第8話 社長と先輩とお姉さん、そして俺
玄関口のドアが開いた。
「あっ、お帰りなさ…………」
「は、はじめまち――はじめました! はじめまして!!!!」
3秒にも満たない短時間に2回も噛んだ。女の子が。
お姉さんではない。初対面の女の子だ。多分、俺と同年代のJK。
「ああ、九井くん。こちら昨日からの新人、慈姑編人。こちら俺の担当、九井円佳」
担当……ってことはつまり、このスタジオソードの先輩キャスト、ということか。
あれ? でもお姉さんも社長も、俺より前から配信をやっているような話はしていなかった。それに、九井さんがJKの学生探索者なら、収益は出ない。どういうことだろう。
「わ、わ、本物のアムトくんだ……!! あ、あの、私LIGのギンジくんのファンで……!!」
社長による紹介が済むやいなや、彼女は急接近してきた。他の2人とは違って、俺より身長が低い。
ふわもこな小動物のような印象だった。あえてお下品な言い方をしよう。彼女はトランジスタグラマーだ。
――しかし…………ギンジかぁ。
「ふへ、私ったら、すいません。初対面なのに、こんな…………でも、アムトくんは憧れの人なんでぇ……ふへへ」
「まぁ、もうLIGじゃないけどね、俺は」
「…………えっ? それってどういう――」
かくかくしかじか、と。ファンを名乗る子に教えるようなことでもなかったかもしれない。
だが、追放を一方的に決めたのは向こうだ。俺とはもはや無関係だし、俺が遠慮する道理もない。
「追、放……そんな…………じゃあ、アムトくんはギンジくんたちともう仲良しじゃないってことですかぁ?」
くりくりとした瞳が潤んでいる。もはや俺とは無関係の話――だと思っていた。
俺が彼らのことを忘れたいだけだったかもしれない。
「仲良し……じゃなくなったワケでもないかなぁ。俺よりアミコのほうが大切みたいだけど」
「そうなんですねぇ。ふへへ、良かったです! 大好きな人達が仲悪くなっちゃったら悲しいですもん」
直情的な言葉、強すぎる。純粋無垢な姿がさらに俺を惑わせた。
何なんだこの事務所。
「歓談中のところ悪いが、九井くんは貰っていく。トレーニングがあるのでな」
社長は彼女を引き連れてオフィスを出ようとする。
「え、作戦会議はどうなったんですか」
「セツナがいないと意味がない。新人、そもそも貴様は配信には興味がないだろう?」
配信には興味がない――俺ですらあまり自覚していなかったことだ。しかし、社長に言葉を与えられて、改めて考えてみるとそうかもしれない。
続けて、社長は喋りのトーンを変えることなく物騒なことを言い出す。
「配信をマネジメント、プロデュースするのはセツナの仕事だ。貴様のすべきことは意思決定と出演であって、俺とセツナの仕事に首つっこむことじゃない。落としてやるぞ」
「落とすって……首を?」
「ああ。お前は文楽人形だと言っている」
「……社長はアムトくんに『余計なことを考えないで、自分が何をしたいか考えて』って仰ってます」
俺が首を傾げていると、九井さんが翻訳してくれた。俺は首の位置を戻して頷いた。
さすがは先輩。俺よりも社長の言葉に造詣が深い。
「あと、『難しいことは社長とセツナさんで考える』とも。それじゃ社長、行きましょ!」
「ん? 俺はそんな恥ずかしいこと言ってな――ちょ、押すな押すな!」
個性的な人しかいない事務所だ。
………………
…………
……
そして、2人はダンジョンに出かけていってしまった。
俺ひとりのオフィス。
学校から連れ出されて、今度はほっぽりだされた。無責任だろ、とも思ったが、社長の『自分が何をしたいか考えて』という言葉が俺の脳内に溶け込んでいく。
ソファに飛び乗って、事務所の天井を眺めてみた。
LIGを追放されていなければ、ダンジョン攻略に勤しむ毎日がこれからも続いていただろう。
だが、彼らと決別し、お姉さんと出会い、今こうやって配信事務所で物思いにふけっている。
――本当に俺をほっぽり出したのはお姉さんでも社長でもなく、LIGだった。
復讐……がしたいワケじゃない。でも、一矢報いたい気持ちがある。
「バズって、みるかぁ……」
そうすればアミコちゃんは更なる高みへ上り詰め、彼らには手の届かない存在になる。
それが俺にできるささやかな復讐だ。
ギンジ、カワタロウ、ヒデオの顔が瞼裏に浮かんでくる。横顔だ。ダンジョンのボスモンスターに立ち向かって歯を食いしばる彼らの姿がありありと浮かんできた。
彼らの背後から、アミコちゃんは颯爽と現れる。
驚く顔を見るのもつかの間、モンスターをこてんぱんにやっつけてはすぐに彼らのもとを離れる。
何か言いたげな顔をしていたのも覚えている。何度も何度も、それを繰り返してきた。
「アミコちゃん! 俺と結婚してください!」
「いや、俺と結婚してください!」
「いやいや、俺と結婚してください!」
スーツ姿のギンジ、カワタロウ、ヒデオが私の前でひざまずき、花だったり指輪だったり、思い思いの品を差し出してきた。
「ごめんなさい。私には心に誓った相手がいます」
「えッ――」
3人の顔から色が失せた。
「私」
「わたし……?」
「お姉さんについていきます!!」
「ええええええええええええええええ!?!?!?!?」
「俺のアミコちゃんが……素敵なお姉さんと……ッ!!」
「それって百合じゃん!!」
「おねロリキタコレ!!」
――――ハッ!! 悪夢だ!!
「やぁ、目が覚めたかい?」
夢から覚醒した俺の視界では、天井が何かに遮られていた。
身体を起こそうとして、顔面に柔らかい感触が広がる。
適度な弾力。
何者も等しく弾き返そうとするが、力を入れれば言いなりになりそうなか弱さがある。
反動でまた仰向けに。夢心地だ。
「――少年、まだ寝るのかい? 成長期だねぇ……」
もっとも、それは夢でもなんでもなく、ただ俺が、膝枕するお姉さんのおっぱいに頭をぶつけただけだった。
「まったく、手がかかる少年だ……」
お姉さんの香りに包まれながら、あと30分間だけ、そうしていた。