第三部 阿吽仁王 八
同心の芥川行蔵は、美濃国戸田家の内情を、調べ始めた。
何か、揉め事があるのではないか?
痺れ薬の南蛮象狩が必要となるような揉め事である。
揉め事があるのなら、次は、痺れ薬の南蛮象狩を買ったのは、美濃国戸田家の誰か?
これを調べなければならない。
こうしたことが分かるまで、黒鷹精久郎は、動くのを止めた。
大刀阿仁王丸強奪は、赤柄組の仕業であり、赤柄組の首領は三岸鎌之助であることは、分かった。
すぐに、三岸鎌之助を斬っても、いい。
だが、小刀吽仁王丸の方との繋がりが分かるまで、三岸鎌之助を斬ることを、控えているのだ。
もちろん、無益に日を過ごしていたのではない。
鍛錬を、欠かさない。
算術で頭を鍛え、平賀源内のことを調べた。
また、火傷の治療をした。
そして、本所深川へ出向いていた。
本所深川の小名木川沿いに、五本松という名所がある。
その五本松の先、猿江町に古い剣術道場がある。
以前は、念流の日向忠平の道場であった。
この日向道場に、三年ほど前、赤柄組の三岸鎌之助が、道場破りに来た。
日向忠平は、負けてしまった。
道場主が負けてしまっては、もう、お終いである。
門弟たちは、ちりぢりに散ってしまった。
それ以来、日向道場は、赤柄組の根城となっているのである。
こうしたことを、黒鷹精久郎は、芥川行蔵から聞いた。
それで、猿江町を歩き回り、日向道場を探っているのである。
黒鷹精久郎が調べたところ、赤柄組の構成員は、七人であった。
大刀阿仁王丸強奪の時、黒鷹精久郎が数えた人数に一致する。
他に、赤柄組の名を後ろ盾に、乱暴を働く小者や中間が数人いるが、それは問題にならない。
赤柄組の城ともいえる日向道場にたむろするのが、七人なのである。
他に、頭巾で顔を隠した武士が、ときどき、日向道場に出入りをしている。
頭巾で顔は見えない。
羽織の紋は桔梗であった。
そして十日目。
風が強い日であった。
木枯らし。
いよいよ、冬の到来。
そんな日であった。
黒鷹精久郎が、火傷の治療を終えて、瑞竹寺の阿弥陀堂に戻ると、芥川行蔵が待っていた。
芥川行蔵が、言った。
「ようやく分かりました。
家の内情を調べるのですから、苦労しましたよ」
芥川行蔵は、美濃国戸田家について、次のような説明をした。
美濃国戸田家では、今、家督をめぐって、二派に分かれて、争っている。
嫡子が家督を継ぐのが、もちろん、普通である。
しかし、この嫡子が、莫迦なのであった。
こんな莫迦が家督を継いだら、美濃国戸田家は潰れてしまう。
こう危惧した一派が、庶子を担いで出た。
美濃国戸田家の殿様は、聡明でなければならない、というわけである。
嫡子を廃して、庶子を立てようとしている。
一方の派は、嫡子が家督を継ぐのが武士の家の筋であろう、とする。
武士の家に大切なのは、伝統と筋ではないか、と頑なである。
こうして、嫡子派と庶子派が、陰惨な戦いを続けているのであった。
殺された下林新左衛門は、嫡子派の旗頭であった。
芥川行蔵は、このような説明をして、続けた。
「下林新左衛門は、切れ者だったらしいですね。
半年ほど前にも、嫡子毒殺の計画を、未然に防いだということです」
黒鷹精久郎の眼が光った。
黒鷹精久郎が、言った。
「毒殺?
痺れ薬か?」
「はい。南蛮象狩でしょうね」
「未然に防いだ、ということは、南蛮象狩は、その時、使われなかったのだな」
「そう考えて、いいでしょう」
「一方の、庶子派の旗頭は?」
「吉野橋又十郎といいます」
「吉野橋又十郎が、南蛮象狩を買った、というわけだ」
芥川行蔵は、頷いた。
黒鷹精久郎が、言った。
「後は、その吉野橋又十郎と、赤柄組との繋がりだな」
「それも分かりました」
芥川行蔵は、次のような説明をした。
美濃国戸田家は、財政が苦しくなったので、家にある書画骨董や名刀のいくつかを、売りに出した。
名刀が売りに出ている、と聞いたのが、赤柄組の三岸鎌之助であった。
名刀を収集している三岸鎌之助は、その名刀を買い取った。
芥川行蔵が、言った。
「美濃国戸田家で、売り出す仕事を扱ったのが、吉野橋又十郎なのです」
芥川行蔵が続けた。
「これで、繋がりが見つかったでしょう?」
黒鷹精久郎が、聞いた。
「吉野橋又十郎の紋は、桔梗か?」
「そうです」
「よし、間違いない」
黒鷹精久郎が、立ち上がった。
芥川行蔵が、聞いた。
「どこへ行くのですか?」
「本所深川の日向道場。
赤柄組の奴らを斬る。
吉野橋又十郎は、その後だ」
「後回しにする必要は、ありませんよ」
「え?」
芥川行蔵が、笑い顔で、言った。
「今日、吉野橋又十郎は日向道場にいます。
目明かしに探らせておきました」
芥川行蔵が、続けた。
「何かの祝い事があるらしく、酒盛りをしているそうです」
芥川行蔵が、皮肉な口調で、さらに、言った。
「厄日なのに」




