第2章:魔術理論と安全基準(2)
回廊を渡り、扉を開けると、そこは広い実験スペースになっていた。
中央には大きな台座のようなものが置かれ、その上には魔力結晶と幾何学模様をあしらった金属板が組み合わさった『装置』がある。
その装置の端末からは小さな光の粒が立ちのぼっており、ときどきピシッと火花じみたスパークを放っている。
「やっぱりこのデータが……あ、待って、また火花が……」
銀製の眼鏡をかけた女性が、慌ただしくメモ用紙とインクペンを手に動き回っていた。
肩まで伸びた蜂蜜色のボブカット髪が小刻みに揺れ、研究用エプロンにはインクの痕がちらほら。
おそらく、噂のライラだろう。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。
小柄で華奢だが、書類や道具の束をテキパキ抱えている姿から几帳面な性格がうかがえる。
その隣では、昨日会った天才魔術師ダリウスが軽く肩をすくめていた。
「理論上は大丈夫だと思うんだけどね。魔力回路が少々不安定なだけで……まあ、安全装置がないからこうなるのも仕方ないか」
「仕方ない……って、放っておいたらまた火柱が上がりますよ!」
ライラが慌てて制御端末らしき板に触れ、何かの符号を素早く書き込む。
台座に据えられた装置が数度ほど火花を散らしたあと、キュィィン、と小さく高周波のような音を発して落ち着いた。
どうやら制御に成功したらしい。
「お、お疲れさま」
控えめに声をかけると、ライラはぱっと顔を上げた。
「あ、ファルクくん! それに――もしかして、レオン様が保護したという噂の方ですか?」
ソウヤは小さく会釈する。
「はい。ソウヤといいます。ダリウスさんにお呼びいただいたとかで……」
「こちらこそはじめまして、ライラ・ミロスです。研究所で事務整理をやっています。ダリウスさんの暴走を止めるのが主な仕事、なんて言ったら怒られちゃいますけど」
ライラは恐縮するように頬を緩めるが、ダリウスは気にする様子もなく「まぁ、確かにライラがいなきゃ事故も増えるだろうね」と呟く。
「僕一人だと『理論優先』で走りがちだから、データ取りや物資管理をライラに任せてるわけだ。ソウヤ……だっけ? 君も『安全管理』に長けているらしいから、ちょうどいいかもしれないよ」
淡々と述べるダリウスに、ライラが「ダリウスさん、言い方!」と小声でツッコミを入れた。
ソウヤは苦笑しつつ、周囲をざっと見回す。
研究テーブルには、奇妙な薬液が詰まったフラスコや魔術書と思しき分厚い本が散乱しており、室内を漂う混沌とした雰囲気が『天才の職場』をほうふつとさせる。
「すごいですね、ここ。俺はちょっと、どこから手をつけていいやら……」
「だろう? ここで研究した魔道具は、この領地の生活基盤や軍事にも貢献する予定なんだ。レオン様の要望でね。まあ、僕は純粋に『魔術理論の探究』を楽しんでいるだけだけど」
ダリウスはさらりと大掛かりな話をする。
そこに軍事も含まれるのかと、ソウヤは心中でわずかに身構える。
そのとき、ライラが興味深そうにソウヤへ質問を向けた。
「ちなみにソウヤさん、レオン様から『安全基準』とか、不思議なことを口走っていたと聞きました。そういった知識はどこで学ばれたのですか?」
いきなり核心に迫る質問だ。
ソウヤは少し言葉を濁した。
「それが、自分でも説明が難しくて……異国どころか、まったく別の世界の技術というか……まあ、ここではあまり詳しく言わないほうがいいのかな」
ダリウスは「ふーん」と興味ありげに鼻を鳴らす。
「そういうのは嫌いじゃないよ。実験結果さえ出れば、僕にとっては理論の整合性もわかるはずだからね。で、具体的に何ができるか、一度テストしてみるかい?」
「テスト?」
「そう。たとえば、君の言う『安全管理』の手法を、この装置に適用してみたらどうなるか。ちょうど今、魔力制御の不安定が顕在化しているしね」
