第四部 算士吾郎 九
黒鷹精久郎は、瑞竹寺の阿弥陀堂から、外を眺めていた。
そろそろ江戸を去るか、と考えていたのだ。
このところ、人の来訪が激しかった。
来訪が多すぎる……。
そろそろ、江戸を離れよう……。
萩家江戸家老、吉田吉次郎がやって来た。
「いつぞやの千両のことだが……」
「どうした?」
「やっぱり、貰っておく」
「使い道ができたか?」
「ああ、明倫館を建て直す」
「明倫館?」
「萩家の子弟を育てる学問所だ」
「子弟を育てる?
百年の計だな」
「さよう」
「百年先に、葵とやるつもりか?」
「さよう。
それで……。
出来るなら、あと千両くらい、欲しいのだが」
「明倫館で理財を教えたらどうだ。
軍用金がなければ、葵は枯らせないぞ」
塚原道場の塚原千秋と吉野正太郎がやって来た。
「黒鷹先生、お願いがあります」
「千秋殿、改まってなんだ?」
「媒酌を、お願いしたいのです」
「この、吉野殿と?」
「はい」
「私は、お門違いだ」
芥川行蔵がやって来た。
「尼子秘帳を頂戴出来ませんか?」
「断る」
「御公儀に逆らうことになりますよ」
「それで挨拶はすんだろう。
何の用だ?」
「実は、奇怪な事件が起きました。
どうしても黒鷹さんに、御出馬を……」
「待て、待て、私は奉行所の者ではないぞ」
「そう言わずに……」
「町奉行がやってきたら、”御出馬”するかもしれないぞ」
町奉行がやって来た。
「平賀源内のこと、御老中から聞きました」
「それで?」
「今、平賀源内のことを知っているのは、御老中と拙者、それに同心芥川行蔵、そして貴公だけです」
「それで?」
「幕府に入って、下さらんか?
与力として、処遇いたす」
「芥川行蔵は?」
「貴公と同格の与力にいたす」
「老中の命か?」
「御老中の意を汲んで、拙者が考えました」
「老中がやってきたら、与力になるかもしれないぞ」
老中の使いとして、組頭・村上平馬がやって来た。
角筈十二社権現で老中を警護していた侍である。
「黒鷹殿、折り入って、頼みがござる」
「何ですかな?」
「鑓奉行になって下さらんか?」
「ほほう」
「御老中は、警護の組織を見直そうと考えておられる。
それで、黒鷹殿くらいの、腕の立つ侍が必要となる」
「貴公も腕が立つではないか?」
「黒鷹殿には、負けると思う」
「鑓奉行、というのは老中の考えか?」
「さよう」
「それなら、老中に言って欲しい」
「何と?」
「黒鷹精久郎が、より適する侍を推薦する、と」
「それは、誰?」
「貴公」
来訪が多すぎる……。
そろそろ、江戸を離れよう……。
黒鷹精久郎は、窓の外を見た。
雲が湧いている。
風が満ちてくる。
円仁和尚が入ってきた。
「お客ですよ」
「誰だ?」
「算士柔煮、と名乗っています」
「うん?」
「私ですよ」
平賀源内が入って来た。
「算士柔煮。
新しい算号です。
もう、算士吾郎は、名乗れませんから」
「なるほど」
「それよりも、刀の反りのことですが……」
二人は、夢中で話を始めた。
いつしか、空は暗くなり、雨が降り出した。
豪雨になった。
雷が鳴る。
黒鷹精久郎は、外を見た。
豪雨と雷。
これなら、江戸にいてもいいかな、と思った。
終わり
ここで筆を置きます。またの御目見得を楽しみに。




