第4話:深海の対話
伊20潜の決断
深海の闇の中、伊20潜の艦内は、張り詰めた静寂に包まれていました。ソナーが捉えた水中音響信号――それは、彼らが「未知の艦隊」と呼ぶ存在からの、明確な「話しかけ」でした。艦長の吉野少佐は、その奇妙な信号の音を聞きながら、額の汗を拭いました。
「司令!この信号は…モールス信号ではないようです!しかし、繰り返し同じパターンを発しています!」ソナー員が報告しました。「解析を試みますが…全く解読できません!」
伊20潜は、その場を離れるべきか、それともこの前代未聞の接触に応じるべきか、という決断を迫られていました。吉野少佐の脳裏には、大本営からの「未知の敵を特定せよ」という命令と、昭和天皇から密使に託された「直接接触を試み、意図を探れ」という密命が交錯していました。彼の直感は、この信号が敵意によるものではないと告げていました。
「…応答せよ」吉野少佐は静かに命じました。「我々の持てる限りの技術で、可能な限り明確な信号を送る。相手が何者であれ、我々は彼らと会話を試みる。」
伊20潜の通信士は、艦内にある限られた音響機材を総動員し、伊号潜水艦の標準的な探信音を、相手の信号に合わせて変調させ、返信しました。それは、1941年当時の日本が持つ、唯一の「会話」の手段でした。
ブルー・リッジの葛藤
同時刻、遥か上空では、第7艦隊の旗艦ブルー・リッジのCICもまた、緊張状態にありました。ソナーが捉えた日本の潜水艦からの返信に、艦橋のクルーたちは息を呑んでいました。
「司令!日本潜水艦からの返信を確認!従来の探信音を変調させていますが…信号パターンが非常に単純です!こちらからの通信が理解できていない模様!」
マクドナルド提督は、モニターに映し出された伊20潜の情報を凝視しました。彼らは、未来の技術で、伊20潜の艦種から乗員の心拍数まで、あらゆる情報を把握できていました。彼らの「話しかけ」は、友好を示す意図があったものの、時代を超えたコミュニケーションの難しさを改めて痛感させられました。
「彼らは我々を警戒しつつも、接触を試みている…ということか。面白い。だが、慎重に進めねばならない。」
艦長の問いかけに、提督は深く息を吐きました。
「このままでは、膠着状態が続くだけだ。通信は確立できていないが、彼らがこちらの存在を認識し、接触を試みているのは確かだ。私は…一歩踏み出すことにした。」
マクドナルド提督は、艦内の主要士官たちを集め、衝撃的な決定を告げました。
「諸君、我々は、この伊20潜の乗員たちに、我々の存在を、そして我々が敵ではないことを伝える。これは危険な賭けだ。だが、このままでは日米両国に『未知の敵』として誤解され続ける。接触は避けられない。しかし、決して技術を悪用してはならない。我々は、この歴史を、より良い方向へと導く可能性を探る。」
艦内は静まり返りました。歴史への干渉を避けるという方針と、この「一歩」の間の葛藤が、誰もが理解できたからです。しかし、提督の目は、かつてないほど強く、決意に満ちていました。
未来からのメッセージ
伊20潜は、第7艦隊からの返信を待ち続けていました。数分後、再びソナーに反応がありました。今度は、先ほどよりも複雑な、しかしより明確な水中音響信号でした。
「司令!新たな信号パターン!先ほどよりも複雑ですが、何かを伝えようとしているようです!」
通信士が興奮した声で報告しました。伊20潜のクルーは、全神経を集中させてその信号を解析しようと試みました。そして、彼らが信じられないものをソナーが捉えました。
それは、特定の周波数で繰り返し発信される、極めて鮮明な音声データでした。
「音声データ…だと?そんなことが…可能なのか!?」
吉野少佐は愕然としました。当時の潜水艦のソナーで、遠距離から音声を捉えるなど、常識では考えられないことでした。しかし、ソナーは確かに、その「声」を艦内に響かせ始めていました。
それは、男性の声で、非常にクリアな日本語でした。
「ワレワレハ、テキデハナイ。ワレワレハ、ミライノジンルイデアル。キミタチノ、キミタチノ、カコノジンルイデアル…」
伊20潜の艦内は、恐怖と混乱に包まれました。「未来からの人類」という言葉は、彼らの理解を完全に超えていました。しかし、その声は、驚くほど友好的なトーンで語りかけているように聞こえました。
吉野少佐は、混乱するクルーを制し、自らに言い聞かせました。これが、天皇陛下の密命の真意なのか。
「未来人」の出現
その頃、ワシントンD.C.の極秘会議室では、日米の会談が続いていました。キンメル提督が日本の索敵能力に懐疑的な見方を示した時でした。
突然、会議室の大型スクリーンにノイズが走り、映像が乱れ始めました。それは、彼らの通常の通信システムとは異なる、未知のチャンネルから割り込んできたものでした。
「何だこれは!?」
スクリーンに映し出されたのは、顔がはっきりと見える、一人の白人男性の姿でした。彼は軍服を着用していましたが、その制服は日米いずれの軍服とも異なる、見慣れないものでした。そして、彼は、完璧な日本語で、流暢に話し始めました。
「大日本帝国、そしてアメリカ合衆国の代表者の皆様。私は、この時代に、意図せずして現れた者の一人です。我々は、未来からの来訪者であり、皆様の敵ではありません。」
会議室は、水を打ったように静まり返りました。日本の辻中佐、そしてキンメル提督やマーシャル大将の顔は、驚愕と不信感に染まっていました。目の前の出来事は、彼らの常識を遥かに超えていました。
「我々は、皆様に真実をお伝えするために参りました。そして、我々の存在が、皆様の歴史を、悲劇的な方向へと導くことを望んでおりません。」
男性はそう告げると、スクリーンは再びノイズに包まれ、映像は消えました。
それは、歴史を変えるであろう、未来からの直接的な接触でした。日米の代表者たちは、目の前の超現実的な事態をどう受け止めるべきか、呆然としていました。