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クライミー・キスミー

作者: 関内

 少女の足は動かない。



 少し前、異変に気付いたのは寝苦しい夜。

 太ももが熱っぽく指先は氷のように冷たかったが、少女は「そういうこともあるかも」くらいにしか思わず一週間放置した。

 少女は相当な楽天家だった。


 ある日、少女は何もないところで転んだ。

 両足はマネキンのように投げ出され動かなかったが、少女は「そういうこともあるわね」としか思わなかった。

 周囲が慌てていたのを面白く思ってすらいた。


 病院でよく解らない検査を受けた結果、少女の足には悪性の腫瘍が出来ていて即座に入院し切除しなければいけないらしかった。

 腫瘍がなくなれば指先に血が通い、圧迫されている神経とかそういう何かが多分良くなると医者は言った。


 難しい顔をしている両親に「死ぬ訳じゃないし来なくていい」と告げると、両親は「そっとしておく時間が必要なのだ」と必要以上に来ないことにした。

 それは勘違いで、結果的には同じことだけども、少女は足が動かない以外は至って健康体であったので見舞いなどただ単に煩わしいだけだった。



 病院生活も退屈なもので、少女は病室を抜け出し屋上に向かった。

 少女が「某テニス漫画で入院している王子様に出会いたい」などと呟いてみても出会えるはずもなく、いるのは某キャラクターほどイケメンではない、足を骨折した松葉杖の青年だけであった。

 青年はバイク事故で入院していると自己紹介しバイクについて話し始めた。


 いたのはテニスの王子様ではなくバイクの王子様だった。


 少女は興味もないバイクの話を興味があるふりをして聞いた。

 一通り話し終えた青年は、少女の適当な話に相槌を打ちながら真剣に聞いた。


 陽が傾き始めると、青年が「今度は部屋に遊びに来て」と言うので二人は部屋番号を交換して別れた。

 部屋は殆ど端と端だったので、松葉杖と車椅子が行き来するのはちょっとした重労働だと思った少女は、青年と別れた瞬間に部屋番号を忘れた。

 バイクのトリビアも忘れた。



 数日が経ち医者が「手術をしましょう」と言い「足を切り落とさずに済む確率は五十パーセント、元通り動くようになる確率は十パーセントもありません」と告げた。母親は父親に縋りつき、父親は母親の肩をぎゅっと抱き締めた。

 足がなくなることでファッションの幅が狭まることが少女の心配だったので「足が残る確率は五十パーセントもあるじゃない、大げさね」と思ったが、母の姿を見て何も言わなかった。

 少女は現状に不満を持っていなかったし、悲しむ理由が解らなかった。

 ただ、悲しみを共有できない疎外感を感じていた。



 手術のその日、あの屋上で出会った青年が部屋を訪れた。

 青年が「部屋に来ないし、なにか足の手術があるって看護師さんに聞いて」と呟いたので少女は「わたしを待ってた?」と聞いた。青年は頬を染めるだけで答えなかった。


「今度バイクに乗せてやるよ。安全運転で。海に行って」


 足を骨折し手首も捻挫し頭を切ってバイクが大破しても、青年はバイクに乗るらしかった。さすがバイクの王子様だった。


 少女が「そうね、目が覚めて足があったら」と口にすると青年は瞬きし、複雑な顔をした。不謹慎な冗談だと思ったらしかった。



 時間になり手術室に運ばれた少女は、ドラマによくある手術中のランプが薄暗い廊下に浮かぶ様子を思い浮かべた。実際は深夜の急患ではないのでそんなことはないのだが、とにかく思って、次に青年の後ろでバイクに乗る自分を思った。


 その自分には足がなかった。


 それはひどく格好の悪いように思えたので、「目が覚めて足がありますように」と何となく祈った。本当に何となく。



 少女の目が覚めると白い天井が真っ先に見え、隣には泣き腫らした目の両親がいた。目が合うと母親は悲しそうに眉を下げたので「もしかして足がなくなったのかしら」と思い、ぽふと布団を叩けば確かに足はそこにあった。

 でも、そこにあるだけだった。


 少女が「歩けるようにはならなかったのね」と呟くと、両親はひどい痛みを堪えるような顔をした。唇を噛みしめる姿を見た少女は慌てて「ごめん」と言った。

 それが「心配かけてごめん」なのか「迷惑かけてごめん」なのか、はたまた「涙が一粒も出なくてごめん」なのかは解らなかった。



 少女の要領を得ない「ごめん」が何度も響いた数日後、青年が再び部屋を訪れた。

 青年は室内着ではなく黒のライダースを着ていて、ピアスをして、髪も少し切っていて、相変わらず足にはギプスをしていたけど、すてきな装いをしていた。


 少女が「久しぶり」と声をかけたが、ベッド脇のスチールチェアに座った青年は「ん……」とはっきりしない声を返した。


「退院したのね。知らなかった」


 少女は続けたが答えはなく、青年の俯いた顔を覗くと、何かを堪えるように唇を噛み締めているのが見えた。


 それから少女が言葉を発することはなく、同じく青年もまた何も言わなかった。

 途中で検温に来た可愛い看護師は、少女に笑いかけ口の動きだけで「彼氏?」と言い検温をせずに去っていった。


 看護師の姿が見えなくなって青年は意を決したように口を開いた。


「手術っこん、な難し、て……」


 開いたが、同時に涙腺も開いたらしく、しゃくり上げながら言うものだから一体何を伝えたいのか少女には理解出来なかった。

 辛抱強く聞いていると青年はしきりに「バイク」と言うので少女はやっと思い出した。手術前の口約束を思い出した。


 青年は何も知らなかったとはいえ、歩くことは天地がひっくり返っても出来なくなった少女に罪悪感を感じているらしかった。

 少女は「足が残っていれば儲け物」と思っていたので逆に申し訳ない気分になった。


 なにより、足があっても少女はバイクには乗れなかった。

 だから最初から約束なんてなかった。


「バイク、乗せてくれるんでしょう?」


 それでも少女がそう言うと、青年は言葉の代わりに何度も頷いた。


 少女は暫く黙って見つめていたが、青年が流す涙がひどく美しいものに見えたので人差し指でそれを拭った。濡れた指先はベッドのシーツに擦り付けた。


 目に溜まっていた雫は青年がぱちぱちと瞬きするたび涙となって流れ落ちた。


 そのひとつひとつが自分のための涙だと気付いて、少女が自分のために流せなかった涙だと気付いてしまって、「ああ、なんて勿体ない」と少女は感じた。

 さっきシーツで拭った涙すら勿体なかった。


 少女は、青年を、とても愛おしいと感じた。


 涙が青年の唇へ流れ着くのを見て、少女は唇を寄せてそれを舐めとった。

 青年の瞳とまつ毛は濡れていて、自分には流せなかった涙を取り戻すかのように瞼や目じりへとキスの雨を降らせた。


 少女が体を離すと、顔を真っ赤にしていた青年がベッドに手をついて、同じように少女に唇を寄せた。二人を受け止めるベッドのスプリングが軋んだ。



 触れるようなキスのあと、青年は言った。


「新しいバイクを買ったんだ。二人乗りで、そうだな」


 少し間を置いて言葉が続いた。


「海へ行こう」


 青年が笑うと、少女も笑った。


「楽しみにしてる」


 少女はそれだけ言って目を閉じ、青年はゆっくり顔を寄せた。



 少女の足はもう動かない。

 それでも、二人は三回目のキスをした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 病気の説明とかしっかりしてる [気になる点] 意外性があまり… [一言] こういう手のもの好きです!
2013/04/12 21:04 退会済み
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