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第1章:出逢いの城、揺らぎ始める日常(1)

 乾いた空気の中で、かすかな馬蹄(ばてい)と足音が聞こえる。

 視界にうっすらと光が差し込んできて、ソウヤは重いまぶたを開いた。


 ――寝台。

 柔らかいシーツの感触が腕を包む。

 先ほどまで荒野の地面で倒れていたはずなのに、今や質の良い寝具の上に横たわっているのがわかる。


「ここは……どこだ……?」


 ソウヤが呟くと、薄い布越しに部屋の空気が肌に触れる。

 ベッドの右側には、簡素ながらも威厳を感じる木製のテーブル。

 それと一対の椅子。

 その椅子には、若い兵士のような男が腰掛けていた。


 年は十六、七ほどだろうか。

 肩より少し上でそろえられた明るい茶色の髪が印象的で、まだあどけなさの残る顔立ちをしている。

 ただ、その身には軽鎧が装備され、布製の上着がちらりと見える。

 ブーツもやや大きめの戦闘靴のようだ。


「あっ、起きたんですね!」


 少年兵はぱっと顔を上げ、まるで友人を見つけたときのような明るい表情になった。

 寝台から上体を起こそうとするソウヤを見て、彼は慌てたように立ち上がり、声をかける。


「平気ですか? すごくぐったりしてたから、ずっと心配してたんですよ」

「ええと……なんとか……」


 首を少し回すと、身体の節々が痛いが、致命的な怪我はなさそうだ。

 記憶をたどれば、荒野のような場所で倒れているところを、誰かに助けられた。

 そこで意識が途切れて――。


「俺、ファルクって言います。レオン様の領地で騎士見習いをしてるんです」


 少年兵は照れくさそうに自己紹介すると、右手で胸元に触れ、ちょっとだけ姿勢を正した。


「ここは、レオン様の城なんです。すっごく豪華ってわけじゃないですけど、広いし、安全なんですよ。あっ、でも無理しないでくださいね!」


 ファルクと名乗った少年兵の人懐っこい様子に、ソウヤは少し安堵する。

 未知の土地で目覚め、見ず知らずの人物がそばにいる状況にしては、ずいぶんと安心感がある。


「ありがとう、ファルク……助けてくれたのかな?」

「実際に救ったのは領主レオン様の部隊なんですけど、俺も荷台に乗せる手伝いをしました!」


 どうやらファルクは、ソウヤが倒れていた場所に居合わせた一人のようだ。

 ソウヤは、まだ視界がぼんやりしているのをこらえながら周囲を観察する。


 ここは中世の騎士物語に出てきそうな、石造りの城の一室なのだろうか。

 壁は少し粗い石組み、窓には薄いガラスか、それに類する素材がはめ込まれている。

 カーテンも厚手の布が使用されているようだ。


 現代の研究施設とは比べものにならないほど古めかしい。

 しかし、しっかり整備されている気配もある。


「あの……改めて聞くけど、俺はレオン様とかいう領主さんに助けられたってことでいいの?」

「はい! レオン様は、このグリフィス領を治める領主様です。ソウヤさんは領地の境目の荒野で倒れていて……正直、最初は怪しい人かと警戒されちゃいましたけど」


 ファルクは、はにかんだ笑みを浮かべる。

 それでも、悪意のある笑いではなく、どちらかというと素朴さが滲む感じだ。


 ソウヤはベッドからゆっくりと身体を下ろそうとしたが、ファルクが慌てて肩を支えにくる。

「ちょ、ちょっと待ってください! まだ体力、回復してないでしょう?」


「たぶん、大丈夫……。少しフラフラするけど」


 立ち上がり、数歩進むだけで足に力が入らない。

 けれど荒野で倒れたときの絶望感はなく、むしろ身体の感覚が確かになってきたのを感じる。


 そのまま部屋の窓辺に近づくと、薄暗い光が差し込み、外の景色が一望できる。

 そこには、城郭の中庭と高い石壁があり、城下町の屋根が遠くに連なっているのが見えた。

 建物は日本とはまるで異なるデザイン。

 石や木材で組まれた大小さまざまな家々が、城の周囲に広がっている。


 (本当に……異世界に来てしまったんだな)


