1.孤独な少女
ドワーフの工房の地下、人気の無い独房の一室に1人の少女が閉じ込められていた。彼女の名前はカヌリ・ラダウ。明るいオレンジ色の短髪が男の子のような印象を与える少女だ。魔族連合に従わされ、覇者の王冠を使って工房を襲ったのがこのカヌリだった。
カヌリは独房の中で何とか脱走する方法が無いか模索していた。魔導具の手錠をかけられ、魔法や祝福が使えないので脱走は困難だ。ただ、手錠以外の枷は無く、食事やトイレ、風呂や寝床まで用意されているので生活に不自由は無い。
(まあ、殺されなかっただけ運はいいな)
カヌリは魔族連合に強制的にだが協力し、覇者の王冠を使って破壊工作をした。それだけでも敵に捕まれば処刑されるだろうと思っていた。確かに元々魔族連合と敵対していたが、レジスタンスと言ったのは嘘だ。実情は山賊に近い集団のリーダーに祭り上げられただけだった。誰か本当の情報を得てしまったら今度こそ処分されるかもしれない。だからその前にここを逃げ出すしかないとカヌリは思っていた。
(しかし、昨日から様子が変だな)
独房の中に居てもドワーフ達の様子が以前と異なる事が見て取れた。ドタドタと騒がしく動き回る音が地下でも聞こえ、どこか緊迫した印象だった。以前は興味本位でカヌリを見に来たドワーフもいたが、それも今日は居ない。
「よし、今日もちゃんといるな。大人しくしているんだぞ」
そんな独房の前に1人の人間の男がやって来て言った。デイン王国の軍師をしていたグイブとかいう男だ。愚者の王冠を掴まされ、味方を危険に晒した間抜けな男で、カヌリはグイブが嫌いだった。
だが、カヌリの手錠を外せる唯一の人物でもある。食事や入浴時に手錠の両手が自由になるように分離させてもらうのを頼む事もあり、機嫌を損ねないようにしなくてはとは思っていた。そして今は貴重な情報源にもなる。
「なあグイブさん、何が起こってんだ?」
「そうか、君は知らないんだったな。これは話してもいいのかどうか」
「みんな騒がしくて気になるんだよ。教えてよ」
前にグイブに色目を使ってみたが、まるで効果が無かった。間抜けな男ではあるが、頭はよく、誘惑には乗らない。取引も出来ないタイプだとカヌリは判断していた。
「まあ牢に入れられた状態だし教えても問題無いかな。
デイン王国の魔導結界が何故か消えたんだ。王国はきっと大変な事になっている。アリナさん達とも連絡が取れて無いし、ドワーフ達も僕達もどうしたものかと出来る事をしてるんだよ」
「ざまあないな。今まで安全にぬくぬくと生活していたツケが回って来たんだよ」
「そんな事は無い。王国は今までも様々な危機が訪れ、アリナさん達が必死に守ってたんだ。魔導結界だって王国が必死に編み出した対策だったんだよ」
グイブは必死に説くが国に対する忠誠心が分からないカヌリにとっては滑稽にしか見えなかった。だが一方でカヌリは今の状況は自分に有利なのではと考える。
「ねえおじさん、ボクも手伝うよ。色々大変なんでしょ。
だから手錠を外して牢から出してよ」
「駄目だ。君はまだ信用出来ない。余計な事をしてドワーフの人達に迷惑かけたくない。
あと、僕はまだ20代だ。おじさんと呼ぶのは失礼だぞ」
「じゃあお兄さん、お願いだよ。
ボクなら覇者の王冠を使ってどんな事だって手伝えるよ。分かるでしょ」
カヌリは媚びながら大嘘をつく。覇者の王冠を返して貰えるとは思って無いが、それでも要望は大きく出した。
「それが問題なんだよ。もし君が再び敵に回ったら僕だけではどうにもならない。逃げられて王国の兵士を再び連れ去られても問題だ。
と、僕も暇じゃ無いんだ。君は大人しくしててくれ」
