第3話:不可視の潜航者たち
第7艦隊の苦渋と内部分裂
太平洋上を漂う第7艦隊の艦内では、未来からの通信が途絶したまま、乗員たちの間で疲労と不安が募っていました。当初の混乱から立ち直りつつあったものの、見知らぬ時代、見知らぬ技術レベルの兵器に囲まれている現実は、彼らの精神を確実に蝕んでいました。
CICのモニターには、過去の真珠湾近海を航行するアメリカ太平洋艦隊や、日本の巡洋艦の動向が映し出されていました。彼らはその全てを把握できる圧倒的な能力を持ちながら、歴史に干渉できないという倫理的なジレンマに苦しんでいました。
「提督、このままではジリ貧です。我々の技術を隠し続けるのも限界があります。補給もままならない状況で、いつまでこの『漂流』を続けるつもりですか?」
艦長の一人が、苛立ちを隠さずに問いかけました。食料、燃料、部品…全ては有限であり、この時代の技術では代替が効きません。
マクドナルド提督もまた、苦悩していました。
「分かっている。だが、下手に動けば歴史をさらに歪め、取り返しのつかない事態を招く。我々はまず、この事態の原因を究明し、未来へ帰る道を探らねばならない。それが我々の唯一の使命だ。」
しかし、艦内では提督のこの方針に異を唱える声が日増しに高まっていました。特に、現実的な生存を優先すべきだという意見が力を持ち始めます。
「提督!我々は過去の人間ではない!我々が生き残るために、未来の知識を使うのは当然だ!」
一部の士官は、未来の技術を使ってこの時代の覇権を握るべきだと主張し、派閥が生まれつつありました。艦隊の統一は揺らぎ始めていたのです。
日米共同作戦会議の始まり
ワシントンD.C.の地下深くにある極秘会議室では、日米の代表者が顔を突き合わせていました。日本の全権大使である辻政信中佐は、傲慢な態度で会議を主導しようとしました。
「閣下方。我が国は既に『未知の敵』と交戦し、その恐るべき戦力を身をもって経験しました。この危機に対し、貴国がどう協力するのか、具体的な提案を聞かせていただきたい。」
アメリカ側からは、太平洋艦隊司令長官のハズバンド・キンメル提督、そして陸軍参謀総長のジョージ・マーシャル大将が参加していました。彼らは日本の提案を受け入れたものの、その表情には深い疑念と警戒の色が浮かんでいました。
「日本からの報告は確かに我々の偵察機と一致する。だが、貴国が真珠湾を狙っていたことは揺るぎない事実だ。この同盟は、『未知の敵』への対処という一点においてのみだ。」
キンメル提督は冷ややかに言い放ちました。両国の間には、依然として埋めがたい溝がありました。しかし、彼らは共通の脅威を前に、互いの不信感を一時的に棚上げせざるを得ませんでした。
会議の主要議題は、第7艦隊の「未知の艦隊」がどこにいるのか、どのような意図を持っているのかを特定し、もし敵対行動をとった場合にどう対処するか、という点でした。
辻は、日本の持つ航空機と潜水艦による広範囲な索敵網の活用を提案しました。
「我が海軍の潜水艦は、長距離での索敵能力に優れています。彼らの位置を特定するには、潜水艦による哨戒が不可欠でしょう。」
アメリカ側は懐疑的でしたが、他に有効な手段がないため、渋々日本の提案を受け入れました。
昭和天皇の予見と密使
その頃、日本では昭和天皇が、大本営の混乱とは一線を画す形で、静かに状況を見守っていました。彼の予見は、この未曾有の事態において、常に一歩先を行っていました。
「…やはり、来たか…」
天皇は、自らが予見していた「未来からの来訪者」が、日米開戦の歴史を大きく変えることになるであろうことを確信していました。しかし、彼らはまだ、その「来訪者」が、いかなる意図でこの時代に現れたのかを知りません。
天皇は、側近の侍従武官長を通じて、大本営に対し**「中国方面からの物資輸送を見直し、陸軍の一部精鋭部隊の本土帰還を検討せよ。来るべき脅威に対し、備えを強化するべし」との意向を示唆しました。** 大本営は、陛下の異例の示唆に困惑しつつも、その真意を探り、検討を開始しました。
さらに天皇は、別の密使を動かしました。その使命は、アメリカとの秘密交渉とは別に、ある特殊な目的を帯びていました。密使は、太平洋上のどこかに潜む「未知の艦隊」に対し、直接接触を試み、その意図を探ることでした。天皇は、その艦隊が必ずしも敵意を持っているわけではないと直感していたのです。
新たなる索敵、そして未知の接触
日米間の合意に基づき、太平洋上では新たな索敵作戦が開始されました。特に、日本の潜水艦部隊が広大な海域に展開し、「未知の艦隊」の探索を強化しました。
伊号潜水艦の一隻、「伊20潜」は、広大な太平洋の深海を静かに潜航していました。その艦長、吉野三郎少佐は、経験豊富なベテラン潜水艦乗りでした。
「ソナー、何か感あり!非常に微弱だが、複数の高速スクリュー音を確認!」
ソナー員の報告に、艦内は緊張に包まれました。これまでにない、奇妙な音響パターンでした。
「速度は?深度は?」
「それが…異常です!信じられないほどの高速で、しかも深度も不規則に変化しています!通常の潜水艦の動きではありません!」
吉野少佐は息を呑みました。彼の経験が、これまでの常識では測れない何かがそこにいると告げていました。これが、「未知の艦隊」なのか。
その時、ソナーに新たな反応が捉えられました。それは、これまで聞いたことのない、しかし明確な水中音響信号でした。まるで、自らの存在を知らせるかのような、人工的なパルス音。
「司令!これまでにない信号です!まるで…話しかけてきているようです!」
吉野少佐は直感しました。これは、単なる探知ではない。相手は、自分たちの存在を認識し、何らかの意図を持って接触を試みている。未来の第7艦隊と、過去の潜水艦。深海の闇の中で、歴史を変える最初の直接的な接触が始まろうとしていました。