プロローグ 地獄の断罪
だいぶ前に作り込んでいた話です。始まります。
私は炎に包まれた玉座の間で膝をついていた。
九層地獄第四階層。永劫に燃え続ける炎の宮殿にて、父ベリアルの怒りが大気そのものを震わせている。床に敷かれた黒曜石の石板が、父の感情に呼応するように赤熱し始めた。
「———よ」
低く響く父の声。されど私は顔を上げることができない。
「汝は何をなした」
「私は……ただ……」
言葉が出ない。確かに私は父の宝物庫から大鎌を持ち出した。けれどそれは……それは初めて私が「欲しい」と思ったものだったから。今まで一度として、何事にも興味を抱いたことなどなかったのに。
「『デス・サイズ』の模造とはいえ、死の神より賜った神の武器であるぞ」
父の声がさらに低くなる。玉座の左に立つ姉ピエールナが、軽蔑の笑みを浮かべた。
「まったく、コイツは何を考えているのやら。あんな忌まわしきものに興味を示すとは」
姉の美しい顔に浮かぶのは、いつもの嘲りの表情。私はそれにも慣れていた。私はいつも、ただそこにいるだけの存在だったから。
「申し訳ございません、父上。されど……」
「されど、何だ」
父が立ち上がった。巨大な翼を広げ、角から炎を立ち上らせながら玉座から降りてくる。
「この鎌を、私以外の者が扱うことはできません」
それは事実だった。父も、姉も、誰も『デス・サイズ』の模造を手にすることはできなかった。神の武器は一度主を定めれば、他の者が触れることを許さない。
「ならば、試してみよう」
突然、父は私から鎌を引き離そうとした。されど鎌は私の手から離れようとしない。
そして――激痛が私の全身を貫いた。
まるで魂が引き裂かれるような痛み。私は床に倒れ伏し、もがき苦しんだ。
父が手を離すと、鎌は自ずから私の元へと戻ってきた。
「ふむ……完全に呪縛されているな」
「では、別の方法を取ろう。ピエールナ」
「はい、父上」
姉が私の前に歩み寄ってきた。その手には黒い首輪――いや、チョーカーのような装身具が握られている。
「デヴィルとしての汝の能力を封印する枷である。地上では、契約なくば本来の力を発揮することはできぬ。これで汝は、ただの小娘同然となろう」
姉が私の首にチョーカーを巻いた。瞬間、体の奥底にあった力が急速に失われていくのを感じた。炎への耐性も、暗闇を見通す力も、すべてが薄れていく。
「そして……これが最後である」
父の手に、透明な球体が現れた。オーブのようで、内側に渦巻く霧のようなものが見える。
「汝の記憶を封印する。地上で惨めに生きるがよい」
父の手が私の額に触れた。
その瞬間、私の内なる何かが吸い取られていくのを感じた。父の顔が、姉の顔が、この宮殿の記憶が、私が何者であるかという記憶が、すべて霧のようになってオーブの中へと吸い込まれていく。
けれど――一つだけ、残った。
デヴィルへの憎悪。
なぜかはわからない。けれどデヴィルという存在への激しい憎しみだけが、私の心に焼き付いたまま残った。
「去れ」
父の声が遠く聞こえた。
そして私は、宮殿の床に開いた溶岩の渦の中へと落ちていった――
灼熱の宮殿で、一人の少女が地上へと追放された後。玉座に座り直したベリアルは、手の中のオーブを見つめていた。
「これでよいのですか、父上」
ピエールナが無関心な様子で問いかける。まるで壊れた人形を捨てたことを問うかのように。
「あやつが持つ鎌は、いずれ我らの計画に必要となる。記憶を失った状態で地上を彷徨わせておけば、やがて我らの元に戻ってくるであろう」
ベリアルの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「それに……地上での『実験』も必要だからな。我らの計画が順調に進んでいるか、確認するよい機会でもある」
オーブの中で、———の記憶が静かに渦巻いていた。