第3章:揺れる街角、交わる想い(1)
グリフィス領の空は、明け方の薄紅色から徐々に淡いグレーへと移り変わり、雲がやや垂れ込める中、街には今日も活気が漂っていた。
城下町の大通りには露店や行商人が並び、さまざまな品を売り買いする人々の声が飛び交う。
その賑わいとは対照的に、城の中庭へ続く一角はどこか落ち着いた雰囲気を醸している。
ソウヤは、そんな朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら城の外縁部を歩いていた。
隣には少年兵ファルクが付き添っている。
「城の中ばかりじゃなくて、そろそろ街の様子も見ておきたいと思ってね。研究所との往復だけだと、この領地全体がどうなってるのか実感が持てなくて」
「あ、それすごくいいですね。僕もちょうど、巡回の時間があるんで、一緒に回りましょうか!」
ファルクは嬉しそうに目を輝かせる。
もともと愛想が良く、人懐っこい性格もあって、ソウヤとはすっかり打ち解けた。
ソウヤが城に保護されてから数日が経ち、研究所では「安全対策リスト」の作成に本腰を入れ始めていたが、どうしても理論部分や実験に傾きがちだ。
しかし、泉から魔力を汲み上げる『現場』や、その恩恵を受ける街のインフラを見てこそ、より現実的な安全策を立案できるはずだとソウヤは考えたのだ。
「よーし、じゃあ行こうか。朝ごはんはしっかり食べたし、歩き回っても大丈夫だよ」
「了解です! じゃ、まず城下町の門のほうへ!」
石畳の坂を下りていくと、城壁の門が見えてきた。
そこから先は市街地。
道に沿って商店や住居が連なり、朝の仕込みを急ぐ店主たちがあちこちで忙しく立ち働いている。
ソウヤは軽く首を動かし、左右の建物を見回す。
木造と石造りが混在し、屋根は赤茶色の瓦で統一されている。
路地の奥には小さな広場があり、そこにも露店らしきテーブルが並んでいた。
「すごいね、想像よりもずっと活気がある」
「はい、この城下町はわりと人が集まるんですよ。近隣の小さな集落も、この街に来て買い物したり、食材を卸したりしてるんです」
ファルクが自信満々に言う。
住人として誇らしいのだろう。
大通りには馬車が通り、荷物を運ぶ商人があちこちで呼び声を上げている。
「新鮮な野菜はいかが!」とか「こっちは皮製品がお買い得!」などといった掛け声が、朝の空気に溶け込んでいた。
しかし、ふと見渡すと、通りの端にうずくまっている初老の男が目に留まった。
視線を落としており、隣には壊れた木箱が転がっている。
ファルクは「あ」と気づいた様子で駆け寄る。
「おじさん、どうしたんですか?」
「ああ、ファルクか……。ちょっと魔道具の運搬を手伝ってたんだが、箱が割れてな……」
男の隣には、壊れかけた魔道具らしき塊が見える。
どうやら簡易ポンプか何かの部品で、町内で設置しようとしたものの、運搬途中に破損してしまったらしい。
「こりゃあ、もう使えねえかなあ。仕入れたばかりなのに……」
その声には失意がにじむ。
ソウヤがのぞき込むと、ヒビのようなものが走っていて、修理は困難そうだ。
「あれ、あなたはたしか領主様のところの研究所の……」
「あ、はい……?」
初老の男は眉を下げながら、申し訳なさそうに続ける。
「この道具、どうにか直せませんかねぇ。街灯用のポンプと繋ぐ機構らしいんですが、誰も扱い方がわからんって言うし……。新品を買い直す金はないし……」
困り果てた様子。
ソウヤは手に取り、外側の金属板を軽く叩いてみる。
するとカラカラと乾いた音がして、中の部品が外れているのかガタつきがあるのがわかる。
「すみません、俺も来たばかりで、この街の魔道具の仕組みを全部把握してるわけじゃなくて。もしかすると研究所で修理できるかもしれないけど……」
「そりゃあ、難しいよな。けど……ああ、まいったな。こっちは仕事で使う予定があるんだが」
男は力なく笑う。
その表情はどこか追い詰められているように見える。
周囲を見回すと、同じように壊れた魔道具を抱えて困っている人がちらほらいるのが見受けられた。
『この街では魔道具が急速に普及し始めている半面、メンテナンスや修理が追いついていないのではないか』――そんな印象を受ける。
レオンやダリウスが先進的な装置の開発に注力する反面、こうした小さなトラブルへの対応が遅れているのかもしれない。
「とりあえず、研究所に相談してみるのがいいのかな。ただ、すぐ直せる保証は……」
ソウヤが申し訳なさそうに伝えると、男は「わかったよ。ありがとうな。自分で抱え込んでても仕方ねえしな……」と深いため息をつく。
ファルクは男の肩を叩き、半ば励ますように言う。
「領主様は街の人たちの生活を良くしたいって言ってるんで、きっと何かしら手が打たれると思いますよ。僕も偉そうなことは言えませんけど、諦めないでください!」
男は微かな笑みを返す。
困窮しているが、若者の励ましに嬉しそうだ。
やがて、男は壊れた道具を抱え直し、近くの倉庫へと歩き出す。
その背中を見送りながら、ソウヤはファルクと顔を見合わせる。
「こんなふうに、壊れた魔道具をどう扱うのか、街としてまだ確立されてないんだな」
「ですね……。ダリウスさんの新発明やら、軍事転用の研究やら、そういう『最先端』ばかりが注目されがちで、普段使いの道具のメンテナンスは後回しになってる気がします」
便利になるスピードは速いが、その裏で不具合や修理要員の不足が起きている。
(まるで『急激な経済成長に追いつかないインフラ整備』を思い出すな……)
自分の世界でも、無理な開発スケジュールが原因で工期短縮や安全軽視が蔓延し、事故を引き起こすケースを幾度も目にしてきた。
「とりあえず、もう少し街を回ってみるか。どんな人たちが、どんな道具を使ってるか知りたいし」
「了解です! 朝市の通りや小広場も回ってみましょう!」
ファルクは元気に答える。
城下町の住民は彼の姿を見かけると、「お、ファルクか」「頑張ってるねえ」などと声をかけてくる。
町の人々は総じて、若い兵士に好感を持っているらしい。
「いやあ、僕だってまだ未熟なんですけどね。皆さんが応援してくれるから励みになります。ソウヤさんもきっとすぐに街で顔が売れますよ」
「いいのか悪いのか……まあ、無用に目立たない程度に頑張るよ」
ソウヤは苦笑しつつ、壊れた魔道具を抱える人々の姿がちらほらあることを心に留めた。
『技術の普及』が街の活気を生む一方で、『整備不足』という大きな問題が生まれているようだった。