カラーパレット
未知の色がある。
夏生まれの私は、いつの間にか青空の下に放り出されていた。
眩しすぎる光に気付いた私は、思わず手を伸ばしていた。日焼け止めすら塗っていない、丸裸な手のひら。その熱は過剰に過ぎるのだろう、サブサーフェス・スキャタリング、つまりは肉体すら通り過ぎるほどの光が貫通し、半透明に赤く染みていた。筆舌にし難いが、変則的な木漏れ日と考えていただけるとありがたい。
また再現できるように、できるだけ克明に写し取ることにした。
いつか必ず読み返せると思って。
輝かしい色がある。
中秋の名月は黄金色に輝き、比喩されているような動物の形には全く見えないぐらいに、はっきりとした染みが際立っていた。
それをおちょこに映して、口にふくみ、ベールから剥がされた月を舌で転がした。美味しいかどうかはよくわからなかった。
それらは、平凡な感受性を持つ私にも、目いっぱいに楽しめた。つまりは黄金色の体験だ。目の前に宝石が散りばめられていて、興奮しない人はそういないに違いない。
いくら歳を重ねても、この体験は忘れられないだろう。
意味のない色がある。
流行り病で弱っていた私は、窓から見える景色ぐらいしか外界を感じられる手段がなかった。
ごう、と、吹雪が強まる音がする。対岸の火事のように、ぼんやりとそれを眺める。外に吹きすさんでいるであろう寒波。しばらく眺めていると、寒暖差によるものか、いつしか窓は曇ってしまっていた。また外を覗こうとして、拭いても拭いてもまた同じようになるだけだった。
見える景色は、吹雪と結露によって染め上げられた白色しかなかった。
諦めた私は目を瞑った。次の季節にはまた、色とりどりの風景が見られるであろうことを祈って。
キャンバスがある。
意識を取り戻すと、目の前には、色とりどりの花畑が一面に広がっていた。あれはネモフィラだろうか、ポピーも咲いている、あちらはフリージアだろうか。足元をよく見るとシロツメクサを踏みしめている。
桃源郷とでも呼べるのだろうか。幻覚でも構わない。確かに、ここには限られんほどの極彩色があり、つまりは画家の私にとっては何もかもがある。手に取ることも忘れていた筆は、今なら自由自在に操れる。なんと素晴らしいことだろう!
すべての体験に意味があった。
統合された。
ここで、一世一代の作品を描こう。
満足に仕上がったときには、私は。世界に溶けていた。
赤、青、黄、白。