二十二話 ソラノアクマ
次の日。午前中の仕事を終え、昼食にありつこうと外に出ようとした時。作業場の入り口でシャイドさんと誰かが言い争っている声が聞こえた。
「帰ってくれ! もう話し合う事など無い! ガイザー様にもそう伝えてくれ! ……お前達との関係もここまでだ」
「理事長……ガイザー様のお言葉、確かに伝えました。それでは、私はこれで」
騎士らしき男が、シャイドさんに背を向け帰ろうとするが、その背中にシャイドさんが怒鳴りつける。
「二度と来るな! もう私は決めたんだ、お前達の事は陛下に包み隠さず全て暴露させてもらう!」
男が振り返り、冷たい視線をシャイドさんに向けた。
「……本気ですか?」
「本気だ……」
一瞬その視線にシャイドさんはたじろぐが、毅然とした態度で男と対峙する。
「いいでしょう。あなたの考えは解りました。……せいぜい後悔しなさい」
今度こそ男は去っていき、シャイドさんがその背中を怖い目でいつまでも睨み続けていた。一体何だったんだ?
「シャイドさん……?」
声をかけた瞬間、シャイドさんの背中が大きくのけ反り、驚いた顔でこちらに振り返った。しかし、それも一瞬の事で、すぐに平静を装っていつもの優しい瞳で僕を見る。
「ああ、アルフレッド君か。今日はもうあがっていいよ。ここ最近、よく頑張ってくれてるからね、午後と明日はお休みをあげるから、のんびりしなさい」
優しい笑顔。さっきまでの怒声も怒りに震えていた体も、どこにもその面影はなかった。
「はい、ありがとうございます」
「私はちょっと用事が出来たから、これで失礼するよ」
シャイドさんが作業場の奥に消えた後、僕はその場に立ち尽くした。シャイドさんは、何かを隠している……それが何かははっきりとは解らないが、悪いことの様な気がして、僕の胸にもやもやとしたものが残った。
「どしたよ、そんな落ち込んだ顔して、やっぱ俺がいないと寂しいか?」
ふいに、能天気な声をかけられて僕はその声の主に目を向けた。
「ルヴェルドさん……?」
「よ、いいオトコ参上。しばらくぶりねー、アルちゃん。ちょっと時間ある?」
「ええ、これからお昼ご飯に行こうかなって、思ってたところです」
「そっか、ちょうどいいや。この前皆で昼飯食った食堂にでも行くか。たまには俺がおごっちゃうよ?」
「え?」
「ちょっと臨時収入が入ったもんでね」
僕はルヴェルドと、リトが全メニューを平らげたあの食堂へと赴き、あの時と同じ席に着いた。今度は二人だけなので、少し寂しい気がする。
「ルヴェルドさん、何か動きがぎこちないですね?」
まるで、油の切れたロボットのように鈍重な動きのルヴェルドを見て、僕は尋ねてみた。
「筋肉痛なのよ……オルビアちゃん、ハンパない……」
オルビアとの筋トレは相当なもののようだ。一週間以上経ってまだこの状態とは……あの時断っておいてよかったと胸をなでおろす。
「それより、何か用だったんですか?」
「ん、そうそう。明日空いてる? 俺とデートでも、どうよ?」
ニカっと白い歯を見せて笑うルヴェルド。
「気持ち悪いんでけっこうです」
即答。やっぱり、この人はそっちの気があるんじゃないだろうか?
「じょ、冗談よ、冗談。実は、異形狩りの仕事が入ったんだけどさ。ちょーっと手を貸してほしいのよね。これがまた、空を飛んで厄介なヤツなんだわ。ああ、もちろんちゃんと分け前は払うぜ?」
「空を飛ぶ異形……もしかして、ガルダですか?」
「ん、それよそれ。ガルダちゃん。どうもそいつが最近、街を出てすぐの所に巣を作っちまったらしくてな。繁殖されたら厄介だし、その駆除が目的なわけ。セインちゃんも呼んで、3人で仲良く焼き鳥パーティーと洒落込もうじゃない」
空を飛ぶ異形、ガルダ。お目にかかったことは無いが、何度かその噂を耳にしたことがある。鳥のような姿を持ち、4枚の翼で上空から旅人を鋭いくちばしで突き刺し食らう、空の悪魔。そいつの巣が出来たとなれば、厄介な事になりそうだ。
少し体もなまっていた所だし。ちょうどいい。どうせ、休みをもらっても一日中寝てしまうだろうし。
「引き受けますよ、ルヴェルドさん。どうせ暇ですから」
「お! そういうと思ってたよ、愛してるぜ、アルちゃん!」
この人に愛されたら、ようするにそれは憎まれたってことだろうか?
「あ、いや、言葉通りだぜ? アルちゃんはいい子でかわゆいし」
言葉通りでも気持ち悪いんだけど……。
「ところでルヴェルドさん。ヴィーグについてもっと詳しく教えてくれませんか? 例えば、シャイド理事長の事とか」
「ん? あー。そうな……。ヴィーグがエルドアのクレスト生産拠点ってのは、この前の授業で教えたよな?」
「はい」
そんな授業、受けた覚えは無いけど。
「この街はそれだけ重要な場所なわけだ。外敵からの脅威……異形やら、敵国の工作員から守るために、ルーンナイトがここの領主をやってる。ルーンナイトがここにいるってだけで敵の兵士は裸足で逃げ出しちまうもんさ」
「そのルーンナイトがガイザー、ですか」
「そ。ガイザーがここの領主になったのが5年前。今の理事長、シャイド・アルバーブが理事長になったのも5年前。偶然……かねえ?」
「においますね」
「え? 俺、臭い? 三日に一度は風呂はいってるんだけどなー」
毎日入れよ。
それにしても……ガイザーとシャイドさんは何か接点があるのだろうか? さっきの会話の内容から察するにシャイドさんは何かをガイザーに強要されていた?
