第7話 明くる日常
翌朝、ニュースのヘッドラインを飾っていたのは、俺とお姉さんが潜ったダンジョン、通称タテウラが封鎖されたというものだった。
俺達の配信が波及を呼んで、地形改変の件についてダンジョン省の管理局員が調査を始めた……とのことらしい。
幸いにも死傷者は出ていない。
見物でタテウラに挑もうとしていた人たちの足を止めたのはダンジョン系vtuberグループ『おとめ座シューリンスター』の新メンバー加入発表配信だとか。よく知らないけど。
そんなこんなで一晩明け、いつものように登校する。
「おいアムト!!」
聞き慣れた声。校門の前で待ち構える3人衆がいた。
仁王立ちの彼らは相変わらず桃色の法被を着ていた。彼らのことだから制服を忘れてきたのだろう。
「んだよギンジ」
「おめぇ、昨日俺達と別れた後、アミコちゃんと会ったな?」
「あ、ああ。確かに、ダンジョンの中で会ったかもな」
彼らの顔色が変わる。ペンライト顔負けの、顔面蒼白。
ギンジが俺の肩を掴んでくる。
「どうしてッ!! なんでお前のとこばっかなんだよォォ!!!!」
鬼気迫った叫びが響き渡る。生徒たちがこちらを見ては「いつものか」と、生徒会直属のあいさつ委員会を無視して昇降口へと歩んでいく。
「さ、分かったら俺をパーティに戻すこったな」
「それはできねぇ相談だぜ相棒。まだ俺らの挑戦は始まったばかりなんだ。そうだろ! カワタロウ! ヒデオ!」
「ソロで経験を積むのだって悪くないはずさ」
「こっちだってアムトに任せっきりにしてた探索やってみてるんだ」
「はいはい。それなら言わせてもらうけどな、アミコちゃんはお前らのとこには来ない。残念だがな」
「いいや! 天使は俺達に微笑むぜ、俺にゃ分かるんだ。アムト、俺達、最初からこうするべきだったんだ」
ギンジは俺の肩に身体をぶつけて去っていく。きっと制服を取りに帰ったのだろう。
「おはよーございます」
「…………」
校門から校舎までのあいさつ委員会ロード。無数の挨拶が俺に浴びせられる。
「おはよう、少年」
「……………………えっ」
あいさつ委員会ロードの最果てに、〝彼女〟が立っていた。
学校の敷地内だぞ……いや、言われてみれば昨日も校舎の中にいたか。
「ご両親と校長先生と担任の先生に話は通してある。さあ、配信をしようじゃないか!!」
………………
…………
……
「――で、今度は社長ですか。どうして学校にいるんです。俺の学生生活は? 彼女とのキャッキャウフフな青春はどうなるんですか!!」
「美人2人に囲まれてそれを言うか。貴様の彼女はヘレネーか? それなら俺たちはクレオパトラと楊貴妃か! はは! 聞いたかセツナ! お前は小野小町だそうだ!」
「何を言ってるのかさっぱりだねぇ……少年、君の耳は社長の話を聞くためにあるのではないから安心したまえ」
ワゴン車を運転する社長、俺とお姉さんは後部座席で彼女に呆れていた。
学校を早引けさせられた俺は事務所の車に乗せられて、昨晩のオフィスへ向かっていた。もとい、連れ去られている。
「しかし困ったなセツナ。小野小町はついぞ真実の愛に結ばれることなく果てたんだ。慈姑編人、セツナを悲しませるようなことはするなよ」
「え? あ、はい……へ??」
「少年。私の言葉だけ聞いていればいい」
「は、はい……」
昨日は疲れていたから社長の話に連いていけなかったのかと思ったが、全然そんなことはない。ちんぷんかんぷんだ。
でも、なんとなく俺とお姉さんのことを思っていてくれているような気もする。
「あ、そうだ。昨日貴様が寝た後に占ってみたんだが、出会いの運勢は大凶だったぞ。ラッキーアイテムはドローンだ」
「ドローン……? おい少年。昨日わたしを助けた後、ドローンはどうした」
「セツナさん。社長の言葉は聞かなくていいですよ」
うーん、気の所為だったかも。隣の座席からお姉さんに迫られる。それをバックミラーで見ながら笑っている社長が見える。うーん、これは意地悪さドSSS級。
と、顔を逸らした先の車窓で、制服姿のギンジたちが走っているのが見えたのだった。
………………
…………
……
「さて、作戦会議だ。彼を知り己を知れば百戦殆からず。まずは現状の整理をしよう」
オフィスに到着するやいなや、人格が入れ替わったように話し始めた。百戦錬磨のキャリアウーマンといった印象だ。ソファに座って、向かいの壁に映し出されたパワポを眺める。
お姉さんはコーヒーを3杯分淹れたのに、自分は手を付けずそっと俺に押し付けてきた。そして挙手する。
