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第三部 阿吽仁王 六

 文永九年。

 西暦では、一二七二年である。

 この年、マルコ・ポーロは、博覧強記の学者として評判の高い利仲忠から周辺各国の情報を収集していた。

 マルコ・ポーロが一番興味を持ったのはジパングという国である。

 利仲忠は、聞いた話だ、と前置きをして、ジパングの説明をした。

 東の海の彼方にジパングという国がある――。

 そこでは、黄金が溢れており、家を黄金で造り、川の堤には、石垣の代わりに黄金を積み重ねる――。

 こうした説明をしたのである。

 マルコ・ポーロは眼を丸くした。

 これまでに色々珍しい国を見てきたが、黄金で家を造る国は、さすがに、なかった。

 しかし、と、利仲忠は続けた。

 ジパングは、盧捨那仏に守られている国で、外国人が黄金に手を出すことは不可能なのだ――。

 ジパングへ外国人が近寄れば、神風が起こり、吹き飛ばされてしまう――。

 このように利仲忠は付け加えたのであった。

 その夜、マルコ・ポーロは夢を見た。

 夢の中で、マルコ・ポーロはジパングの海岸へ泳ぎ着き、黄金の家の壁を剥がそうとした。

 その時、空中に盧捨那仏が現れた。

 盧捨那仏の左右には、阿形と吽形の、二神の仁王がいる。

 その仁王の眼が赤くなり、口を尖らせ、息を吹き出した。

 その息は暴風となり、マルコ・ポーロはイタリアまで飛ばされた。

 ここで眼が覚めた。

 ジパングは、何か不吉な禁断の国なのだ、とマルコ・ポーロは信じたのであった。

 それから数年後、フビライ・ハンは、朝鮮からジパングまで、侵略しようという計画を立てた。

 マルコ・ポーロは、その軍隊に同行するように命じられたのだが、言い訳をして、同行を断ったのである。

 果たして、ジパングを攻めた軍勢は嵐のために全滅してしまった。

 マルコ・ポーロは、ジパングを守る神風だ、と信じた。

 前に見た盧捨那仏と仁王たちの夢は正夢だったのだ、と震え上がってしまった。

 さらに数年後、フビライ・ハンは、再度、ジパングを攻めたが、やはり嵐で全滅してしまった。

 もちろん、マルコ・ポーロは、このときも仮病をつかって、同行しなかった。

 再度の大敗で、フビライ・ハンは、ジパングを攻めることを諦めたのであった。

 マルコ・ポーロは、ほっとした。

 マルコ・ポーロは、盧捨那仏と仁王たちの夢が、恐かった。

 侵略や夢の話をするだけで、仁王たちに殺されるかもしれない。

 後年、マルコ・ポーロは、ジパングは黄金の国である、とだけ、記録することにしたのであった。

 

 フビライ・ハンはジパング侵略を諦めたが、諦めたことを、日本国内では分からなかった。

 また攻めてくるかもしれないではないか。

 神風が防いでくれるであろうが、それを頼りにすることは出来ない。

 鎌倉幕府執権北条時宗は、幕府の力を総動員して、防備を固めることにした。

 それだけではない。

 日本の国を挙げて外敵を防がなければならない。

 鎌倉五山を始めとする日本全国に寺々には、国家鎮護の法要を営むことを命じたのであった。

 そして、刀工の郷である越中国婦負郡呉服郷にも、幕府の命が伝えられた。

 国家鎮護のため、名刀を造れ、というのである。

 すでに高名を得ていた郁正は奮い立った。

 人生の最後を飾るのに、これほど名誉のある仕事はないではないか。

 郁正は、斎戒沐浴をして、仕事を始めた。

 だが、出来なかった。

 なにしろ、豊葦原瑞穂の国を外敵から守るシンボルとなる刀を造るのであるから、そう簡単ではない。

 国家鎮護のため、とは、どういう刀を造ればいいのだ。

 それが分からないのである。

 空しく十年が過ぎた。

 郁正は自信をなくしていた。

 荷が重すぎる。

 名工などと言われていたが、虚名であったのだ、と思った。

 そして、十月十六日。

 この日は、くしくも元の大軍が九州に押し寄せた日であるが、郁正は、それを知らない。

 それはともかく、この日の夜、郁正は、夢を見た。

 阿形と吽形の、二神の仁王を従えた、盧捨那仏の夢である。

 その仁王が、大音声で、怒鳴った。

 何をぐずぐずしている、という叱責である。

 盧捨那仏は、何も言わず、ただ、侮蔑の目つきで、郁正を見ている。

 ここで眼が覚めた。

 郁正は、仁王の姿こそが、国家鎮護の具象化なのだ、と悟った。

 その仁王の姿を、刀に結晶すればいい、というわけである。

 改めて斎戒沐浴をし、命を削る努力をして、刀は完成した。

 郁正は、精魂を込めた作品に、銘の代わりに、大刀に阿仁王丸、小刀に吽仁王丸と刻み、鎌倉幕府執権北条貞時に納めたのである。

 そして、五百年の時が経過して、寛政の時代となった。

 