 あの研究施設の爆発で死んだ、と思っていた。

 そこから、まさか別の世界へ―― 。

 頭が追いつかないが、これだけの光景を目の当たりにすれば否定しようもない。


「ソウヤさん、熱は……なさそうですね。額に触れてもいいですか?」


 ファルクがやや戸惑いながら尋ねてくる。


「うん、もちろん。ありがとう」


 ファルクがひんやりとした手袋の甲でソウヤの額に触れる。


「平熱っぽいですね。いやあ、ホントによかった……! だって昨日まではずっと昏睡状態だったんです。レオン様もお医者様も、『しばらく目を覚まさないかもしれない』って心配してたんですよ」


「昨日までは……って、そんなに寝てたのか、俺」


 自身の時間感覚が曖昧で、改めて驚く。

 ファルクは頷く。


「実は、レオン様がソウヤさんの様子を見に来たいとおっしゃってて。今日あたり、もう一度訪ねてくるはずですよ」


 ソウヤが質問を挟む。


「レオン様って、どんな人? 厳しい方なのかな?」


「うーん……威圧感があるというか、俺たち兵士にはすごく頼もしい領主様ですよ。厳しい面もあるけど、領民を守ろうとしてくれるし、それなりに優しいところもある……と思います」


 ファルクは少し言葉を選ぶように口ごもりながらも、一生懸命に説明してくれた。

 どうやらレオンは強いカリスマ性を持ちながら、都市の発展に熱心なタイプらしい。

 ときに軍備拡張にも意欲的で、騎士団の訓練も自ら視察しているという。


「そうか……。じゃあ、しばらくここにいても大丈夫なのかな?」

「もちろんです! レオン様がおっしゃったんです。『せっかく拾ったんだ、利用価値があれば使うし、何もなければ放っておくのも一つだろう』って」


 やや不穏なニュアンスも含まれている気がしたが、要は『お前をしばらく保護する』という意味だろうか。

 利用価値……何やら引っかかる言葉だが、追究する気力もまだ湧かない。

 と、そのときノックの音が響いた。


「失礼するよ」


 低く落ち着いた声が扉の向こうから聞こえ、ファルクが慌てて出入口に駆け寄る。

 開いた扉の先には、濃紺の上着に金の装飾をあしらったコートを羽織る男――レオンが立っていた。


 レオンは背が高く、がっしりとした体格。

 黒髪に少し白髪が混じり始めた様子で、鋭い青い瞳が印象的だ。


 おそらく三十代半ばだろうか。

 肩にかかるまではいかない短髪を整え、大きなマントを背負っている。

 腰には長剣が吊るされ、そこには家紋のような紋章が浮かび上がっていた。


「ファルク、お前が見張りをしていたのか。ご苦労だったな」

「いえ、見張りというほどでもなくて……ただ、ソウヤさんをお世話していただけです!」


 レオンが部屋に入ると、ファルクは姿勢を正して一礼する。

 その姿からも、レオンがこの場で大きな権力を持つ人物だというのが見て取れる。


「話は聞いている。そなたは『ソウヤ』と名乗ったそうだな」


 レオンはソウヤに視線を向けた。

 その目には探るような色がある。


「改めて名乗っておくと、私はレオン・グリフィス。この辺り一帯を治める領主だ。まずはそなたを荒野で拾った経緯を……いや、それよりもそなた自身の来歴を尋ねたいところだが……」


 一歩踏み出し、レオンは腕を組んだ。

 視線は鋭いが、どこか冷静さも兼ね備えている。


「どうやらそなたは、相当な衰弱状態だったらしい。無理に尋問するほどこちらも野暮ではない。そなたの体力が戻り次第、いくつか質問に答えてもらいたいが……よいか?」


 ソウヤは少し戸惑いながらも、正直に頷く。

 荒野で倒れていた上、ここの住民にとっては怪しい存在に映ってもおかしくない。


「もちろん構いません。自分でも、どう説明すればいいのか混乱しているんですが……」

「ふむ。正体を隠したいなら、その言い分もあるだろうが、私としては『領内をうろつく得体の知れぬ者』を放置するわけにもいかん。しばらくはここに滞在してもらうことになるが……よいか?」