「社長、砂糖がありません」
「結構。俺には貴様らが甘く見えてしょうがないがな」
お姉さんは不服そうに首をかしげる。きっと〝甘い〟の意味を分かっていない。それはそれとして俺は顔が紅潮してるような気がした。さっきもそうだったが、臆面もなく〝そういうこと〟を言われると恥ずかしい。
「話を戻す。新人が起こした〝新発見〟のおかげで、切り抜きが広まっている。そのことも相まって、我らが『スタジオソード』のチャンネルは登録者1万人を突破した」
「えッ!? 1万人ですか?」
「ああ、0から1万人。たった一晩の出来事だ」
社長は淡々と伝える。お姉さんは話を聞いているのか聞いていないのか、スマホを見ていた。
その場で俺だけが震えていた。
1万人といえば、それだけで9割の配信者を超えている数字だ。
烈斗一斗豪が登録者1万人を手にするまで、4ヶ月はかかったと記憶している。今や登録者250万人の烈斗一斗豪でさえそれだけ時間を要したのが、たったの一晩で……。
「セツナが急きょ烈斗一斗豪ではなく、新人に目をつけたのは正解だっただろう。無理強いをしてしまっていることは良いと言えないが」
「無理強い? 少年、わたしが無理強いをしたかい?」
「現在進行系でされてます……圧が強いんですってば」
「ム……そうかい。わたしのことが気に入らないということだね。社長、わたしはスティックシュガーを買いに行くよ」
「ああ、多めにな。行ってらっしゃい」
お姉さんはこちらに見向きもせずに出ていってしまった。その後姿に、何か、心にひっかかりを覚える。
視線を社長に戻すと、また彼女と目があった。
「……新人。貴様に背負わせるには重いかもしれないが、あの子は元の事務所を出ていってしまったんだ。たったひとりで」
「…………」
返す言葉がなかった。罪悪感。
つい今さっきまで和やかにボケを交わしていた空気が、俺の知らぬ間に変わっていた。前にも言ったが、俺は人の感情の機微に敏感だ。それなのに、俺が人を傷つけるような真似をしてしまったということにショックを受けた。
「責めてるんじゃない。ただ知ってもらいたい」
「…………」
「彼女は――雪立刹那は、もともとは『オフビート』という事務所で配信マネージャーをやっていた」
ハッとする。『オフビート』といえば『おとめ座シューリンスター』が所属している事務所だ。
そういえば昨日、おとめ座の事務所について何か言っていたような気がする。確か、近づくな、と……。
それに、先ほど車内で社長が言っていた『セツナを悲しませるようなことはするなよ』という言葉が思い出された。ほんの冗談……俺とお姉さんの仲をいじる言葉とばかり思っていたが、時間差でその重みが伝わってくる。
「何人か新人を担当していて、職場での立場も良かったそうだがね。事務所が推していた紋切りのやり方が気に入らなかったようで、向こうから言われるよりも先に辞表を出した。烈斗一斗豪を追い出された時の気持ちを覚えているかい?」
「……すみませんでした」
「うん。心配した俺への気遣いは確かに大事だろう。それ以上のことは、分かるな? 大丈夫さ。大丈夫じゃないならハナっから貴様をセツナの記憶から消してたさ」
社長の瞳の奥に、何かが見えたような気がした。何か……なんだろう。
嘆息する俺の隣に、彼女が座る。腕を俺の後ろに回して、肩をがっしりと掴む。もちろん、身体がくっついた。爽やかな香り。
「俺が……怖いか?」
「……ちょっぴり」
「魔法少女、マジッコ・アミコとあろうものが?」
「人間は別です。モンスターなら倒せばいいけど、人間は倒す以上に厄介だから」
「客観的に言えば人間もモンスターも変わらん。違うのは貴様の中での目標設定だろう」
社長は俺の脚に、片脚を乗せる。逃げるつもりはなかったが、物理的に逃げられない状態にさせられて、思わず喉が鳴った。
「いいか、慈姑編人。俺はお前に気に入らないところが1つだけある」
俺の肩を掴んでいた手が、首元に伸びてきた…………いや、身体を寄せられている。
耳元に、社長の吐息がかかる。今にも死にそうなくらい、心臓が力強く拍動している。
「何か分かるか?」
「…………分からないです」
「己を騙そうとしていることだ」
社長は言い終わると、俺の頬にキスをした。心底、肝が冷えた。
何がなんだか分からなかった。
俺は呟く。
「何なんだこの事務所……」
「愚者と最強と魔法少女の集いだ。世界を救うための」
その言葉に、なぜかデジャヴを感じた。