「そんなぁ……」
こうなる事は分かっていたが、グイブが助けてくれる可能性がゼロに近いと分かると少し落ち込む。だが、こんな事で諦めるカヌリでは無かった。
(あんまりやりたく無かったけど、あの子を使うしかないか)
カヌリはある人物が来るまでしばらく待った。
「お姉ちゃんお話聞かせて―」
30分ほどしてカヌリが待っていた人物がやって来た。彼女はドワーフの幼女で名前はジンダ。カヌリはなぜか子供に好かれる性質で、ドワーフの子供達も物珍しさにカヌリのところに来て、大人達もそれを止めたりしなかった。身動き出来ないので子供の話し相手してくれるなら問題無いと思ったのだろう。カヌリが魔族連合に捕まる前や、子供時代の下らない日常話しかしていないが、それでも工房から離れた事の無いドワーフの子供達には面白い話だったようだ。
そんな子供達の中でもこのジンダは特に好奇心旺盛でカヌリの下らない話に嵌っていた。他の子達が飽きて来ても毎日暇があるとこうして1人でやって来るのだ。
「ジンダ、よく来たな。
話を聞かせてもいいけど、その代わり前に言った事は分かったか?」
「ああ、鍵の事?それは分かったよ」
カヌリは周りを見て誰も居ない事を確認してから小声で質問した。ジンダと前に2人きりだった時に牢の鍵がどこにあるか調べさせたのだ。
「取って来れる?」
「うーん、背が届かないから難しいかも」
「なんか棒みたいな道具で掴めば取れないか?」
「あ、そうか。
うん、それなら出来るかも」
多少の不安はあるが、牢の鍵はジンダを騙せば開ける事は出来そうだ。となると問題は手錠の方だ。だが、こっちもある程度調査は進んでいた。しかし最終的にはジンダを頼らねばならない。
「ジンダ、今日は特別に面白い話をしてあげるよ。
その代わり、もっと近くに来て。秘密の相談がある」
「分かった」
カヌリはジンダにも分かるように細かく説明をするのだった。
夜になり、周囲の騒がしさも収まってきた。独房がドワーフの生活するスペースから少し離れた場所にあるからだ。夕食が準備され、一旦グイブによって手錠を左右に分離してもらう。その際、何をしているか見えないようにいつも目隠しをされる。ただ、毎日の行動から手錠に4桁の数字を入力して操作している事は分かった。だが手錠をされているカヌリ側からは操作出来ないのも分かっている。結局番号が分かっても誰かに操作してもらう必要があるのだ。
食事が終わると再度両手の手錠が繋がるように操作される。この後に入浴があるので二度手間に思えるが、グイブは絶対に面倒臭がって手順を省いたりはしなかった。几帳面で慎重なのだ。敵としては厄介だが、味方としてはこういう男が重宝されるのはカヌリにも分かっている。
(だけどそれも今日までだ)
カヌリは食後しばらくした後の入浴時間にある作戦を立てていた。グイブが食事を片付けてから1時間後、入浴の案内にやって来る。ドワーフは予想以上に風呂が好きで、共同の浴場の他に来客用の浴場も工房にあった。グイブや王国の兵士、カヌリが使っているのはそちらの浴場で、カヌリは他の人が使い終わった最後に使わせて貰っている。順番に不満が無いわけでは無いが、毎日入浴出来る事を考えれば文句は言えない。
「あれ、ジンダ?」
「ああカヌリ君、この子がどうしても君と一緒じゃないとお風呂に入らないと駄々をこねてね。ドワーフの人達に頼まれたんだ。それでも構わないかい?」
「ボクは全然いいよ。一緒に入ろう、ジンダ」
「うん!!」
カヌリは全部自分が仕組んだ事だが、突然のアクシデントのように振る舞った。グイブは全く怪しんでいない。ここまでは上手く行った。問題はこの後だ。
