけませんってば!」
「チ」
ルヴェルドが背後で舌打ちしたのが聞こえた。
「なら、自分の筋肉の見せ所か」
今度はオルビアが胸当てを外し、臨戦態勢になりつつあったのを僕は止める。
「チ」
ルヴェルドが背後で舌打ちしたのが聞こえた。いいオトコはくだらない所にやたら知恵が回るらしい。
ジト目でルヴェルドを睨むと、ふいに辺りが暗くなった。そして、頭上から何かが落ちる音が僕の耳に届く。
「師匠、オルビアさん、離れて!」
一瞬の事だ。僕のセリフが終わるか終わらないかの間にルヴェルドは、白い物の下敷きになった。2メートルほどの体長に4枚の翼。こいつが……空の悪魔、ガルダ。
「ルヴェルドさん!」
「なかなか……グルメじゃないの、ガルダちゃんってば。若い女よりいいオトコをご所望みたいだぜ?」
仰向けに倒れたルヴェルドに、鋭いくちばしが突き付けられ、ルヴェルドは右手……義手でそれを食い止める。そして、ルーンを唱え左手を水平に伸ばすと、そこに風が収束し緑色のボウガンが精製された。
風の武器化。ルヴェルドは左手のボウガンを零距離で腹に打ち込むと、ガルダは悲鳴を上げてのけ反った。
「俺を殺すにゃあ、愛がたりねーな。ガルダちゃんよ、お手本を見せてやるぜ、俺の愛がお前の心臓を貫く……!」
「4対1か……囲むぞ、早々にケリをつけるんだ」
「いや」
「繁殖しちゃったみたいですね……」
頭上からさらに3つの影。僕を一直線に狙ってきた。
意識を集中する。草原を走る疾風をイメージして、風のルーンを唱える。靴底に風を収束。音を置き去りにして疾駆する。
一匹目のくちばしが空を切った瞬間、彼の目に映ったのは首を落とされた自分の体。思考する間もなく、彼の命は絶える。高速で動く僕の動きを捉えることはかなわない。リトを助けたときに使ったこの技術も、今ではすっかりサマになるくらい使いこなせている。
二匹目が爪で僕をえぐろうと低空で迫る。素早く、右横へ回避。木々の間を縫うように走り、風と一つになる。木の枝を伝い、そこから跳躍し、ガルダに肉薄する。思考する時間を与えない。
火のルーンを唱え、顔面に火炎をバーナーの様に放射する。空中で焼け焦げ、先日師匠が調理した黒い化石。もといパンケーキのようになって地面へ落ちる。
「あと、二匹」