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第2章:魔術理論と安全基準(4)

 城の執務室は中庭側の一階に位置しており、レオンが普段から公文書の処理や領内の案件を取りまとめる場所だ。

 扉の前には数人の兵士が警護に立ち、既に来客があることをうかがわせる。


 ファルクが兵士に言葉をかけると、「入れ」と促される。

 扉を開けた先、そこには広い執務机を中心に、レオンと数名の人物が向き合っていた。


 一人は司祭らしい白と金の刺繍をあしらった衣装の男性。

 おごそかな雰囲気で、年の頃は四十代半ばか。

 淡いグレーの髪に白髪が混じり、落ち着いた顔立ちをしているが、その目は鋭く光を帯びている。

 恐らく彼が『ラディス』という教団司祭なのだろう。


 もう一人――これが巫女フレイヤなのか、白と淡い緑を基調とした長衣をまとい、銀髪を後ろで束ねた女性が佇んでいた。

 年の頃は十代後半から二十歳前後か。

 神秘的な印象を放つ瞳、薄い琥珀色をしており、どこか憂いを帯びている。

 ふとした仕草にはかなげな美しさがあり、見ているだけで緊張させられる雰囲気だ。


 ただ、その端正な表情には何か切実な思いがにじんでいる気がする。

 レオンはやや苛立ちを含んだ表情で司祭ラディスに向き合っている。


「ああ、ちょうど来たか。ソウヤ、こちらへ」


 レオンがソウヤを見るなり手招きする。やはり呼ばれていたのは本当のようだ。


 司祭ラディスは、ゆっくりとソウヤへ目を向けた。


「そちらが新たに連れ込んだ『異国の技術者』とやらですか、レオン様」


 まるで品定めするかのように、ラディスの視線がソウヤを舐めるように走る。

 レオンが低く唸る。


「こいつがソウヤだ。私の領地で研究所へ出入りしている男だが、まあ……まずはお前の言い分を聞こうか、ラディス。早く済ませてくれ。フレイヤもな」


 司祭はわずかに眉を寄せる。


「領主殿、私どもは教団の神聖法に則り、この土地での魔力利用が『正しい手順』を踏んでいるか確認に来ただけです。あまり喧嘩腰になっていただく必要はございません……もっとも、巫女の方も意見があるようなので、一緒に聞いてもらいたい」


 巫女フレイヤは、静かに一歩前へ進んだ。


「レオン様、私たちが泉の監査をしたところ、ここの汲み上げ量が急増していると分かりました。巫女一族としては、自然との調和を守るためにも、過度な汲み上げを控えてほしいと……何度も警告しているのですが」


 その声は透き通るように柔らかい。

 だが、その奥底に強い意志が感じられた。

 フレイヤの瞳がレオンとソウヤに移り、わずかな戸惑いが走る。

 おそらく、見慣れない存在であるソウヤを『この領地の人間ではない』と察したのだろう。


「初めまして……でしょうか。私はフレイヤといいます。巫女として泉を守る役割を担っております……あなたが噂の『異国の技術者』ですか?」


 ソウヤはたじろぎながらも「はい、ソウヤといいます」と答える。

 フレイヤは神妙な面持ちで軽く会釈し、再びレオンへ視線を戻した。


「レオン様、領地の発展のために魔道具を導入するのは理解できますが、泉から過度に魔力を汲み上げると、自然の均衡が崩れる恐れがあります。せめて使用量の制限を……」


 レオンは腕を組み、苛立ちを隠せない様子だ。


「何度も言うが、我が領地の研究所は安全を考慮している。巫女の言う『自然との調和』とやらは結構だが、便利さを捨てては民が豊かになれんだろう?」

「便利になるのは確かです。でもその代償に、泉が枯渇したらどうなりますか? 一度に大規模な汲み上げをすれば、泉が暴走する危険も……」


 巫女フレイヤのまっすぐな訴え。

 一方で司祭ラディスが口を挟む。


「巫女一族と協力すれば、泉の暴走は防げるかもしれませんが、それでも現状の乱用は『神の御心』に背く行為といえましょう。教団としては、できるだけ抑制していただきたい」


