二十一話 ハツコイ
起床。朝食。出勤。仕事。昼休憩。仕事。帰宅。夕食。就寝。
そのサイクルに慣れるのに、一週間ほどかかった。不規則かつ、不安定な生活をこれまで続けてきたので、規則正しい生活というのもかなり新鮮だったけれど。
「おかえりなさい、アルくん。今日はどうだった?」
夕方。家に帰り、庭で花に水をやっていたカリンが僕を出迎えてくれた。
「ようやく、なれ始めた……かな? ちょっと肩がこるかも、あの仕事」
「おじさんみたいな事言うのね、アルくん。大丈夫よ。お父さんが『アルフレッド君はクレストメーカーの才能ある』って、べた褒めしてたんだから。すぐになれちゃうって!」
「はは……ありがとう」
「お腹空いたでしょう? リトがテーブルに着いてるから、一緒に座って待ってて、私もこれ終わったらすぐに行くから!」
「うん、わかった」
家の中に入り、自分にあてがわれた部屋へと向かう。荷物を置いて、リビングへ。リビングの扉を開けると、行儀悪く足をブラブラさせていたリトがイスを倒して、僕の元にやってくる。
「おかえりなさいっ! アルお兄ちゃん!」
「ただいま、リト」
『おかえりなさい』、『ただいま』。長らく無縁だったその二つの単語に僕は、胸がしんみりとした。
僕は、クレストメーカー見習いとして、住み込みでシャイドさんの職場で働かせてもらう事にした。
シャイドさんからお金は受け取れない。けれど旅費を稼ぐために、仕事をしないといけない。シャイドさんの願い……リトの事も気がかりでもあった。でも、立ち止まってはいけない。
しばらく、この街で働いてリトの心が落ち着くまで、シャイドさんの家で供に過ごし、クレストメーカー見習いで得たお金を旅費に充てる。
これなら、クレストの製造技術も盗めるし、シャイドさんの職場には、地方や都会から来るお客さんもたくさんいるので、情報を得るにはうってつけだったからだ。
たくさんメリットはある。宿泊費もかからないし。これが今の僕の、答え。
「今日の夕食ね。リトもお手伝いしたんだよー。顎が砕けるくらいおいしいんだからっ!」
「あはは。そんなにおいしいんだ? 楽しみだよ、リトのお手伝いした料理」
顎……大丈夫かな?
リトは元気に明るく笑う。やはり眩しい、この子の笑顔は。
だから、ごめんリト。あと少ししたら、僕は行くよ。もう二度と会うことはないかもしれない。でも、君の事は忘れないからね。
心の中で、リトの眩しい笑顔に手を合わせ謝罪する。いつここを出るか。笑顔の裏で僕はここを発つ時のことを考えていた。『大丈夫、どこにも行かない』なんて、平然とウソを付きながら。
別れは告げない方がいい。後ろ髪を引かれる。突然いなくなる事にリトはどう思うだろうか? もしかしたら僕を恨むかもしれない。むしろ、その方がいいのか。
その感情が生きる力になってくれれば、僕はいくらでも悪になる。リトが、元気でいてくれるなら。
「お待たせ、アルくん。セインさん、それこっちに置いてください」
「はーい」
カリンとエプロンドレス姿の師匠が、次々と料理をテーブルに乗せて行く。師匠はこの家でメイドさんとして働いている。中々……いい。僕の見立ては間違っていなかったようだ。
師匠もルーンを使えるので、一緒にクレストメーカー見習いをやってもよかったんだけど、昼間はリトの側にいてもらう事にした。この家のメイドをしてもらえば、仕事にもなるし、リトの側にいてもらえる。まさに一石二鳥だ。けれど、半分は僕の趣味だったっていうのは師匠には内緒。僕にとっては一石三鳥だったりする。
「ルヴェルド。ちゃんと生きてるかなー?」
「うーん、殺しても死なないから大丈夫だよ、きっと」
ルヴェルドは『仕事がある』といって一週間前に別れたままだ。その日の夜、中央広場で大きな男が『筋肉バンザイ!』と奇声をあげていたと小耳に挟んだが、おそらくいいオトコのことであろう。オルビアと何があったのだろうか。
ちなみにこの『怪人筋肉男』は、後にヴィーグの都市伝説として脈々と人々の間で語り継がれていく。
ほどなくして、シャイドさん達もテーブルに着き、料理と家族がそろった。
「じゃあ、みんなでいただこうか」
