運命の出会い
アリオンが森の奥へ進むにつれて、異変の正体が次第に明らかになってきた。鳥たちの鳴き声に混じって、明らかに魔物のものと思われる咆哮が聞こえてくる。それも一匹や二匹ではない。
「これは……思ったより大事かもしれんな」
木々の隙間から漏れる夕日がアリオンの顔を照らす。彼は慎重に足音を殺しながら、音のする方向へと進んだ。ハーフエルフの身軽さで、落ち葉の上を歩いても殆ど音を立てない。
やがて、小さな空き地が見えてきた。そこで彼が目にしたのは――
「何だ、あれは……」
一人の少女が、複数の魔物に囲まれて戦っていた。
それも尋常ではない美しさの少女である。銀色に近い灰色の長い髪が夕陽に輝き、整った顔立ちは人間のものではない。エルフ、それも珍しい灰色エルフのようだった。黒いドレスのような衣装を身にまとっているが、動きやすそうな作りになっている。
しかし、何より目を引いたのは彼女が手にしている武器であった。
「あの鎌は……」
その大鎌は、少女の体格に全く見合わない巨大なものだった。刃の部分だけでも彼女の身長の半分はありそうで、柄を含めれば体の一・五倍はある。そして何より、その鎌から放たれる禍々しい気配が、遠くにいるアリオンにも感じ取れた。
「あんな武器を、あの小柄な体で振り回すとは……」
少女の周りには、ゴブリンが五匹、オークが二匹、そしてダイヤウルフが数匹群がっていた。普通の人間なら確実に命を落とす状況である。
しかし少女は――驚くべきことに――互角以上に戦っていた。
あの巨大な鎌を、まるで羽根のように軽々と振り回している。一振りでゴブリンの頭を刈り取り、返しの一撃でオークの胴を両断する。その動きに無駄がなく、まるで踊るような流麗さがあった。
「あの強さ……只者ではないな」
アリオンは木陰に隠れながら少女の戦いぶりを観察していた。彼自身、冒険者としてはそれなりの腕を持っているが、あれほど大型の武器を自在に操る技量はない。
「おい、お嬢ちゃん!」
アリオンは声をかけてみた。しかし少女は全く反応を示さない。こちらを見るでもなく、返事をするでもなく、ただ黙々と戦い続けている。
「聞こえてないのか?」
もう一度声をかけてみても同じだった。しかし――
「後ろだ!避けろ!」
ダイヤウルフが少女の背後に回り込もうとした時、アリオンが警告の声を上げると、少女は即座に身を翻してダイヤウルフの攻撃を避けた。
「聞こえてはいるのか……」
少女は戦闘指示には反応するが、会話には応じない。奇妙なことだった。
それにしても、彼女の表情が気になった。魔物に囲まれ、生死をかけた戦いをしているというのに、その顔には全く感情が見えない。恐怖も、怒りも、緊張も、何もなかった。まるで日常の作業でもこなしているかのような、淡々とした表情である。
「死を恐れていないのか?それとも……」
アリオンは困惑した。普通なら、どんなに強い戦士でも、これほど多数の敵に囲まれれば焦りの色くらいは見せるものだ。しかし彼女は、真顔のまま淡々と鎌を振るっている。
その時だった。
地面が大きく揺れた。
「地震か?」
アリオンは木に手をついて体勢を立て直そうとした。しかし揺れは続く。それも、地震にしては妙にリズミカルな揺れだった。
ドン、ドン、ドン。
まるで巨大な何かが地面を叩いているような――
「まさか」
アリオンの顔が青ざめた。この音は、この揺れは――
突然、空き地の中央の土が盛り上がった。
そして次の瞬間、巨大な何かが地面から現れた。
「クレイワーム!」
それは長さ三十メートルはあろうかという巨大なイモ虫のような魔物だった。体幅は三メートル近く、体表は粘液でぬめぬめと光っている。小さな目がいくつも頭部に並び、口からは鋭い牙が無数に覗いていた。
クレイワーム――地中を掘り進んで移動し、時折地上に現れて獲物を襲う巨大魔物である。その巨体に見合った圧倒的な力を持ち、普通の冒険者パーティでも苦戦を強いられる強敵だった。
「こんなことなら弓を持ってくるべきだった……」
アリオンは後悔した。ダガー一本では、あの巨体に立ち向かうのは無謀すぎる。しかし今更家に戻っている時間はない。
クレイワームの出現で、それまで少女を囲んでいた魔物たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。ゴブリンもオークもダイヤウルフも、巨大な捕食者の前では獲物に過ぎない。
残されたのは、アリオンと謎の少女、そして巨大なクレイワームだけだった。
「おい、お嬢ちゃん!今すぐここから逃げろ!」
アリオンは木陰から飛び出して叫んだ。しかし少女は――またしても無反応だった。それどころか、あの巨大な鎌を構えて、クレイワームと対峙しようとしている。
「正気か?あんな化け物と戦うつもりなのか?」
クレイワームの巨大な頭がゆっくりと少女の方を向いた。小さな目がぎょろぎょろと動き、獲物を品定めしている。その口からは粘液が滴り落ち、草を枯らしていく。
「くそ、仕方ない」
アリオンはダガーを抜いた。一人の少女を見捨てて逃げるなど、彼の良心が許さなかった。それに――彼女の戦いぶりを見る限り、協力すればあるいは何とかなるかもしれない。
「まあ、、、なんとかなるかっ!」
口癖を呟きながら、アリオンは空き地に踊り出た。
クレイワームが最初に狙ったのは、より小さな獲物である少女の方だった。巨大な口を大きく開け、鋭い牙を剥き出しにして襲いかかる。
少女は素早く横に跳んで攻撃を避けた。そして鎌を大きく振り上げ、クレイワームの側面に斬りつける。
キィン!
