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第三部 阿吽仁王 四

 天文十二年。

 徳川家康は、まだ幼少で、今川氏の人質になるとは、夢にも思わず、無邪気に遊んでいた。

 その頃のことである。

 種子島にポルトガル人が来た。

 ポルトガル人は、二つのものを、領主の種子島時堯に献上した。

 火縄銃とアルカロイド系毒薬である。

 その頃、ヨーロッパは、オスマントルコとの戦争の真っ最中で、多くの武器が使用されていた。

 武器の改良も盛んに行われていた。

 銃でいえば、火打石で発火するマスケット銃が発明されたのである。

 火縄銃は旧式になった。

 大量の旧式銃はどうする?

 何も知らない、東洋の僻地の国へ、売り払ってやろう。

 ジパングとかいう国は、黄金だけは多量にあるようだから、ちょうどいい。

 こう考えて、ポルトガル人は、種子島へやって来たのである。

 ポルトガル人は狡猾であった。

 中央の京や堺ではなく、わざと、はずれの島へ来たのだ。

 ポルトガル人は、火縄銃とアルカロイド系毒薬の威力を、領主の種子島時堯に、披露した。

 そして、種子島時堯の耳に、囁いた。

「この銃と毒薬があれば、天下を盗れますよ。

 先ずは、試してごらんなさい」

 ポルトガル人は、笑いながら、続けた。

「一年後に、銃も毒薬も大量に持って来ますから、黄金を用意しておいて下さいね」

 そして一年後に来たポルトガル人は、唖然とした。

 日本中に、火縄銃が溢れていたのである。

 火縄銃を大量に使い、さかんに戦争をしている。

 ポルトガル人は、日本人の製造能力と物流機能を軽視していたのであった。

 ポルトガル人は、毒薬のことも忘れて、すごすごと帰って行った。

 そのアルカロイド系毒薬は、どうなったのであろうか。

 戦国時代を制する戦いでは鉄砲は需要が大きい。

 なにしろ、大量殺戮兵器なのだ。

 しかし、毒薬の需要は、ない。

 戦場では、使い道がないのだ。

 ポルトガル人がもたらした毒薬は、種子島時堯の手許に保管されたままになった。

 その後、種子島氏は島津氏の勢力の下に入った。

 毒薬は、島津氏の手に渡ったのである。

 そして、徳川家康が天下を盗り、平和になったとき、毒薬の出番が来た。

 徳川家は、薩摩島津の危険性を、つねに認識していた。

 薩摩島津は、関ヶ原の戦いを、決して忘れなかった。

 薩摩島津と徳川幕府の間では、陰惨な、裏の戦いが続いていたのだ。

 この裏の戦いに、毒薬が大活躍をしたのである。

 薩摩島津は、この毒薬のことを秘密にし、密貿易で、手に入れていた。

 だが、長い年月の中で、秘密が保たれることは、むつかしい。

 いつしか、このアルカロイド系毒薬のことが、痺れ薬として、知れ渡っていた。

 裏の戦いに、これほど便利な武器は、ないではないか。

 もちろん、表立って、口にすることはない。

 裏から裏、闇から闇の流通で、知られていたのである。

 必要とする者は、長崎の出島で行われる抜け荷で、手に入れるのであった。

 なお、大きな需要があったわけではないので、アルカロイド系毒薬に、日本人の製造能力が発揮されることはなかった。

 独創能力は発揮された。

 花岡青洲は、アルカロイド系毒薬を、麻酔薬として使おうと考えたのだ。

 世界初の発想である。

 花岡青洲は、鳥兜や朝鮮朝顔などから麻酔薬を抽出した。

 閑話休題。

 火縄銃の伝来から、二百五十年の時が経過して、寛政の時代となった。

 