 抜け荷をしている薬種屋のことを聞きに、同心の芥川行蔵を訪ねた次の日。

 黒鷹精久郎は根津権現の門前町へ行った。

 黒鷹精久郎の住む瑞竹寺から、近い。

 瑞竹寺の円仁和尚から紹介された、町医者の長谷博堂を訪ねたのである。

 火傷の治療をしてもらう為であった。

 それから、須田町の薬種屋小松屋仁右衛門の店へと向かう。

 同心の芥川行蔵から聞いた店である。

 筋違御門の近く、須田町一丁目に、薬種屋小松屋仁右衛門の店があった。

 神田の町の喧噪から取り残されたような、地味な作りの、小さい店であった。

 主人の、小松屋仁右衛門も、堅物の雰囲気である。

 小松屋仁右衛門は、黒鷹精久郎に挨拶をしてから、聞いた。

「火傷の薬でございますか?」

「よく分かるな」

「紫根と胡麻油の臭いがいたします。

 火傷をなさったのでございましょう」

「さすがだな。

 だが、求めたいのは、別なものだ」

「なんでございましょう」

「すこし難しいのだが」

「手前どもで出来ますことならば、力を尽くします」

「南蛮象狩」

「はい?」

「南蛮象狩が欲しい」

 小松屋仁右衛門は、驚いた顔をして、声をひそめて、言った。

「それは、痺れ薬でございましょう」

 黒鷹精久郎は、黙っている。

 小松屋仁右衛門が、言った。

「御禁制で、ございます」

 黒鷹精久郎は、黙っている。

 小松屋仁右衛門が言った。

「手前どもは、手堅い商いをしております。

 御禁制の品など、とても、とても」

 黒鷹精久郎が、言った。

「ここに来れば、抜け荷の品が手に入る、と聞いた」

「誰が、そんなことを言うのでございます」

「それは、言えない」

「手前どもの、評判に傷が付きます」

 黒鷹精久郎は、小松屋仁右衛門の前に小判を五両並べて、言った。

「これは、手付けだ」

 小松屋仁右衛門は、小判を見ている。

 黒鷹精久郎は、書付を、小松屋仁右衛門に渡した。

「読めば分かるが、それは、三百両の手形だ。

 南蛮象狩が手に入れば、それを有効にする」

 小松屋仁右衛門は、黙って書付を読んだ。

 黒鷹精久郎が、言った。

「南蛮象狩の薬と一緒に、聞きたいこともあるが、それは、薬が入ってからにしよう」

 黒鷹精久郎が、続けた。

「小松屋。

お前の先に、道は三つある。

一つ、断り続けること。

一つ、奉行所へ届けること。

一つ、南蛮象狩を売ること」

 黒鷹精久郎が、小松屋仁右衛門を、睨んだ。

 小松屋仁右衛門も、黒鷹精久郎の眼を、見返す。

 黒鷹精久郎が、言った。

「私の名前は、黒鷹精久郎。

 本郷の瑞竹寺に住んでいる。

 大田備中守下屋敷の近くだ。連絡を待っている」

 