 レオンの口振りには淡々とした厳しさがあるが、完全に敵意むき出しではない。

 むしろ、最善策を冷静に選んだ結果なのだろう。


 ソウヤは短く「はい」と答えた。

 彼がこの世界の慣習を何も知らない以上、それが賢明だと思えたし、今後の行動指針を得るためにも領主の下にいるのは悪い話ではない。


「それと……」とレオンは続ける。


「昨日、お前がうわごとのように『安全基準』やら『制御がどうの』と口にしていたそうだな。ファルクが驚いて報告してきた。妙な言葉だが……その手の知識は何なのだ?」


 ファルクが「すみません」と小さく笑う。

 どうやら、ソウヤが意識のない状態でぶつぶつと、つぶやいていたらしい。

 ソウヤは頭をかきながら、言葉を選ぶ。


「正直に言うと……俺のいた場所では、そういう『システム』を設計する仕事をしていたんです。事故を防いだり、人を守るために、装置の不具合を直したりするのが専門で……」


 すべてを率直に話すにはリスクもあると思ったが、隠しても仕方ない面もある。

 そもそも『元の世界』の話をしたところで、相手が信じてくれるかは未知数だが……。


 レオンは興味を引かれたらしく、少し眉を上げる。


「ほう。装置の不具合を直す……兵器や道具類の設計・管理に通じる、ということか?」

「まあ、大まかには……そんな感じかも」

「それはいい。私は今、領内で新しい技術を推し進めるために、人手を探しているところだ。私が雇っている魔術師――ダリウスという男がいてな。彼は魔術理論の発展に貢献しているが、そなたの『安全基準』なるものがもし本当に有効ならば、興味深い組み合わせかもしれん」


 どうやらこの世界に『魔術』があるのか?

 ソウヤは一瞬思考が止まる。

 ファンタジー的な展開を想定していたつもりでも、実際に『魔術師』がいると聞くと現実味が追いつかない。

 だがレオンはまるで当然のこととして話を続ける。


「わが領地は最近、農業や街の発展に必要な魔道具を盛んに研究している。ダリウスを中心にいくつかの開発を進めていてな。もしお前が使える技術を持っているのなら、試しにやってみてはどうだ?」


「それは、雇う、ということですか?」

「結果次第だ。もし使えぬヤツと判明したら、その時は別の扱いを考えねばならん」


 『別の扱い』とは何だろう。

 ソウヤは背筋に冷たいものが走るが、レオンは意地悪く笑うというより、現実主義的な態度にしか見えない。


「いずれにせよ体調が戻るのを待つがよい。ダリウスと会って、少しでも領地の発展に役立つなら、私としても歓迎する……もっとも、教団やら他の領地との兼ね合いもあるがな」


 そこで聞き捨てならない単語が出た。

 『教団』――宗教団体のようなものがあるらしい。

 ソウヤが問いかけようとしたが、タイミングを逃してしまう。

 レオンが部下の兵士たちを振り返り、軽く手招きする。


「ソウヤとやら、まずはゆっくり休め。後ほど昼食を運ばせよう。身体が動くようになったら、城の中を案内してやる。……ファルク、引き続き見ていてやれ」

「はい、かしこまりました!」


 レオンは満足げに頷くと、部屋を後にした。

 扉の外へ消えるまで、一直線に背筋を伸ばしたまま歩く威圧感が目に焼き付く。

 ファルクがホッとしたように息をついた。


「なんだか、いつにも増して威厳たっぷりでした」

「そうだね。ちょっと緊張した。でも……あんな偉い人に直々に声をかけられるなんて、俺、いまさらだけど大丈夫かな」


 ソウヤが苦笑いを浮かべると、ファルクは「大丈夫ですって!」と元気づけるように言ってくれた。


「レオン様は実行力がすごい人なんですよ。新しい技術を取り入れようとしてて、街の施設を魔道具で便利にしようとか、領民が安心して暮らせる仕組みを作ろうとか……。あ、あと兵士としても強いんです! 実は昔、自ら魔物討伐に出たこともあるとかで……」


 ファルクは目を輝かせながらレオンの武勇伝を語り始める。

 聞くところによると、レオンは『グリフィス領』をかなり若い頃に継ぎ、短期間で都市機能を整えた実績があるらしい。

 街の人々からの信頼も高く、一方で周辺領地との争いには容赦なく挑む猛々しさも併せ持つ。

 それがレオンの評価なのだという。


 (やり手の領主、ってことか。俺を助けたのは、単なる善意だけじゃなくて……使いどころがあると思ったから?)


 正直にいえば、疑心暗鬼もあるが、当面の居場所を確保するためには悪い話でもない。

 ファルクは純粋にレオンを尊敬しているようだが、レオンの実情はどこか政治的にも強かなのだろうと想像するのだった。


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