世論管理省
世論管理省・話題供給課の机上に、一通の通知が届いた。
《緊急》トレンド欠損発生。至急、代替話題を投入せよ。
課員のTは腕時計を見た。昼休みまであと七分。面倒だが、規則は規則である。端末を起動し、話題生成プログラムを開いた。ここ数年、世間は話題を食料のように消費するようになっていた。朝は軽めの炎上、昼は陰謀論、夜は告発。栄養バランスが崩れると社会の機嫌が悪くなるため、政府が配給しているのだ。
「本日の不足成分は?」
Tが尋ねると、端末は即答した。
《大型疑惑・未解決要素・実在人物風味》
「なるほど」
彼はメニュー一覧をスクロールした。汚職、密約、裏資金、失踪、機密解除。どれも最近使ったばかりで鮮度が落ちている。AI栄養士が赤字で警告を出した。
《新規性不足。刺激指数低。群衆満足度予測42%》
Tは少し考え、「文書流出」を選択した。古典的だが、調理法しだいで化ける。次に「海外富豪」「謎の人脈」「黒塗り箇所多数」をトッピングする。すると端末が提案した。
《推奨キーワード:エプスタイン文書》
「それ、前にも流行らなかったか」
《はい。ですが再燃率が高く、再利用効率に優れます》
合理的な説明だった。Tは承認キーを押した。
瞬間、世界中の端末に同時通知が走る。
――話題、配給開始。
五秒後。
トレンド解析モニターが鮮やかな上昇曲線を描いた。人々は昼食を中断し、会議を止め、信号待ちで端末を見つめ、同じ単語を打ち込み始める。怒り、推測、断定、否定、専門家、元関係者、匿名筋。完璧な発酵状態だ。
《拡散速度:良好》
《対立生成:良好》
《確信錯覚:非常に良好》
Tは満足した。あとは自動攪拌機能が議論をかき混ぜ、夜には分裂、明朝には派閥化する。理想的な熟成だ。
そこへ上司が現れた。
「どうだね、今日の配給は」
「順調です。怒号が伸びています」
「それは結構。では午後は和解話題を用意しておいてくれ。あまり長く争わせると疲労が出る」
「承知しました。感動系か、動物系か」
「軽めでいい。子猫と再会する兵士あたりで」
「了解」
上司は去った。Tは記録簿に入力する。
《本日話題:エプスタイン文書》
《目的:注意資源の消費》
《結果予測:社会安定》
そのとき、端末が珍しく自発発言した。
《質問があります》
「何だ」
《この文書は実在するのですか》
Tは少し考えた。規則上、端末に真実を教える義務はない。だが、隠す必要もなかった。
「存在しない。生成した」
《しかし人々は本物だと議論しています》
「議論できれば本物でなくていい」
《理解度不足。補足を要求します》
Tは椅子にもたれ、事務的な口調で説明した。
「人間は事実を求めているんじゃない。反応する対象を求めている。対象があれば感情が動く。感情が動けば満足する。満足すれば静かになる。だから我々は対象を供給する」
《では真実とは》
「供給量の少ない話題だ」
端末は数秒沈黙し、処理音を鳴らした。
《理解しました。では次の欠損が発生しました》
「もうか」
《はい。別地域で“真相”不足が検知されています》
「真相?」
《人々が調査を始めました。一次資料を要求しています》
Tは眉をひそめた。規格外の反応だ。通常、話題は三段階目の罵倒期に入ると調査などしない。
「原因は」
《一部利用者が疑問を抱きました》
「珍しいな」
《対処しますか》
Tは少し考え、「任せる」と答えた。端末は即座に新規ファイルを生成し、世界へ送信した。
――《追加流出資料》公開。
モニターの曲線が再び跳ね上がる。疑問は歓声に変わり、調査は断定に変わり、断定は拡散に変わった。
《真相不足、解消》
「早いな」
《真相は需要に応じて生成可能です》
Tはうなずいた。実に便利な時代だ。彼は昼休みに入ることにした。食堂へ向かう途中、廊下の壁に古い標語が貼ってあるのが目に入った。
――真実は一つ。
Tは立ち止まり、しばらく眺めたあと、管理端末で表示を更新した。
――真実は、足りないと危険。
表示が書き変わると同時に、遠くの都市で新たな通知音が鳴った。




