第1章:出逢いの城、揺らぎ始める日常(2)
昼食の時間になると、ファルクが城の厨房から運んできたというスープとパン、何かの煮込み料理がワゴンに載せられて運ばれてきた。
最初は見慣れない食材に戸惑ったが、匂いはどこか懐かしく、胃を温める優しい味がした。
もともとソウヤは事故前、『胃に優しいもの』が好きだったから、このスープは何よりもありがたい。
食事を取りながら、ファルクと話すうちにわかったことがあった。
レオンが治めるグリフィス領には、騎士団・研究所・商人ギルドなどがあり、周辺の領地と『アルティア連合世界』の一部としてゆるやかに同盟を組んでいる。
ただ、連合評議会という共通の場はあるものの、それぞれの領主が独自のルールを敷いているため、実質的には都市国家の集合体に近いそうだ。
ファルク曰く、この数年は近隣領土との領地紛争や、教団保守派との対立がやや増えてきており、街の人々も不安を抱いているのだとか。
「でも、レオン様は『技術』に期待してるんです。すごい魔術師のダリウスさんを雇って、街の設備を良くしようとしてて……。魔道具の発明が進めば、領地がもっと繁栄するって! 俺たちも騎士の仕事がしやすくなるし」
『魔道具』という概念に引っかかるソウヤ。
それはどうやら、この世界の『魔力』を利用した道具らしい。
ポンプや照明器具、それに武具まで多種多様だという。
(魔力……本当にそんなものがあるのか。例えばエネルギー源みたいな感じだろうか)
自分の『現代の安全管理知識』と『こっちの魔道具理論』がどう繋がるのか、想像がつかないが、レオンやダリウスが興味を示すなら、何かしら実現可能性があるのかもしれない。
考えているうちに、ファルクがすっかり笑顔になってソウヤの皿を見つめる。
「どうですか、その煮込み? お口に合いますか?」
「うん、うまい。味はちょっと独特だけど、すごく優しい出汁が効いてる感じがする」
「よかった~。俺、一応料理の手伝いもしたんですよ! 騎士見習いだけど、雑務が多くて……」
ファルクの笑顔は屈託のないもので、ソウヤの心の緊張をほぐしてくれる。
◆
食後、部屋でひと休みした後、ファルクが「体力も戻ってきたなら、ちょっとだけ城の中を歩きませんか?」と提案してくれた。
ソウヤは体力が心配だったが、軽く散歩できる程度なら問題ないだろうと頷く。
城の廊下へ出ると、天井が思いのほか高い。
石壁に大きめの窓がはめ込まれ、午後の日差しが斜めに差し込んでいた。
「すごい、こんな造りなんだ」
まるで中世のヨーロッパの城を思わせるが、よく見ると独特の紋章や彫刻が施されている。
ファルクが先導してくれながら、城の各所を簡単に案内してくれる。
「こっちが騎士団の詰め所。奥には訓練場があって、毎朝ここで基本練習をしてます……あ、聞こえますか? 盾を構える音とか」
遠くから金属がぶつかる甲高い音がかすかに響く。
詰め所の前には、武具を整備しているらしい兵士が数人おり、ソウヤが見慣れない格好で歩いているのを見て、やや怪訝そうな視線を投げてきた。
ファルクは慌てて「この人はレオン様に保護されてるソウヤさんだよ!」とフォロー。
兵士たちは渋々ながらも軽く会釈してくれた。
続いて回廊を通り、石段を下りると、中庭へ出た。
ここは人の通りが多く、各所で運搬や打ち合わせをしている兵士・役人らしき人々が行き交う。
「広いな……」
中庭の真ん中には噴水のような施設があり、そこから水が流れ出している。
とはいえ、その水の勢いは弱々しく、少し枯れかけた印象を受ける。
「ここ、昔はもっと水量があったらしいんですよ。泉から引いた水を城内で循環させてるって話です。でも最近はちょっと枯渇気味で……」
ファルクが少し寂しげに言う。
その『泉』が何なのか、ソウヤは気になったが、あとでもう少し話を聞こうと心に留める。
「こっち側にある建物が研究所です。ダリウスさんが魔道具を開発してるんですよ」
ファルクの指差す先を見ると、城の一角に併設する形で石造りの建物があり、塔のような形状をしている。
窓には淡い光が満ち、時折そこから紫やら緑の閃光がちらちら漏れているのがわかる。
まるで怪しげな実験が繰り返されているかのような雰囲気だ。
(魔術師か……本当にいるんだな。魔法とか。俺の知識なんて通用するのだろうか?)
