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森の外れの住人

ナプサタの町外れ、大いなるオークの木が立つ一角にて、アリオン・ハイオノアは薪を割る手を止めて深き溜息をついた。


「まったく、ふざけた話である」


無精髭の生えた顔をしかめながら、彼は斧を薪に振り下ろした。パキン、という乾いた音が夕暮れの静寂に響く。秋の終わりの冷気が頬を撫で、森の賢者(ドルイド)の葉巻から立ち上る煙が夕闇の中に溶けていく。

このオークの木こそが、アリオンの住処であった。百年は経っているであろう古木を、ドルイドの血を引く彼の魔法により内部を居住空間へと変化させている。外見は普通の大木に過ぎぬが、樹皮の内側には暖炉もあれば寝床もあり、小さな書棚さえ備えられていた。簡素ではあるが、一人の男が暮らすには十分であった。


「同じゴブリン退治の依頼であるというのに、あの青二才は銀貨五枚。この俺は銀貨一枚だと? ハーフエルフだからといって、これはあまりに理不尽ではないか」


また一つ薪を割りながら、アリオンは今日の組合での出来事を思い返していた。あの若い人間の冒険者――おそらく二十歳にもなるまい――は確かに身なりこそ良かったが、武器の扱いも未熟で、モンスターに関する知識もアリオンの足元にも及ばない。それでいて報酬は倍以上とは。


「人間どもめ、口では『実力主義』などと言いながら、結局は血統で判断しているのだ」


アリオンは苦々しく呟いた。確かに彼は見た目が良いとは言えなかった。母から受け継いだエルフの美しさはあるものの、長い間手入れされていない髪は肩まで伸び、顎には無精髭が生えている。革の上着は何度も修繕の跡があり、薄汚れていた。そして常に口にくわえているのは『ドルイドの葉巻』――父から教わった薬草を調合した特製の葉巻で、虫や低級モンスターを寄せ付けない効果があるが、独特の苦い匂いを放つ。

組合の連中は鼻をしかめてこう言うのだ。「森人エルフにも人間社会にもなれない半端者が」と。


「半端者、か」


アリオンは自嘲気味に笑った。確かにその通りかもしれない。エルフの集落では人間の血が混じっていることで疎まれ、人間社会ではエルフの血が邪魔をする。どちらの世界にも完全には属せない存在。


「まあ、なんとかなるか」


愚痴を言いながらも、アリオンの口調はどこか飄々としていた。この「まあなんとかなるか」が彼の口癖でもあった。厳格だった両親――特に森の掟に厳しかった父と、純血エルフとしての誇りを持っていた母――の元で育った頃に比べれば、今の自由気ままな生活の方がよほど性に合っている。

パキン、パキン。

薪割りのリズムが夕方の森に響く。アリオンは葉巻を口の端にくわえたまま、手慣れた様子で作業を続けた。冬に備えて薪はまだまだ必要だった。オークの木の家は魔法で作られているとはいえ、暖炉の薪は普通に必要なのである。


「それにしても、最近の若い冒険者どもは甘やかされているな。俺なんて最初の頃は銅貨三枚でラットの駆除をやらされたものだが……」


その時であった。

森の奥から、普段とは明らかに違う騒がしさが聞こえてきた。鳥たちの鳴き声が異常に激しく、まるで何かに恐怖したかのように一斉に飛び立つ羽音が響いている。リスや小動物たちのざわめきも尋常ではない。

アリオンは斧を止めて耳を澄ませた。ハーフエルフとしての鋭敏な聴覚が、森のあらゆる音を拾い上げる。


「なんだ、あれは……」


動物たちの鳴き声、ざわめき、そして――微かではあるが、地面の振動まで感じられる。明らかに普通ではない。

しかし、アリオンの表情は浮かなかった。三年前の苦い記憶が蘇ったのである。

あの時も、今と似たような森の異変があった。動物たちが騒ぎ、何事かと思案していたアリオンだったが、「まあ大したことあるまい」と放置していた。すると翌日、冒険者組合から緊急招集がかかったのである。


「アリオン・ハイオノア!貴様は森に最も近い場所に住んでいながら、なぜ異変を報告しなかった!」


組合長のバルドリック――太った中年の人間で、アリオンを毛嫌いしている――は怒り狂っていた。


「森の様子がおかしいという報告が町民から上がっている。貴様がきちんと調査していれば、我々がこんな騒ぎをする必要もなかったのだ!」


結果として、アリオンは「罰」として無償で森の異変調査に駆り出された。他の冒険者たちは報酬をもらっているのに、である。

そしてその「異変」の正体は――ただのダイヤウルフたちの群れの大移動であった。季節の変わり目に起こる、ごく自然な現象である。ダイヤウルフたちが縄張りを変える際に、他の低級魔物たちが警戒してざわついていただけのことだった。


「この程度のことに気がつかぬとは、レンジャーとして失格だな」


バルドリックは鼻で笑った。


「いや、そもそもハーフエルフ風情にレンジャーなど務まるはずもないか」


アリオンは何も言い返せなかった。確かに彼はその異変の正体を見抜けなかった。しかし、無償で働かされた上に侮辱まで受けるとは。


「あの時の屈辱は忘れん」


アリオンは歯を食いしばった。今度同じようなことがあれば、組合に報告する前に自分で確認してやる。そうすれば少なくとも「気がつかなかった」と責められることはない。


「よし、様子を見に行くだけにしよう。大したことでなければそれでよし。何か本当に危険なことであれば、その時に報告すればよい」


アリオンは斧を木の根元に置くと、家の中からダガーを取り出した。弁解の余地がないほど切れ味の良い短剣で、彼の愛用品である。本来なら弓の方が得意なのだが、矢は一本一本が貴重だ。偵察程度ならダガーで十分だろう。

それに、万が一魔物と遭遇したとしても、ダガーなら回収できる。矢は外せば失うリスクがある。


「まあ、見てくるだけだ。なんとかなるさ」


彼は葉巻を指で挟むと、煙を一つゆっくりと吐き出した。夕闇が濃くなり始めた森に、ドルイドの葉巻の香りが漂う。

アリオンは腰にダガーを差し、軽快な足取りで森の奥へと向かった。ハーフエルフの身軽さで、音もなく木々の間を進んでいく。彼の足音は落ち葉を踏んでも殆ど音を立てない。

森の異変の音は、確実に大きくなっていた。

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