 視線を交差させながら、レオンが低い声で問い返す。


「抑制して、どうやって街を守る? 軍備強化もままならないぞ。外敵が攻めてきたら、どうする?」


 そこでソウヤは、場違いかもしれないが口を開く。


「あの、すみません。俺、研究所に出入りする身として、最近『安全装置』やら『制御』やらを強化しようと動き始めたところなんです。魔道具が無制限に動くのは危険だって、俺もわかってるつもりで……」


 フレイヤは少し目を見張り、「そう、なのですか?」と問いかける。

 教団司祭ラディスも、じっとソウヤの顔を睨むように見ている。


「まだ、具体的にどこまでできるかわかりません。でも『無制限』に使っていいわけがないというのは俺も賛成で……。レオン様やダリウスさんは『領地発展』を急ぐ思いがあるでしょうが、俺としては安全策を整えたいというか」


 レオンがむっとしたような顔をして視線を向ける。


「ソウヤ、お前は私の革新的な研究にケチをつけるのか?」

「いえ、ケチというわけじゃなくて……最終的に大事故になれば、領民が困るし、領地の発展にも逆効果になると思うんです。だからこそ安全策を早めに作らないと……」


 司祭ラディスが鼻で笑う。


「ふん、所詮、技術などというものは危ういじゃないか。結局、誰かが事故る前提ということだろう? だからこそ神聖法が必要なのだ。人間の身勝手を抑えるためにな」


 フレイヤはラディスに対して微妙な表情を浮かべる。

 教団と巫女一族も一枚岩ではないのだろう。


「司祭さま、巫女としても管理すべき点は同意ですが、『異端』として糾弾するだけではなく、具体的に……」

「異端かどうかは私が決めることではない。だがこれ以上、神聖魔力を乱用するなら、教団としても黙っていられないという話だ。レオン殿、私は忠告に来ただけだぞ」


 レオンはテーブルを軽く拳で叩く。


「ラディス、教団がどう出ようとも、私の領地は私が守る。そのための軍備も研究も、私は止めるつもりはない」


 空気が張り詰める。

 見れば、フレイヤの瞳はわずかに揺らいでいる。

 けれど、必死に何かを訴えようとする意思を読み取れる。


「領主さま……。どうか、ほんの少しでもいいので汲み上げを制限していただけませんか? 泉の声が、日に日に弱くなっているのを感じるのです」

 