いや、何の情報も確証も無いまま考えていても、仕方が無いか。
「他には?」
「んー。あくまで噂なんだが……」
ルヴェルドは言葉を切り、周囲を警戒しひそひそと小声で僕に話す。
「1級品クレスト……戦術級のヤツをだな。ガイザーは国に黙って密造して、それを裏ルートで他国に売りさばいて私腹を肥やしてるっていう、噂があるんだが……おーっと。何の確証もない、ただの噂だぜ、真に受けんなよ? 俺が知ってるのはそれくらいだな、あとはアルちゃんのご想像にお任せするわ」
噂。しかし、火の無いところに煙は立たない。噂の中に真実もあるはずだ。
「そんじゃ、アルちゃん。明日の朝8時に街の門に集合。セインちゃんには俺から伝えとくから」
「わかりました」
その後、ルヴェルドと少し世間話をして昼食を終え、店の前で別れ僕は帰宅した。
廊下を歩いていると、カリンが前からやってきてばったりと出会う。
「あれ、アルくん? お仕事、終わったの?」
「うん。午後と明日、休みをもらったんだ」
「そうなんだ……じゃあ、明日私がこの街を案内してあげようか? まだ、この街の事あんまり知らないよね?」
カリンが満面の笑みでそう提案するが、どうすべきか迷った。
「ごめん……明日、他に用事があるんだ。悪いんだけど……」
僕のその一言でカリンはしゅんと落ち込む。……悪いことをしてしまったか。けれども、約束は守らなくてはいけない。ガルダを狩る事はこの街の人々の安全……引いてはカリンの為にもなるのだし。
ガルダを狩るのは早いほうがいい。けれど、カリンと街を歩く時間はまだこれからつくれるはずだ。
「街の外に、異形が巣を作ったらしいんだ。放っておいたら危険だから、明日狩る事になったんだよ。だから、ごめん……今度ちゃんと時間を作るから」
「そう……仕方ない、ね。私もその異形の話は知ってるから……。でも、アルくんが異形狩りなんて、危険じゃない?」
「僕の事は大丈夫。旅で鍛えてるから」
そう言って僕は右の力コブを見せ、笑顔を作る。
カリンもそれを見て、くすりと笑う。
「わかった、明日がんばってね」
「うん。任せて!」
僕は部屋に戻り、ベッドに寝転ぶといつの間にか寝入ってしまい、目を覚ますと夕食の時間になっていた。しかし、夕食の時間になってもシャイドさんは姿を見せることはなかった。
ガイザーとシャイドさんの接点。それは、もしかしたら触れてはいけない闇の部分だったのかもしれない。しかし、あくまで噂は噂なのか……。
ガイザー・ドルベン。あの男は危険だ。もし、噂が本当で、昼間の出来事がシャイドさんがガイザーと袂を分かつ為の宣言だったとしたら……。シャイドさんは……。
僕はベッドの上で昼間の出来事を思い出し、あれこれと推測してみたが、答えは出ない。答えが出たところでどうしようもない。子供の僕が出る幕じゃないのかもしれない。それに、シャイドさんは全てを暴露すると言っていた。
きっとシャイドさんが、自分自身でケリを付けるのだろう。今日はきっとガイザーと手を切る為の準備をしているのではないか? もし、僕に出来る事があるのなら……シャイドさんには仕事を教えてもらったし、衣食住も与えてくれた。
恩がある。短い間だったけど、家族だった。力に……なりたい。そこまで考えて、僕は重くなったまぶたを閉じ、眠りに落ちた。
翌日。
ルヴェルドと約束の時間が迫り、僕と師匠は家を出る。家の門を出ようとした時、カリンが僕を呼び止めた。
「アルくん、ちょっと待って!」
カリンは余程急いでいたのか、パジャマにカーディガンを羽織っただけのかっこうで息を切らして、玄関の前に立っていた。
「すみません師匠。先に行ってください。すぐに追いつきますから」
師匠には先に行ってもらい、カリンの元へ向かう。
「カリン、どうしたの?」
「これ、持って行って……お父さんみたいにうまくは作れなかったけど、きっとアルくんを守ってくれるから」
カリンが手にしていたのは黄色い札……クレストだった。
「これは?」
「守護のクレストだよ。一度だけ、衝撃から身を守ってくれるの。大地のルーンが刻まれていて、衝撃を感知するとクレストが硬い石に変化する仕組みなの」
「ありがとう、もしかしてこれ、カリンが?」
「うん。私もお父さんの手伝いで、クレストを作ったことがあるんだけど、あんまり才能ないから……うまくいかなくて」
カリンの目を見ると、少し充血していてまだ眠そうだった。徹夜してこれを作ったのか……。
「そういえば、伯父さんは?」
「帰ってきてない。けど、よくあるんだよ? たいていお酒飲んでそのままお店で寝ちゃってるのがパターンだから、気にしなくていいよ」
帰ってきていない? 少し胸に不安が募るが僕はその不安を打ち消す。シャイドさんだって、大人の男だ。昨日、強気に出たのも、何か勝算があったからに違いない。
だから僕は、その不安を胸の奥にしまいこんでカリンに笑顔を見せた。
「行ってくるよ。大丈夫、ちゃんと退治してくるから。だから、カリンは待ってて。次の休みがもらえたら、僕に街を案内してよ」
「うん、今度は絶対だからね!」
「約束する」
カリンに笑顔で見送られ、僕は歩き出した。『行ってらっしゃい』、『行ってきます』その二つの言葉が僕らの間を飛び交った後に……。