二十話 ボクハカゲ
僕は気絶からなんとか立ち直ると、すっかりやせ細った財布を右手に、食堂から出た。そこで当初の目的、リトの伯父夫婦の家に向かうことになり、皆そろって歩き出す。
「リトの伯父さんって、どんな人なの?」
元気に隣を歩くリトに、質問。お腹いっぱいになってご機嫌なのか、満面の笑みで答えてくれた。
「んー、とっても優しいのっ! いっぱいご飯食べさせてくれるから! あ……ご飯のこと考えたら、またお腹空いてきちゃった……うー……アルお兄ちゃん、リト、あれ欲しいなあ」
リトはクルクルと直火で炙られている豚肉を指差して言った。まだ食べるのか、この子は。
「リト、僕もリトの伯父さんに早く会ってみたいよ! さあ、ダッシュダッシュ! 伯父さんの家で何か食べさせてもらおう、ね?」
「うん、そうだねっ」
これ以上何も食わせるか! 颯爽と走るリトの後を追い、僕らは伯父夫婦の家にたどり着く。
正直な感想、驚いた。街でも一番大きな家だったからだ。リトの伯父さんは、一体何をしている人なんだろう? 驚いていた僕の顔を見て、リトは自慢げな顔で胸を張って、教えてくれた。
「リトの伯父さんね、ヴィーグのクレスト職人で一番偉いのっ! しょーぎょーくみあいのりじちょーなんだよ」
「ヴィーグ商業組合の理事長か。そら、いい伯父さん持ったな、リトたん」
「知っているんですか、ルヴェルドさん?」
「そらな。クレストはこの国の主産業の一つだ。この国、エルドアにとっちゃ外貨を稼ぐ、重要な物資だからな。エルドア産クレストは高品質で、どこの国でも高く取引される。んで。ヴィーグはエルドア最大のクレスト生産拠点だ。そこの商業組合の理事長ってことは、な?」
金持ちってわけか。
「リト!? こんなところでどうしたの?」
「あ、カリンおねーちゃん! 久しぶり!」
門の向こうから、少女の驚いた声が聞こえてきて、リトはその声の主の元へ駆け寄った。
その声の主へ目を向ける。顔のつくりなどはリトに似ているが、頭髪は青く、髪はサイドテールで腰まである。リトがちょっとお姉さんになった感じか。
「あの、私達……」
師匠が少女、カリンに事情を説明し、僕らは中に通されることになった。
カリンは伯父夫婦の娘で、リトの従姉妹らしい。そのカリンの案内でリビングに通され、僕らはテーブルのイスに腰掛け、この家の主を待った。
ふと、向いに座るカリンと目が合う。軽く微笑んで、僕をやわらかく見つめる。ちょっと恥ずかしくなって、僕は目をそらした。まるで、お見合いの席のようだ。
「待たせたね」
扉の前には、リトの伯父夫婦が柔和な笑みを浮かべて立っていた。優しそうな空気を持っている、眼鏡の向こうの瞳がそれをすべて物語っていた。
「リト、こっちにいらっしゃい」
伯母さんがリトの手を引いて、部屋から退出したのを見届けると、テーブルに着いた伯父さんは口を開いた。
「君がアルフレッド君だね? 私はリトの伯父、シャイド・アルバーブだ。リトの話と、村長さんのお手紙で、君の事は聞いている。この度は、本当にありがとう……」
「え? いえ……」
「手紙を読んだよ。弟は……残念だ。だが、あの子が無事だっただけでも本当によかった」
シャイドさんは涙ぐみ、大粒の涙が頬を伝いテーブルの上をそれが濡らす。そうだ。リトのお父さん、この人の弟さんは亡くなったんだ。
「君が弟の仇をとってくれたことも手紙には書いてあるよ。リトは、自分の父親が目の前で殺されるのを見てしまったらしい。その時、家から包丁を持ち出したリトは、君が仇の山賊を討ったのを見ていたのだそうだ」
「そうですか……」
リトは……あの時、あれを見ていたのか。
「リトが取り乱さずにここまでこれたのは、君のおかげだと私は思っている。目の前で弟の仇を討ってくれた君は、リトにとってとても大きな存在なんだろうね」
もし、8年前のあの日。黄金のヴァンブレイスを、僕より少し年上の少女が討っていたら……僕にとってその人は言葉で言い表せないくらい、偉大で輝いて見えたろう。光の様に……。
三日前の夕方。村を出た時のリトの『ありがとう』はそんなにも重かったのだと、今更ながら気が付いた。そして僕はそれに、『当然の事をしただけだ』と答えた。僕は軽い気持ちでその言葉を使ったが、リトの胸には重くのしかかったのだろう。
今ならば、あの時の涙の意味がわかる。リトにとって僕は……光だったのだ。
「君は旅をしていると聞いた。これを……報酬だと思って受け取ってくれないだろうか? 決して大きな額ではないが、せめてもの私の気持ちだ」
シャイドさんが取り出したのは、グリセス討伐の報酬の倍はあろうかという金額のお金だった。
「いえ、けっこうです」
僕はそれを手で制する。
「受け取れませんよ。そのお金。子供の養育ってお金がかかるものでしょう? それは、リトに使ってあげてください」
「アルフレッド君……」
本当は、喉から手が出るほど欲しい。でも、受け取れない。
僕は決して光なんかじゃない。勘違いをされては……困る。僕は影。お金を受け取らないのは、それを戒めるため。
無論、リトのためというのも理由の一つではあるが、理由の一つでしかない。
僕は光にはなれない。なってはいけない。
「なら、せめてしばらくここに滞在していってくれないか? 今、君がリトの前から消えたら……あの子はきっと耐えられないだろう。しばらくでいい、もうしばらく、リトの側にいてやってくれ!」
シャイドさんが懸命に頭を下げるのを見て、僕は複雑な気持ちになった。本当はすぐにでもここを発つべきなんだろう。これ以上は情が移る。この数日、リトに振り回されてばかりだったけど、楽しくもあった。リトの笑顔は眩しい……僕にとってもリトは光。けれど駄目だ。光は影を食う。
影は光に食われ……その姿をいつか消す。駄目なんだ、姉さん達の仇を取るまでは……思い出せ、あの日を。姉さん達はどんな風に殺された? どんな最後だった? あいつは……どんな風に笑った? 思い出せ。
僕は立ち止まってはいけない。けれども……旅費がないのもまた事実だ。この街で仕事をしつつ、黄金のヴァンブレイスの情報を集める……その為には……。
「シャイドさん、お願いがあります」