第2話 お姉さん
「アミコちゃんの正体は俺なのに」
「――ふぅン? 興味深い。少年、君がアミコちゃんだと言うのかい?」
すでに日は傾きかけ、窓から落ちる夕日の光が廊下を橙色に染め上げている。
しかし、俺は影の中。お姉さんの影の中。
スーツ姿でOLのような格好のお姉さんは、俺を見下ろして……いや、見下してすらいたかもしれない。
学校の関係者じゃないだろうし、少なくとも俺とは面識がない。
「だ、誰? どなたですか……?」
彼女はいわゆるカタメカクレで、重量感のある紫の前髪から覗く瞳は、じっと、こちらを捉えて離さない。
泣きぼくろがもうほんとにえっちすぎる。ダメだろ……こんなの。風紀が乱れるって。
しかし、彼女は何を考えているのだろう。人の感情に敏感だと自負していたのに、何もわからない。
俺がアミコだと本当に見抜いているのか、冗談だと受け流しているのか。容姿の美しさが邪魔すぎて、彼女の内心を考えることすらできない。
お姉さんはいわば、むき出しの催眠術だった。
「おっと、名乗るのが遅れてしまったね。わたしはこういう者さ」
「あ、どうも……」
吐息混じりの喋り方。注意して声を拾わないと騒音の中に溶けて消えてしまいそうな、そういう幽玄さに満ちている。
彼女は首から吊るしているネームプレートを俺に示した。
『スタジオソード(株) マネージャー 雪立 刹那』
「スタジオソード……? 聞いたことがないですけど、配信事務所か何かですか?」
「察しが良くて助かるよ。そういう君は烈斗一斗豪の慈姑編人くんだね」
この時点で、彼女が何をしに烈斗一斗豪の部室の前に来ているのかおおよその見当がついていた。卒業後、キャストとして配信事務所へ入所できることの通達――いわゆる内定と呼ばれるようなものを持ってきたに違いない。
これは自慢だが、俺達烈斗一斗豪は県内でも一位の学生探索者パーティだ。そういう〝お誘い〟も少なくはない。対応には慣れていた。
「……俺達、一般探索者になったら個人で頑張るって決めてるんで」
「『俺〝達〟』? 偶然、中から声がしてきたもので聞いたんだが、君はパーティを追い出されたのだろう?」
「ン゛ッ。あ、えと……そ、そんな! 本気にしないでくださいよ! こういう喧嘩はしょっちゅうで――」
「なら、君は我こそがアミコちゃんだとカミングアウトしてみたらどうだい?」
「ン゛ン゛ン゛ン゛ッ……! ごほん! なんでそんな痛いところばかり突いてくるんですか」
「失礼。穴を見ると突っ込みたくなる性分でね。ともあれその反応を見るに、君がアミコちゃんだというのは嘘ではないようだ」
フフフ、と彼女は甘い声を漏らす。どうやら彼女はサディスティックな気質があるらしい。
マゾを公言しているカワタロウと相性が良いのではないだろうか。
少なくとも俺は今、この人にもてあそばれている。
「気が変わった。アミコちゃん、わたしと契約しよう」
「へ? えと……学生探索者は収益化できないって法律上――」
「少年、君は正体不明のアミコちゃんを県立高校の2年生だとでも思っているのかい? わたしが契約するのはアミコちゃんだよ」
彼女は書類とペンを挟んだバインダーをどこからか取り出し、俺に差し出してきた。
契約書だ。何の? 何の契約書だ?
文章を読もうとするが、内容が頭に入ってこない。それどころか、お姉さんのしなやかな手先に目が行ってしまう。くそ、俺ってこんなに異性に弱かったのか。
「どうしたんだい少年。ぼーっとして。ペンを落としてしまったよ」
俺の知らぬ間に、彼女はネクタイを緩めてシャツの首元を開けていた。それなのにお姉さんはペンを拾おうと俺の目の前で屈んだ。
な、これは! おっは。い!! 胸の谷間にびっくりしすぎて丸が落ちた!
「ん? 少年、どこを見ているんだい?」
秘境です。
ハニーなトラップだっていうのか。これが。あまりにも卑怯だ。
くそ、悔しい。勝てない。でも、心が沸き立っちゃう。
( ゜∀゜)o彡゜おっは。い!おっは。い!
