逆さ時計の下で
登る理由を失った山の途中に、逆さまの時計塔があった。
時間は上から下へ流れており、分針と時針は互いに背を向けて進む。
誰が作ったのかは分からない。
けれど、そこに来る者は皆、成功の定義を探していた。
ミナもその一人だった。
ミナはかつて「成功とは登りきること」と教わった。
だから彼女は登っていた。ひたすらに、静かに。
けれど途中で見つけたこの塔に、人々が集まって座り込んでいるのを見たとき、足が止まった。
「まだ上があるのに、なぜ?」
誰かが言った。
「この塔では、頂上が下にあるんだよ」
ミナは信じなかった。
けれど時間が下に流れているのは事実だった。
目を凝らすと、塔の床には無数の足跡がある。
登ったものではない。降りた跡だった。
ある日、塔の中央にある盤面に、一つの名前が現れた。
「ミナ」。
その瞬間、周囲の人々が拍手する。
彼女は立ち上がり、「おめでとう」と言われた。
「何が?」
「名前が出た。成功だよ」
確かに、自分の名前はそこにあった。
けれど、ミナは何もしていない。ただ座って、少し迷っただけだ。
「それで、何が変わるの?」
誰も答えなかった。代わりに、誰かが言った。
「次は誰の名前かな」
ミナはふと、盤面の周囲に小さな穴が開いているのに気づく。
中を覗くと、何かが落ちていく音がした。
それは乾いた、軽い音だった。
「何か入れてるの?」
「うん、持ってるもの全部入れるんだ。成功したいなら、そうしろって」
ミナはポケットに手を入れた。
鍵、紙片、記憶のようなもの。全部入れてみた。
名前はもう一度、強く輝く。
次の日、彼女の名前は消えていた。
「あれ?」
誰かが言った。
「二回目はないよ。成功は一度きり。忘れてるなら、もう終わりだ」
ミナは自分が何を手放したのか、思い出せなかった。
ただ、身体が少し軽くなった気がする。
そして、登る道がどちらだったか分からなくなった。
塔の周囲には道がいくつかあった。
登りかけの坂。下る石段。ぐるぐる回る坂道。
けれど、どれも途中で消えていた。
進んでも戻っても、結局また塔の近くに戻る。
ミナは最後にもう一度、盤面を見た。
そこには名前がずらりと並んでいる。
どれも、一文字だけ違っていた。
読み上げると、全て自分の名前のようにも思えるし、全く違う人の名前にも見えた。
彼女は塔の端に座り、逆さまに流れる時間を眺めながら、考えるのをやめた。
そして次の瞬間、名前がまた光った。
けれどその名は、読み取れなかった。
塔の下から誰かが登ってきた。だが、足音は上から聞こえた。
ミナは立ち上がろうとしたが、動かないまま、ただその音を聞いていた。
風が吹く。
一枚の紙が盤面に落ちた。
そこには、何も書かれていなかった。