その言葉を皮切りに、電光石火のごとくフォークやスプーンがテーブルの上を飛び交う。テーブルの上には団体のお客さんでも来るのかと思うくらいの料理が並べられていた。
「おや、アルフレッド君。遠慮しないでいいんだよ? もっと食べなさい」
「アルくんは男の子なんだから、もっと食べなきゃ、はい」
「このミートパイは、おばさんの得意料理なのよ。お口に合うといいのだけど」
「アルちゃんの大好きなパンケーキ、デザートに作ったの。黒く焦げちゃったけど、味は大丈夫だから、色々気にしちゃだめよ?」
「アルお兄ちゃん、これリトの作ったお料理だよっ! たくさん食べて顎砕けてね!」
「いえ、僕は……」
大量に盛られた僕の皿。5人から一斉にそれぞれ料理を盛られて、僕の皿は無法地帯と化す。一番上に乗った黒い化石が師匠のパンケーキだろうか? 師匠が瞬きするコンマ何秒かの瞬間に、皿から排除せねば……命が危ない気がする。
シャイドさんが肉の塊を一瞬で葬り去り、カリンが魔法のように魚介スープを皿から消し、おばさんが数斤のパンを蹴散らした……アルバーブ家の面々は恐ろしいくらいのカロリーを摂取している。リトの食欲は遺伝だったのだろう。シャイドさんもカリンも、リトに負けない程の食料を平らげる。僕は顎が砕けそうになるくらい咀嚼して、満腹感と供に夜の風を感じるため、庭に出た。
夜空に散りばめられた星を見上げ、重く息を吐く。あの一家の食事に付き合うと身が持たない。師匠はなぜかタメを張っているが、旅に出た時胃袋が大きくなっていたらと思うと、少し鬱になった。
「アルくん。ここにいたんだ?」
振り返るとカリンがそこにいた。涼しげな眼差しで微笑んでいる。
「リトに聞いたんだけど……アルくんってさ……旅、してるんだよね、何で?」
「……人を探してるんだ」
だが、その返事はカリンの興味を引いてしまったらしい。
「え、なになに? もしかして、恋人!?」
「……運命の人、かな」
あの日初めて師匠と僕が出会ったときの様に、師匠がそう言った様に、僕もカリンにそう言った。
「そう……なんだ」
カリンは少し、いたずらを咎められた子供のような顔をした。きっと、あの時の僕もこんな顔をしていたんだろう。
「じゃあ」
カリンは少し前に出て、僕との距離を縮める。
「旅が終わったら……どうするの?」
「え?」
終わったら、か……考えたことも無かった。
「……考えてなかったな……」
「それなら……」
もう一歩。カリンは前に出る。
「ここに、戻ってこない?」
「ここに?」
「うんっ」
カリンの笑顔が近くで咲いた。夜であるというのに、庭で咲き誇る花々よりも鮮やかに、力強く、眩しく、美しく咲き誇っている。僕は、その笑顔に一瞬心を奪われてしまう。僕の荒んだ心を包み込むかの様な、その笑顔。彼女もまた、誰かを照らす光か。
「お父さん、アルくんの事すごく気に入ってるの。注文が立て込んで忙しい時期だったけど、アルくんのおかげで納期、間に合いそうなんだって」
「そっか、役に立ててよかったよ」
「クレストメーカーとしての才能、すごくあると思う。だから、全部終わったらヴィーグに戻ってきなよ。私……待ってるから」
カリンの瞳が少し潤む。優しい風が吹いて、彼女の髪を少し揺らし僕は目を逸らした。僕の中に芽生えつつある感情を、ごまかすために。
全てが終わったら……ここで暮らすのも悪く無いかもしれない。なにより、僕の頭にさっきのカリンの笑顔が焼きついたまま離れない。
カリンの『待ってるから』は……どういう意味か? いや、考えるのはやめよう。今の僕には、邪魔な感情だ。今は。
「そうだね、考えておくよ」
僕は、素っ気無く当たり障りのない返事をした。背を向けて、その場を去る。
「アルくん、おやすみ! また、明日ね!」
「おやすみ、カリン。また明日」
灯りの無い、暗い部屋で僕はベッドの上に転がり、天井を見上げる。天井に浮かんでは消える、カリンの笑顔。それをかき消すため、まぶたを閉じる。また浮かんでは消える彼女の笑顔。
「カリン……」
生まれ変わって、初めての恋。14歳の僕は、未来の僕に何を見出すだろうか。将来。全てが終わったら……どうする? やりたい事は何? なりたい職業は? 夢はある?
未来への不安と、初恋と……色々な感情がごちゃまぜになったまま、僕は次の日を迎えた。