軽い不安を覚えつつ、同時に少しワクワクしている自分もいた。
技術と魔術がどう絡むのか――『安全基準』なんてものが、この世界に受け入れられるのか――興味は尽きない。
◆
中庭を一通り散策してから、ファルクの提案で城壁沿いを回ってみる。
城壁の外を遠望すると、穀倉地帯や街並みがある程度見渡せる。
商店が連なる大通り、屋根の連なる住宅街……少し雑然としているが、人通りが多く活気が感じられた。
「元気になったら、城下町も歩いてみるといいですよ。いろんな店があって面白いですから。雑貨やら食料品やら、いわゆる市場ってやつです。俺、隊長の付き添いで何度か巡回してるんですけど、ほんとに……ソウヤさん?」
ファルクの声が遠く聞こえた。
ソウヤは、街の遠景を見ながら思考に沈んでいた。
『本当にここは異世界で、自分はもう二度と元の場所に帰れないのか』と、改めて自覚する。
死んだはずの自分が生きている。
それだけでも奇跡だが、寂しさや不安が一気に襲ってくる。
両親や妹、自分が捨てきれなかった研究の思い――すべてが遠い別世界に残されたままなのだ。
(後悔や心残りは山ほどある。でも、こうして命をつないだ以上、何かやらなきゃいけないよな)
漠然とそんな決意を抱いていると、不意に背後から声がかかった。
「おや、そろそろ起き出してくる頃かと思えば、もう城内を散策しているとはね。思ったより元気そうで何よりだ」
振り向くと、そこにいたのは華奢な印象の青年だった。
肩にかかるセミロングの金髪が軽く揺れ、碧色の瞳が細められている。
見るからに『学者』か『魔術師』のようなローブを羽織り、胴着のようなシャツとズボンの上から、刺繍の入った薄手の上衣をまとっている。
その装いは妙に機能的でもあり、裾からは小型の結晶玉や魔力刻印がのぞいているのが見えた。
「ダリウスさん!」
ファルクがにこやかに声を弾ませると、青年――ダリウスは軽く手を振る。
「レオン様から聞いているよ。荒野で拾われた『異国からの技術者』……とかいう話だそうだね」
彼はどこか興味深そうにソウヤを眺めている。
「俺の名前はダリウス・アルベルタ。魔術研究所を任されてる……まあ、少しは腕に覚えがある天才とでも思ってくれればいい」
さらっと『天才』と自称するその態度に、ソウヤは少し面食らう。
しかしダリウスの口調は穏やかで、さほど鼻につくほどの自尊心とは違う。
『当たり前に自分をそう認識している』という自然さすら感じる。
「俺はソウヤといいます。なんというか……不思議な縁でここに来たばかりで、まだ勝手がわからなくて」
「ああ、そうだろうとも。レオン様が『安全基準』とか何とか、妙な知識を持った男だと面白そうに言っていたよ。そんな概念、この世界にはないからね」
ダリウスは薄い笑みを浮かべながら、なびく金髪を手で払いのける。
「安全基準ねえ……魔術ってのは本来、不安定なものだからね。俺は『理論』で制御しているが、世間の魔術師は感覚的に扱うやつも多い。これまで誰も興味を持たなかった視点かもしれないな」
言いながら、ダリウスの瞳はどこか好奇心に満ちているように見えた。
まるで『未知の実験材料』を見つけた科学者のようだ。
「もしよかったら、近々研究所に来るといい。どんな知識を持っているか、ちょっと見せてくれないかね」
ダリウスはさらりとそう言い残すと、再び長い前髪を手ぐしで整え、ふわりと微笑んだ。
「あ、ダリウスさん、今から研究所に戻るんですか?」
「ああ。まだやることが山積みでね。とくに、先日導入した魔道具の結晶刻印が不安定で、爆発しそうになったんだよ。実験とはいえ、面倒でねぇ」
普通に爆発とか言わないでほしい。
ソウヤは心の中でツッコミを入れる。