ダリウスが台座の装置をぽん、と叩く。
小さく火花が散りそうになり、ライラが「あっ、危ない!」と止める。
ソウヤは戸惑いつつも、興味を抱いて装置に近づいた。
「えっと、触って大丈夫かな?」
「大丈夫だよ。ライラが先ほど結晶の魔力流入を抑えてくれたし、当分の間は爆発しない――はずだ」
はず、という曖昧な言い回しに内心びくりとする。
『万が一』を考慮せずに強引に実験するのがダリウスのスタイルなのだろうか。
装置は、中央に透明な結晶の塊があり、その周囲を金属の輪と魔法陣が囲んでいる。
金属には幾つもの文字や印が刻まれ、そこに魔術的な紋様が走っているようだ。
おそらくこの結晶は『魔力を内包』しているのだろう。
結晶の輝きが時々脈動しているようにも見える。
「これは、いわば『魔力発電機』の試作品みたいなものだ。泉からの魔力を引き込みやすくし、都市の設備に供給できないか研究している途中なんだよ」
ダリウスが補足を加える。
(魔力で発電……か。確かにエネルギーを取り出すのは似てるのかもしれない。だけど、安全弁とか制御装置は見当たらないんだよな)
ソウヤは装置の外観をゆっくり眺めながら、頭の中で『もし自分が設計するならどうするか』を考え始める。
観察すればするほど、複雑な魔術式やら文字が並んでいて、どこが入力でどこが出力なのか判別が難しい。
しかし、一部には『制御回路』らしきパターンが刻まれていて、明らかに『開発途上』なのが伺える。
「これって、過負荷になったとき、自動で魔力を逃がす仕組みとかは……?」
試しに質問すると、ダリウスは軽く首をかしげる。
「一応、魔術陣の端の部分に『減衰符』を付けている。でも、魔力が急激に上昇すると、その減衰符自体が焼き切れちゃうんだよね。だからたまに火花を散らすんだ」
「もう一段階、緊急停止の仕組みを用意しないとダメなんじゃ……」
「そうかもしれないが、それにはもっと高度な回路設計が要るし、魔術式の複雑度が増す。ライラに言われて仕方なく付けた『保険』だから、あまり使いたくないんだよね」
横でライラが肩をすくめる。
「ダリウスさんは理論計算で『ここまでなら大丈夫』って思い込んじゃうから、いつもギリギリなんですよ。実際は実験の誤差や、泉の魔力流量のブレもあるのに……」
なるほど、天才の直感を信じるあまり『安全率』を低くしてしまう典型例かもしれない。
ソウヤは、かつて現代の研究所で苦労したプロジェクトを思い出して苦笑する。
「もしよかったら、俺なりに『チェックリスト』というものを作ってみましょうか……減衰符がどんなタイミングで焼き切れるのか、どういう場合に負荷が跳ね上がるのか、分析して『安全率』を設計する感じで」
ライラが目を輝かせる。
「チェックリスト? そんな便利なものがあるんですか?」
「まあ、あくまで俺の世界でやってた方法だけどね。少なくとも手戻りを減らせる可能性がある……かも」
ダリウスは腕を組んでしばし黙考したあと、すっと笑みをこぼした。
「いいだろう。僕の研究はしばしば『一発勝負』でやってきたけど、こういう視点で計画を組むのも面白いかもしれないね。もし本当に成果が出たら、君の手法を取り入れてみるさ」
ライラが早速メモ用紙とインクペンを用意し、ソウヤに渡してくれる。
「やった……! 私も仕事が減るかも! ぜひぜひ協力させてください、ソウヤさん!」
にこやかに言うライラは、事務員やアシスタントとして優秀そうだ。
メモや書類が整然とまとめられているのが机からもわかる。
一方、ダリウスは散らかった手書きメモや資料の束をそこかしこに放置しており、確かに『片付けられない天才』の片鱗がありありと見える。
「わかった。じゃあまず、どういうプロセスでこの装置が動いてるのか、ダリウスさんかライラさんの説明を聞きながら、要件を洗い出してみますね」
こうしてソウヤは、魔道具『魔力発電機』の概念と安全対策に踏み込むこととなったのだった。






