一話 テンセイ
その日、僕は死んだ。見知らぬ男に家族を殺され、それを見つけた僕も胸を刺されて、死んだ。
その日は僕の誕生日だった。16歳の誕生日。地味だし、招く友人もいないけど、家族がささやかに祝ってくれる1年で一番大切な日だった。
玄関を開けて靴を脱ぐが反応が無い。おそらく、僕を驚かせようと物影に潜んでいるのだろうと思い、おおげさにリビングを開けて逆に驚かしてやろうとしたが、それはできなかった。
リビングはめちゃくちゃに荒らされていて、僕はそれを発見する。テーブルの上の血塗れのバースデーケーキと、その横で頭から血を流した母。
自慢の長い髪が、数本束になって捨てられており、相当な苦痛を伴ったのだろう、顔は血と涙にまみれ、とても正視できなかった。
僕は逃げるようにソファに視線を向けると、バスタオルにくるまれた何かを発見した。乾いた喉でソファに近づき、おそるおそるバスタオルを剥がし、中身をさらけ出すと声を上げそうになった。
変わり果てた双子の弟と妹が、そこにいた。それぞれ両手で小さな包みを握り締め、離すまいとしっかりと握り締めている。僕はその包みが何であるかを知っている。
それは、彼らが僕に悟られまいと一生懸命貯金したお金で買った、僕へのプレゼントだ。
「何だよ、これ」
そう、搾り出すのがやっとだった。同時に、湧き上がるドス黒い感情と家族を失った虚無感。その時、僕をつき動かしたのは殺意だった。
「殺してやる、犯人を殺してやる……」
台所から包丁を抜き取り、1階を奇声とも怒声とも解らない叫び声を上げて探し回る。トイレ、風呂場、和室、押入れ――。
1階のどこにも犯人の姿はない。なら……。
「2階……」
僕は階段を叩き潰すかの様に駆け上がり、階段から一番近い部屋、弟と妹の部屋のドアを乱暴にこじ開けた。
小学校に上がったばかりの彼らの部屋は、学習机が隣あって並べられており、その脇には二段ベッドがある。彼らはとても仲が良く、いつも僕を左右から引っ張るように、遊んでくれと懇願する。
だが、それももうない。彼らは下の階で……思い出したところでまた怒りが湧き上がった。床に放り投げられた赤と黒のランドセルを飛び越え、次の部屋を目指す。
僕の部屋だった。勝手知ったる我が城も、今や魔物が潜む洞窟も同然。だが、そんなものは恐怖の内に入らない。恐怖などという感情は、僕の中に芽生えた殺意がすべて飲み込んでしまっている。
ドアノブを握り、ドアを右足で思いっきり蹴飛ばす。中を見て愕然とする。犯人の姿は、ない。室内も荒らされた様子はなく、僕が登校する前の状態そのままだ。ベッドの上に脱ぎ捨てたパジャマも、床の上に散乱する漫画雑誌もそのまま。
そもそも、犯人はまだこの家にいるのか? 頭に血が昇りきっていたせいか、僕は冷静な判断が出来ずにいた。そうだ。まずは救急車を呼ばなくては――。そう考えてドアノブに手を回した時。
突然、世界が揺れた。頭に強烈な鈍い痛みを感じ、前のめりに倒れこむ。誰かに殴られたのか? 背中に気配を感じ、僕はとにかく逃げ出した。逃げ出した? さっきまであれだけ殺してやると目を真っ赤にしていたのに?
頭の中では警報が鳴り、逃げ出せと叫び狂い、体はそれに逆らうことなく一分一秒でも長く生を享受したいと、醜く這い蹲ることをよしとする。僕は……仇を取ることよりも逃げることを選んだ。選んでしまった。
急に怖くなった。生まれてこの方喧嘩もしたことがない僕が、初めて殴られた。初めて感じた激痛、初めて向けられた殺意は、僕のちっぽけな勇気を跡形もなく踏み潰し、嘲笑った。
後頭部に広がる痛みと吐き気を抑え、なんとか両親の寝室まで逃げ伸び、体をバリケードの様にして、ドアに体重を預ける。
すでに包丁は僕の手元にはない。殴られた拍子に手放してしまったからだ。そして、僕は聞いた。床を遠慮がちに歩く犯人の足音を。死神の足音を。もう、逃げられない。
僕は目を閉じた。そして、ただひたすら待った。この命果てるときを――。
そして、その時が来た。僕が放り投げた包丁を使って男が僕を刺した。見知らぬ男だった。だが、それよりも刺された胸の痛みが僕の思考を無理矢理奪い、起き上がれないくらいの激痛が僕を包み込んだ。痛い、というレベルの話ではない。熱くて痛くて……のたうち回って、やがて僕の意識は途切れ、終わりを迎えた。
暗闇の中で僕は願った。『もう一度生を受けることがあるなら、あいつを殺したい――と』。
僕の意識は底の無い闇へと落ちて行く。やがて暖かい光に包まれたと思ったら、次の瞬間には暗い空間をさまよっていた。
その空間は僕だけが支配する僕だけの世界。暗いけどあたたかくて、でも恐れはない。誰かを感じて護られている。そんな安心感。ずっとここにいたい。そう思った。不意に光を感じ、僕はここを離れなければいけない事を悟った。光の向こうへと僕は押しやられる。
もう少しここにいたいと思う未練と、光の先への期待感。それらを胸に抱えたまま僕は光を目指す。
光の先には、それよりも眩しい笑顔があった。金髪の男性と、金髪の3人の少女達がまず目に入った。中年の女性が顔を近づけ、なにやら嬉しそうに話しているが、その言葉は日本語ではない。英語でもなく、僕の知らない言葉だった。
僕は、一体どうなってしまったのか? その時の僕は理解が追いつかなかったが、やがてそれが新たな生を受け、新しい家族を手に入れたのだと知る。
僕は、生まれ変わったのだ。