 黒鷹精久郎が瑞竹寺に戻ると、浅茅村の浅茅五郎左右衛門から、包みが届いていた。

 包みの中は算術の本であった。

 とりあえずこれを送る、他の本は、筆写中である、との手紙が添えてあった。

 黒鷹精久郎は、算術の本を読み、頭を鍛えた。

 数日は、動くことはない。

 薬種屋小松屋仁右衛門は、迷っていることであろう。

 南蛮象狩を売れば、三百両が手にはいるのだ。

 だが、なにしろ、抜け荷の品である。

 黒鷹精久郎が奉行所の手先であり、南蛮象狩の話は罠かもしれない。

 小松屋仁右衛門は、こうしたことを迷っているはずであった。

 それにしても、三百両は大きい。

 数日は、迷う。

 しかし、結局は、金が欲しくなり、南蛮象狩を売ろうと決断する、と黒鷹精久郎は読んでいたのである。

 だが、黒鷹精久郎の読みは、外れた。

 夕方、使いの者が、小松屋仁右衛門からの手紙を持って来たのである。

 一献差し上げながら、例のものの話をしたいので、向嶋の料理屋『平岩』へ、お越し願いたい、という手紙であった。


 夕暮れの中を、黒鷹精久郎は、向嶋へ向かった。

 料理屋『平岩』は、八幡社と新梅屋敷の間にある、と手紙には書いてあった。

 黒鷹精久郎は、田地を通り、森へ入った。

 この先に八幡社がある。

 だが、八幡社へ出る前に、森から、薬種屋小松屋仁右衛門が出て来た。

 左手に提灯を持っている。

 小松屋仁右衛門の左右には、用心棒の浪人がいた。

 黒鷹精久郎は、歩を止めた。

 小松屋仁右衛門が、言った。

「料理屋平岩へ、行けると思ったのか」

 黒鷹精久郎は、何も、言わない。

 小松屋仁右衛門が、言った。

「お前に、聞きたいことがある」

 黒鷹精久郎は、何も、言わない。

「抜け荷のことを、誰に聞いた?」

 黒鷹精久郎は、何も、言わない。

「言わなければ、地獄へ行ってもらうぞ」

 左右の浪人が、刀を抜いた。

 黒鷹精久郎は、左手を、背中へまわした。

 袴の腰板から、手裏剣を、引き抜く。

 右側の浪人へ、手裏剣を、投げた。

 同時に、刀を、抜く。

 左側の浪人へ駆け寄り、腹を斬る。

 右側の、眼に手裏剣の刺さった浪人を、袈裟懸けに斬る。

 驚いている小松屋仁右衛門の、左腕を、斬り落とす。

 黒鷹精久郎は、斬り落とした左腕を、地面に落ちる前に、掴んだ。

 提灯だけを取り、腕を、捨てた。

 小松屋仁右衛門は、悲鳴を上げて、座り込んだ。

 黒鷹精久郎が、言った。

「聞きたいことがある」

「な、何ですか?」

「抜け荷のことだ」

「で、でも……」

「道は三つだ、と言ったのに、お前は、四つ目の道を選んだ。

 その道は、地獄への道だぞ」

「わ、分かりました。

 抜け荷は、長崎から、わざと北回りで……」

「そんなことは、どうでもいい」

「は?」

「痺れ薬の南蛮象狩を売った先を、知りたいだけだ」

 黒鷹精久郎は、提灯を地面に置き、懐から、書付を取り出した。

 本多道場で見学をしていた四人の名前と人別が書いてある書付である。

 黒鷹精久郎が、言った。

「南蛮象狩を売ったのは、奥平松平家、永井家のどっちだ? それとも、旗本か?」

「ち、違います」

「違う?」

「戸田家です」

「戸田家?」

「美濃国大垣十万石、です」

「おかしいな? 

 戸田家とは、初耳だ。

 間違いないだろうな?」

「間違いありません。

 南蛮象狩は特別な薬です。

 売ったのは、この十年で、一回だけ。

 間違えるはずは、ありません」

「戸田家侍で、名前は?」

「分かりません」

「どんな顔だった?」

「分かりません。

 頭巾で、顔を隠していたんです」

「では、なぜ、戸田家侍、と分かった」

「跡をつけたんです。

 そうしたら、戸田家中屋敷へ入りました」

「なぜ、跡をつけた」

「抜け荷の仕事ですよ。

 用心のため、相手を知らなければ、なりません」

「なるほど。売ったのは、何時だ」

「半年ほど前です」

「よし。まさか、これまでの話、嘘はないだろうな?」

「とんでもない。

 腕を斬られて、嘘を言っている場合じゃ、ありませんよ」

「それもそうだ」

「お願いです。

 医者へ、連れて行って下さい」

「地獄へ連れて行ってやる」

 黒鷹精久郎は、小松屋仁右衛門を、斬った。


 黒鷹精久郎が小松屋仁右衛門を斬っている、ちょうどその頃。

 一人の武士が、永田町外桜田の道を歩いていた。

 美濃国戸田家の侍、下林新左衛門である。

 永田町外桜田の辺りは、上屋敷が多い。

 夜になると、人の気配は、なくなる。

 二人の武士が、道の角から飛び出してきた。

 二人が、下林新左衛門を斬った。

 下林新左衛門は即死した。


 次の日。

 黒鷹精久郎は、瑞竹寺の阿弥陀堂で、考えていた。

 もちろん、阿仁王丸強奪のことである。

 本多道場を見学した四人のうちの誰かが、某に阿仁王丸の話しをした。

 某は、刀を強奪した。

 ここまでは、間違いあるまい。

 その某を、どうやって見つけるか、である。

 抜け荷の、痺れ薬南蛮象狩の買い手から分かるであろう、と思ったのであった。

 奥平松平家か永井家、もしくは旗本。

 しかし、薬種屋小松屋仁右衛門が答えたのは、美濃国戸田家、という国名である。

 四人とは繋がりがない。

 これで、手がかりがなくなってしまった。

 では、どうするか?

 黒鷹精久郎は、座ったまま、夕方まで考え続けた。

 そこに、同心の芥川行蔵が入ってきた。

「失礼します」

「薬種屋小松屋仁右衛門の件の連絡が、届いたか?」

「あれは、もう、いいです。

 それよりも、聞きたいことがあるんですよ」

「何だ?」

「阿仁王丸とか、吽仁王丸という刀のこと、知りませんか?」

「それが、どうした?」

「今調べている辻斬りに関係するのです」

「辻斬り?」

「昨晩、また、辻斬りがありまして」

「ほう」

「斬られたのは、美濃国戸田家の侍なんですが」



 


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