金属音が響いた。鎌の刃はクレイワームの体表に食い込んだが、あの粘液のせいで深くまでは達しない。それでも、黒い体液が溢れ出した。
「やるじゃないか」
アリオンも負けじと、クレイワームの反対側からダガーで攻撃を仕掛けた。しかし彼のダガーは、少女の鎌ほどの威力はない。わずかに皮膚を切り裂いただけで、決定打には程遠かった。
「この硬さは予想以上だな」
クレイワームが身体をくねらせ、巨大な尻尾を振り回した。アリオンは慌てて後ろに飛び退く。尻尾の先端は鋭く尖っており、毒々しい色をしていた。
「尻尾に毒があるのか……厄介だな」
少女も尻尾の攻撃を避けながら、再び鎌を振るった。今度は頭部を狙ったようだが、クレイワームも学習したのか、頭を引っ込めて攻撃を躱す。
戦闘は膠着状態になった。クレイワームは巨体と硬い皮膚で守りを固め、アリオンと少女は機動力で翻弄するという構図である。
しかし時間が経つにつれて、劣勢は明らかだった。クレイワームの体力は膨大で、小さな傷では致命傷にならない。一方、アリオンと少女は人間サイズである。一撃でも喰らえば、それで終わりだった。
「このままでは埒が明かんな」
アリオンは額の汗を拭った。少女も、戦い始めた時に比べて明らかに動きが鈍くなっている。あの巨大な鎌を振り回し続けるのは、相当な体力を消耗するのだろう。
その時だった。
クレイワームが突然、戦術を変えてきた。これまで頭部での噛みつき攻撃を主体にしていたのを、尻尾での攻撃に切り替えたのである。
長い胴体を使って少女の退路を塞ぎ、毒のある尻尾で追い詰める作戦だった。
「しまった、囲まれる!」
少女は後退を続けたが、やがて大木に背中を押し付けられた。逃げ場がない。
クレイワームの毒尻尾が、槍のように少女めがけて突き出される。
その瞬間――
「危ない!」
アリオンが横から飛び出した。
彼は自分の身体を盾にして、少女の前に立ちはだかった。クレイワームの毒尻尾が、アリオンの左肩を貫く。
「ぐあああああ!」
激痛が全身を駆け抜けた。毒が回り始めたのか、意識が朦朧としてくる。しかしアリオンは倒れなかった。ダガーを逆手に持ち替え、自分を貫いている尻尾に刃を突き立てる。
「これで……どうだ!」
クレイワームが苦痛の声を上げて尻尾を引き抜いた。アリオンの身体から血が噴き出し、彼はその場に膝をついた。
しかし、クレイワームの反撃はそれで終わりではなかった。怒り狂った巨大魔物が、今度は大きく口を開けてアリオンに襲いかかる。
あの巨大な口に飲み込まれれば、確実に死ぬ。
「あ、ここまでか」
アリオンは諦めに似た感情を抱いた。
「クレイワームを、こんなお嬢ちゃんと二人で倒そうと思ったのが間違いだったんだな」
死を覚悟したアリオンだったが、不思議と恐怖は感じなかった。少なくとも、あの少女を守ることはできた。それで十分だと思えた。
その時――
少女が、じっとアリオンの姿を見つめていた。
彼女の脳裏に、疑問が浮かんだ。
(この人は、とっさに私のことを庇った?なぜ?)
記憶を失っている彼女には、なぜアリオンがそのような行動を取ったのか理解できなかった。自分と彼は赤の他人のはずだ。なのに、なぜ自分を守るために身を投げ出したのか。
(私のせいで、この人が死ぬのは……良くない)
その瞬間、彼女の心の奥底で、何かが動いた。
今まで感じたことのない感情。
それは――怒りだった。
この男を傷つけた巨大な魔物への、純粋な怒り。
ふつふつと湧き上がる、熱い感情。
彼女の瞳に、初めて感情の光が宿った。