――と、結局、俺は誘惑に負けて署名した。
マジッコ・アミコ、ダンジョンを照らす星の光。どんなモンスターにも負けない私ですが、歳上お姉さんには敵いませんでした。
「…………やっちまった」
「契約成立だ。ふふ……私が所有しているアミコちゃん直筆サインとも筆致が同じだ。これは物的証拠になるぞ、少年」
「はぁ」
言われてみれば、昔は助けた人にサインを求められて、渋々書いたこともあったっけ。もう何年も昔の出来事だが。
「思いがけない収穫だった。だが、仕事はこれからだ。ゆくぞ少年」
「え? ど、どこに……まさか、警察に突き出すつもりじゃ……」
「決まっているだろう! ダンジョンさ!!」
………………
…………
……
俺とお姉さんがやってきたのはダンジョンホールという、区内のダンジョンへの入場を一括で管理する建物だった。
イ○ンモールを思い浮かべてほしい。それぞれの店舗がダンジョンの入り口になっている感じだ。
ウィンドウショッピングならぬウィンドウダンジョン見学で、どこを攻略しようか考えるだけで一日が潰せるくらいの場所。俺にとっては楽園のような施設だった。
「一体、俺って何の契約をしちゃったんですか」
「魔法少女ものには契約がお約束だろう?」
「魔法少女ものじゃなくって、ダンジョン配信ものですよ。何言ってるんですか」
「冗談だよ。わたしが配信マネージャーで、アミコちゃんがキャストになるというものだ。裏面を読まなかったのかい?」
「う、裏面!? そんなの言われないと分かんないですよ……」
「やれやれ、君のことが心配だよ。素性のわからない人についていくんじゃないぞ?」
「お姉さんが言いますか、それ」
天然なのかボケなのか。隣を歩くお姉さんの表情がほころんだ……気がした。
2人で並んで歩いているだけ。しかし、ちょっとばかりは有名な俺と、現実離れした美貌を持つお姉さんとの組み合わせは周囲の注目を買ってしまった。
学生服とOL姿の男女だから、変に勘違いされることはないと思うけど。
いかにもダンジョン探索者な、甲冑を着た人たちがスマホを構えていたり、魔法使いな帽子の女子高生らがひそひそ話をしていたり。
勘違いされることはない……と思うけど。
「あの、早いところダンジョン選んじゃいませんか?」
「ふム……デビュー用のロケーションも事前に見繕っておくべきだったかな。いかんせん、急な予定変更があったものでね」
「あのダンジョンなんかどうです? タテウラとか。古き良き初心者向けダンジョンの裏ステージですよ」
「良いだろう。古き良きなら、ノスタルジーな感情を引き出す方針でいこう」
彼女もマネージャーらしい顔つきになってきた。頼もしいか頼もしくないかでいうと、ぜんぜん頼もしくない。
だけどそれで良かった。俺も俺で、焦ったフリをしてみたが、本当は一緒に歩いていて嫌じゃなかった。
周囲の視線から逃げるようにダンジョンの無人受付カウンターに向かい、駅の改札に似ている機械に探索者のIDカードをかざした。
そのとき、お姉さんの照明写真が見えたのだが――
「えっ?」
思わず声が漏れてしまった。そのIDカードに映っているお姉さんは今の姿と違い、もっと、こう……明るかった。おでこを見せる髪型で、目にハイライトが宿っている。儚げな美人というより、明朗快活なアイドルのような印象。別人だった。
でも、たしかに泣きぼくろの位置は同じだし、正真正銘お姉さん自身なのだ。
「どうしたんだい、少年。おばけでも見たような顔をして。祓ってあげようかい?」
「あ、いや、何でも……」
そうか、と彼女はダンジョンにつながるチェックインポータルへフラフラと歩いていく。おばけみたいなのは今のお姉さんだ。何があったら、あの美人がこんな幽霊みたいなのになるのだろうか。
ポータルに差し掛かると、彼女は煙のように消えた。幽霊だ。
…………じゃなくて、これはポータルの機能。ポータルはでっかいドーナツ、いや巨大なMRIみたいな形状で、真ん中の穴がダンジョンに通じている。
俺もドーナツの穴に飛び込んだ。