第五章『たったひとことが、届かなくて』
光がゆらいで、風が抜けた。視界がふたたび、色を変える。気づけば私は、教室にいた。放課後の空気。窓際に差し込む夕陽が、ノートの罫線を照らしている。この景色を、私は知ってる。
ここは――彼が夢を語った日。私の目の前に、彼がいた。少しだけ迷った顔で、唇を動かす。私は記憶の中の自分の手の動きに見入った。
「将来ね、宇宙飛行士になりたいんだ。」
あの日の私は、ほんの少しだけ目を見開いて、――笑った。やさしく、何気なく。でも、確かに“それはないよ”っていう笑い方だった。その一瞬のしぐさを、今の私は、心から悔いている。夢を語るときの人の顔が、どれだけまっすぐで、どれだけこわいかを、あの時の私は知らなかった。彼は、それでも笑った。作り笑いの、その奥でまばたきをひとつだけ遅らせて、言葉を飲み込むようにして、うなずいた。
「……うん、やっぱり変だよね。」
私は何も言えなかった。記憶の中でも、今の私でも、その瞬間、どうしても声が出なかった。彼はノートに目を落とし、そのまま、二度と夢を語らなかった。あの日、たったひとこと、「すてきだね」って言えたら。それだけで、彼は、自分の未来を信じ続けていたかもしれないのに。それなのに私は、「あなたの夢が、わたしの世界を壊すかもしれない」そんな勝手な恐れで、彼の空を曇らせてしまった。
記憶の中の彼は、笑っていた。でもその笑顔が、さっき見た“天国で誰かと笑っていた”彼の顔に、静かに重なっていく。私は、何もできなかった自分の手を見つめた。
ねえ。こんな小さなことで、人の夢って、壊れてしまうの?
それなら私は、どうやって、あなたを救えばいいの?