 黒鷹精久郎は夢を見ていた。

 絶海の孤巖に止まる鷹になっているのだ。

 巨大な波が降りかかるが、動かない。

 次の波が来たとき、眼で波を睨む。

 三回目の波が降りかかったとき、飛び上がった。

 そして、眼が覚めた。

 黒鷹精久郎を見下ろしているのは、あの豪農の主人であった。

「黒鷹様、気がつかれましたか」

 黒鷹精久郎は、話そうとしたが、口が開かない。

 まだ、身体が痺れているのだ。

 豪農の主人は、黒鷹精久郎が聞きたかったことを、話した。

 あの日、雑木林の向こうに煙りが見えたので、村人たちと駆けつけた。

 家は焼け落ちており、焼けた木材の下に、黒鷹精久郎が倒れていた。

 すぐに助け出して、手当をしたのである。

「楠山真伝斎様は、家の前の庭で、死んでおりました」

 楠山真伝斎の身体には、三本の矢が刺さっており、その上、背中を斬られていたのだそうだ。

「剣術の達人も、痺れ薬には、勝てなかったのでございます」

 豪農の主人は、浅茅五郎左右衛門と、名乗った。

 この浅茅村一帯は、幕府直轄の御料所なのであった。

「手前どもが、代官の役を、おおせつかっております」

 浅茅五郎左右衛門は、苗字帯刀を許された、惣代庄屋なのである。

 それで、この事件の始末をしたのであった。

 また、黒鷹精久郎の懐を調べて、黒鷹精久郎の身分を知ったのである。

 黒鷹精久郎の意識が戻ったのは、事件から四日後なのであった。

「お体が治りますまで、どうぞ、ごゆるりとご滞在下さい」

 次の日、身体は痺れているが、口は開くようになった。

 黒鷹精久郎は、痺れ薬のことを聞いた。

 矢に毒が塗ってあることが、どうして分かったのか、である。

「黒鷹様の眼を拝見しました。

 異様に黒目が大きく、これは毒だ、と分かったのでございます」

 浅茅五郎左右衛門は、惣代庄屋として、百姓の面倒を見ている。

 それで、医術の心得も、薬の知識も持っているのであった。

 しかも、浅茅五郎左右衛門は、大きな薬草園を持っていて、様々な薬を作っていた。

 黒鷹精久郎は、家へ運ばれるとすぐに、火傷の手当を受け、解毒剤を飲まされたのであった。

 幸いなことに骨折はなかった。

 黒鷹精久郎は楠山真伝斎のことを聞いた。

 楠山真伝斎は、ここ十年ほど、浅茅村に隠棲していたのだそうだ。

「座禅三昧でございまして、在家の禅者と、皆は思っておりました」

「剣術をしていたことは?」

「うすうす気が付いている者もありましたが、それだけでございます」

 黒鷹精久郎の手が動くようになったのは、それから三日後であった。

 その三日の間、黒鷹精久郎は、考えた。

 楠山真伝斎のことである。

 部屋から外へ飛び出していったときの身のこなしは、忘れられない。

 もし楠山真伝斎と立ち合っていたとしたら勝てたであろうか。

 その答えは、永久に分からなくなってしまった。


 また、算士吾郎のことも考えた。


 黒鷹精久郎の手が動くようになるまでの三日の間、浅茅五郎左右衛門は、薬草の話をした。

 あの痺れ薬は、何だったのか、という黒鷹精久郎の質問に答えたのである。

 浅茅五郎左右衛門は、おそらく、南蛮象狩であろう、と言った。

「南蛮象狩?」

「南蛮では、象を狩るのに、あの痺れ薬を使うということなので、それから付けられた名前でございます」

「象? あの、大きな動物か?」

「はい、大きな象ですらも倒してしまうのだそうでございます」

「どこで手に入る?」

「もちろん御禁制。

 抜け荷にたよるしか、ありますまい」

 浅茅五郎左右衛門は、鳥兜なら似たような効果があるが、薬の強さが、はるかに違う、と説明した。

「鳥兜や他の薬草で、南蛮象狩に劣らない強い痺れ薬が出来ればいいと、思っております」

「なぜだ?」

「痺れれば痛さを感じない。

 毒薬ですが、怪我の治療には、必要だと思います」

「なるほど」

 浅茅五郎左右衛門は、薬草の話を続けた。

 そして三日が経ったのである。