 フレイヤがもう一度切実に語りかける。

 レオンは一瞬ためらう仕草を見せたが、すぐにかぶりを振った。


「巫女の言うこともわからんでもないが、今は技術開発を急がねばならん。他領地との差がついたら、我がグリフィス領は遅れを取る。そんな余裕はない」


 司祭ラディスが澄ました顔でフレイヤを見下ろす。


「ほら、見たまえ。巫女の言葉など、結局は一時的な情緒にすぎんのだ。大勢を動かすには力が必要だよ、レオン殿のようにな」


 フレイヤは言葉に詰まる。

 ラディスの言葉はどこか挑発的だ。

 するとレオンが「やかましい」と苛立ちを込めて呟く。


「お前こそ、口ばかりで教団の『本当の力』など見せたことがあるか? 民を救うわけでもなしに『神聖法』とか言って技術開発を阻むだけだろう」


 教団と巫女がセットでここを訪れたということは、互いに相容れぬ立場ながらも『技術の暴走』に警鐘を鳴らしたい点は共通している――と察する。

 だが、ラディスの態度はまるで巫女を見下し、自分の教団こそが権威だと言わんばかりの醜い対抗意識に満ちている。

 フレイヤがそれに気づいているのか、表情はますます暗い。


「今日のところはこのへんで引き下がります。私も忙しい身なんでね」


 司祭ラディスが形ばかりの礼を取り、背を向ける。


「レオン殿、巫女殿。この私が再び訪れる前に、一度考え直してみるといい。神聖魔力をぼうとくするなど『神の怒り』を買うことに……」


 レオンが「脅し文句なら聞き飽きた」と笑い返すが、ラディスはどこまでも静かな態度を崩さない。

 フレイヤは振り返ってレオンに最後の目で訴えかける。


「ほんの少しでいいので、限度を……。もし、これ以上魔力を汲み上げるなら、いずれ取り返しのつかない事態に……」


 その言葉を聞きながら、ソウヤは『嫌な予感』を覚える。

 安全装置を作ろうとしているとはいえ、泉そのものが限界を超えれば、どんな事故が起こるかわからない。


 レオンは苦々しげに眉を寄せながら、黙ってフレイヤを見送る。

 フレイヤは静かにきびすを返し、司祭ラディスに一礼すると執務室を出ていった。

 ラディスは見向きもせず、傲慢な足取りで後に続く。


 部屋にはレオンとソウヤ、そして城の文官らしき人が数名残るのみ。

 レオンは深くためいきをつくと、苛立ち混じりに言い放つ。


「まったく、教団も巫女も勝手なことばかりだ。安全な方法? じっくり時間をかけろ? そんな悠長なことをしていたら、他領地に先を越されるというのに……」


 ソウヤは一瞬迷ったが、意を決して言う。


「レオン様、俺も少しだけフレイヤさんに近い考えです。いま研究所で安全策の導入を進めようとしてますけど、何かあったら取り返しがつかないのは確かでしょう」


 レオンはソウヤを睨むように見やる。


「お前までそんなことを……。ふん、わかってはいるさ。実際、ダリウスの実験でも小さな事故は起きている。民が不安を抱いているのも承知だ。だが、多少のリスクは避けられん」


 切迫感がレオンの声ににじむ。


「隣国の領主が兵器研究を進めているという噂もある。どちらが先に強力な魔道具を手にするか、その勝敗で領地が奪われるかもしれないんだぞ? 民を守れずに滅ぶわけにはいかんだろう」


 (そうか……軍事的な緊迫もあるのか。レオンの心情も理解はできる。でも、暴走したら本末転倒だ)


 ソウヤはうつむきかけたが、何か言わないといけない気がして顔を上げた。


「わかります。軍事も研究も、今は急ぎたいところなんでしょう。でも……俺もダリウスさんと協力して、安全装置を作ろうとしてます。どうか、そのことも検討してほしい」


 レオンは眉をひそめたまま、しばらく沈黙する。

 文官らしき数名が難しい顔でメモを取っているが、誰も口を挟まない。

 しばらくして、レオンが重々しく頷く。


「たしかにお前のやり方、少しは興味がある。昨日ダリウスからも『変わった男だが使えるかもしれん』という話を聞いた。ならば、好きにやってみろ。だが、遅くなるのは勘弁してもらうぞ」


 それがレオンの精一杯の譲歩なのだろう。

 ソウヤは胸をなで下ろし、「ありがとうございます」と感謝を述べる。


「ただし、結果が出せなければ、軍事転用や領地の整備拡大を大規模に進めるのを止めるつもりはない。覚えておけ」


 レオンの厳しい視線から『期待と圧力』が同時に伝わってくる。


 (要するに、俺は試用期間みたいなものか。時間がそうないな……)


 そう考えると、研究所での安全装置構築や、泉への負荷を軽減する仕組みを急いで形にしなければならない。

 そうしないと、レオンの方針は容赦なく突き進み、フレイヤの言う『泉の危険』が高まる可能性がある。


「承知しました。なるべく早く、具体的なプランを示せるよう努力します」


 レオンはわずかに表情を和らげた。


「ふん……頼むぞ。民を守るためにも、兵器にも役立つ技術が欲しい。お前の安全策とやらが補えるなら、それに越したことはない。うまくやってくれ」


 こうして、ソウヤは改めて『急務』として安全対策を進める責任を負わされる形となった。

 巫女フレイヤの懸念を払拭するほどの仕組みを作れるか、軍事面での要求も満たせるか――プレッシャーは相当だ。


 執務室を後にするとき、廊下で先ほどの巫女フレイヤの後ろ姿が小さく見えたが、声をかける間もなく彼女は城を出ていく。

 何か声をかけたかったが、タイミングを逃してしまった。


 (泉の声が弱まっている、か。もし何か大きな事件が起こったら……)


 ソウヤは胸の中の不安をかみしめつつ、城の廊下を歩き出した。

 レオンの要求とフレイヤの警告。

 どちらも無視できない。

 『安全基準』を築くことで、これらが上手く調和できるのだろうか。

 だが、事故で多くを失った過去を思い出すたびに、『絶対に再び失敗を繰り返すまい』という決意が固まっていくのを感じる。


 魔道具の研究が本格化したとき、果たしてどんな未来が待っているのか――。

 ソウヤは自分の役割を思いながら、再び研究所へと戻るのであった。


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