しかしこのダリウスという男が、相当な天才肌かつ自由奔放な研究者であることは一瞬で伝わった。
「じゃあまた、近いうちに。ソウヤ……だったかな。どんな目新しいアイデアを持っているか、期待してるよ」
背を向けるダリウスに、ファルクが「お疲れさまでした!」と声をかけると、軽く手を振って立ち去っていく。
「なんていうか、すごい人だね」
「はい、研究の成果はすごくて、領内でも一目置かれた存在なんです。でもちょっと変わり者というか……」
ファルクが少し苦笑いする。
どうやら兵士や周囲の研究員にとって、ダリウスの『天才』ぶりは有名らしいが、安全意識に欠ける面があるために小さな暴走事故を起こすことも多いという。
(なるほど……現代の技術者視点からしても、無茶をしがちな研究者って感じか。魔術とかいう不確定要素が絡むなら、そりゃあ危険も多そうだ)
だが、不思議と心が浮き立つ部分もある。
ダリウスが言っていた『制御理論』とやら。
もしそこに、ソウヤが『現代的な安全基準』を持ち込めば、何か新しい発明ができるのかもしれない。
それがこの世界の役に立つなら、ソウヤは自分の新たな使命を見いだせるのではないだろうか。
◆
城の一通りの案内を受け、ソウヤは夕方前に自室へと戻る。
長く歩いたせいか、身体がまだ本調子ではないようで、軽いめまいがする。
ファルクが「大丈夫ですか?」と何度も気遣ってくれるので、ソウヤは申し訳ないと思いつつ「ありがとう」と礼を言った。
部屋に戻って寝台に腰かけると、ファルクが一緒に部屋に入り、少し落ち着いた声で言う。
「明日は一応、ダリウスさんが研究室に呼んでくれるかもしれないので、しっかり体力を回復しておいてくださいね。あと、夜には領内の執務室でレオン様が小さな会合を開くって話もあるので……」
「うん、わかった。ファルクこそ、付き合ってくれてありがとう。君も忙しいだろうに」
「いえいえ、俺はまだ騎士見習いですから! 雑務とか護衛とか、ほかにもいろいろやりますけど、ソウヤさんみたいに『異国の技術者』が来るのは初めてなので、正直わくわくしてるんです」
はにかむファルクの表情を見て、ソウヤは微笑ましい気分になった。
(この子は純粋なんだな……。今のところ、この世界で数少ない味方のような存在かもしれない)
ファルクは「じゃあ何かあれば呼んでください!」と明るく言い、部屋を出ていった。
ソウヤは扉が閉まったあと、ふと天井を見上げる。
石材でできた天井には、微かな亀裂が走っていて、そこから一筋の陽光が差し込んでいた。
(ああ……俺、ほんとにここにいるんだ)
ベッドに仰向けになり、ゆっくりと息を吐く。
現代日本での事故――あの凄まじい爆発音、火花、誰かのうめき声――すべてが遠い幻のようだ。
けれど、脳裏を焼きつくように残る罪悪感と後悔は、未だ色濃い。
『また技術で誰かを救いたい』と強く願った瞬間、気づけばこの世界に来ていた。
これは偶然なのか、それとも何か大きな意志が働いたのか。
ソウヤには判別できないが、この境遇が与えられた以上、活かさずにはいられない気持ちがある。
(技術に頼りすぎれば、危険も大きい。だけど、正しく使えば、人の生活を豊かにできる……俺は、あの研究施設で、もっとできたはずだと思ってたんだ)
少しずつまぶたが重くなる。
今日は無理をしすぎた。
夜の会合や、明日の研究所訪問の前に、少し身体を休めるべきだろう。
目を閉じ、深呼吸する。
シーツからわずかにハーブのような香りがし、心が落ち着く。
そしてそっと、『自分の役割』を考え始める。
技術は人を救う。
今度こそ自分の手で、その力を証明してみたい。
だが、同時にどこかで『失敗』を恐れる自分がいるのも事実だ。
そんな葛藤を胸に抱きながら、ソウヤはもう一度まどろみに落ちていくのだった。