 黒鷹精久郎は、手が動くようになると、墨と硯、それに料紙を借りた。


 黒鷹精久郎が墨や硯を借りている、ちょうどその頃。

 一人の武士が、内藤新宿の千駄ヶ谷を歩いていた。

 御家人の中森勘助である。

 下屋敷の並ぶ一画を抜けると、道は、松林の中に入る。

 中森勘助は、家にいる妻のことを思いながら、歩いていた。

 いきなり、林から槍が突き出された。

 中森勘助は即死した。


 黒鷹精久郎は、手紙を書き、浅茅五郎左右衛門に渡して、言った。

「これを、日本橋駿河町の両替商三井へ届けて貰いたい。

 それで、三井から渡されたものを持ち帰って欲しい」

「かしこまりました」

「ああ、用心のため、三人ほどの人数がいいと思う」

「はい」

 両替商の三井からは二十五両の小判の包みが二つ届いた。

 黒鷹精久郎が、包みの一つを、浅茅五郎左右衛門に渡した。

「世話になった」

 浅茅五郎左右衛門は、淡々と、受け取った。

 黒鷹精久郎は、もう一つの包みを、浅茅五郎左右衛門の前に置いて、言った。

「これで、頼みがある」

「なんでございましょう」

「薬草の本が欲しい。浅茅殿が、読むべきだ、と思う本をすべて」

「かしこまりました。

 とりあえず、今、手元にあるのを、お貸ししましょうか?」

「それは助かる」

「お待ちください」

 浅茅五郎左右衛門は、帙を持ってきた。

 紐を解き、『大和本草』を取り出した。

「貝原益軒先生の本でございます」

 黒鷹精久郎は、帙の中の別な本に目を止めた。

 算術の本の『塵劫記』や『括用算法』があったのだ。

 黒鷹精久郎の目に気が付いた浅茅五郎左右衛門が聞いた。

「算術がお好きですか?」

「うむ」

 浅茅五郎左右衛門が、うれしそうに言った。

「当代、最高の算士が誰か、ご存知ですか?」

「知らん」

「伊能忠敬先生です。

 算術が得意で、暦が大好きで……」

 浅茅五郎左右衛門は饒舌になった。

 算術は、好きな話題であったのだ。

 伊能忠敬が有能なことを、滔々と話した。

 浅茅五郎左右衛門が一息ついたとき、黒鷹精久郎が聞いた。

「伊能忠敬は、算額の奉納も多いのだろうな?」

「いえ、それはないと思います」

「なぜ」

「伊能忠敬先生は伊達や粋などの浮ついたことがお嫌いです。

 算額を掲げて見栄を張ることは、ございますまい。

 それに、伊能忠敬先生が心血を注いでいるのは暦と測量でございます。

 算術ではございません」

「では、当代、最高の算士で、算額を掲げる見栄を張るのは、誰であろう?」

「そういうことで心当たりがあったのは、ただ一人でございます」

「誰だ」

「平賀源内先生」

「聞いたことがある」

「実にもう、才気煥発、多義多能な方でございました」

「〈ございました〉?」

「はい、十年ほど前に、亡くなっております。

 確か、人を殺めて伝馬町へ入り、そこで病死した、聞いております」

「伝馬町で病死か……」

「平賀源内先生の亡きあと、最高の算士はだれか?

 これは、答えが出ておりません」

「平賀源内は、伊達と粋で、見栄を張っていたのか?」

「はい、洒落もお上手でした」

「算士だから、算号を吾郎とするとか?」

「そのとおりでございます。

 それに算号だから……」

「……十五」

「黒鷹様も、洒落がお分かりでございますね」

黒鷹精久郎は、苦い顔で言った。

「昔、伊達と粋で、見栄を張っていた算士がいた」

「ほほう」

「その莫迦が、〈算士吾郎〉と号を付けたのだ」

「それが、平賀源内先生?」

「違う。

 その莫迦は私だ」


 次の日、黒鷹精久郎の身体が動くようになった。

 黒鷹精久郎が、浅茅五郎左右衛門に、言った。

「世話になったな。厚く礼を言う」

「まだ、火傷が酷うございますが?」

「目的を果たすのに支障はない」

「目的?」

「私に矢を射った者たちを斬ることだ」



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