グイブが牢を開け、カヌリの手錠に紐を付け、慎重にジンダと一緒に浴場へと向かう。3人は脱衣所に入った。カヌリは上手く行くように祈りながら用意した台詞を言う。
「お姉ちゃんこれから目隠しされるんだ。グイブさんがエッチな事しないかジンダ、しっかり見張ってて」
「おいおい、僕はそんな事しないぞ。手錠の繋いでる部分を外すだけだ。誤解するような事を言わないでくれ」
グイブが否定するように言い、準備していた目隠しでカヌリの目を隠す。これでジンダがグイブを凝視する理由が出来た。グイブは目隠しされたカヌリの手錠をいつも通り何かを入力して左右の手を繋いでる部分を外した。
「ほら、いつも通り外しただけだ。変な事はしてないぞ。
じゃあ僕は脱衣所の外で待ってるから長湯せずに入ってくれ」
グイブはそう言ってそそくさと脱衣所から出て行った。カヌリは脱衣所ではジンダと会話をせず、服と下着を脱いでタオルを持つとジンダと共に浴場に入った。
「ボクが背中を流してあげるから」
「やったあ」
ジンダは子供らしく喜ぶ。カヌリは湯桶を用意し、洗い場でジンダの背中を石鹸で洗ってあげる。
「それで、4桁の数字は分かった?」
「うん、ちゃんと見てたよ。数字は『4989』だった」
「でかした!!じゃあ後はまた明日よろしくね」
カヌリはジンダを使った番号の入手が成功して喜ぶ。お互いの身体が洗い終わると2人で湯船に浸かった。ドワーフの浴場は温泉の湯を引いているらしく、とても気持ちがいい。
「お姉ちゃん、どこか行っちゃうの?」
ジンダを騙して本当の事は隠していたが、小さな子供でもカヌリのやろうとしている事に気付いているようだ。ここで嘘をついてもいいのだが、カヌリはジンダには本当の事を言おうと思った。それで明日の計画が水の泡になる可能性があるとしても。
「そうだよ。ボクにはやらなくちゃいけない事があるんだ。ボクの仲間にはカヌリと同じぐらいの子供もいる。その子達が今大変な目に遭ってるかもしれない。だからボクは帰らないといけないんだ」
「また戻ってくる?」
ジンダは純真な瞳でカヌリを見つめる。カヌリはジンダの事も嫌いでは無かった。だが、今のところ戻って来るつもりは無かった。だから回答を言い淀む。
「――仲間の安全が確保出来たら戻って来るよ。そしたらまた一緒に遊ぼう」
「分かった、約束だよ」
カヌリはジンダが嘘を見抜いてるのではないかと思うのだった。
風呂を出て、再び服を着て脱衣所を出るとちゃんとグイブが待っていた。再び手錠を繋がれ、カヌリは大人しく牢に戻るのだった。
翌朝、通常通り朝食が運び込まれ、いつもと同じく目隠ししてグイブによって手錠が左右に外される。朝食が終わると再び手錠を元に戻され、いつも通りカヌリは独房に1人になった。ここからが勝負になる。
(来てくれるかな……)
カヌリは昨日のジンダの寂しそうな表情を思い出しながら待った。これでジンダが来なかったらそれもまた運命だろうと。ドワーフ達やグイブや王国の兵士達はそれぞれ作業を開始し、カヌリの独房の周りに人影は無くなった。元々見張りを付けたり監視の機械を置いたりもしておらず、カヌリ自身は自由の身だ。ただ独房からは出られず、両手の自由は無い状態なので何も出来ない事には変わらない。カヌリには待つしかなかった。
「お姉ちゃん、来たよ」
ジンダは周りに人が居ないのを確認してからカヌリの独房の前までやって来た。
「ありがとう、助かるよ。鍵は取れた?」
「うん、今開けるね」
ジンダは何かの道具を使ってちゃんと独房の鍵を取って来たようだ。不用心だとは思うが、カヌリが人間で、正式な魔族連合の一員では無かった事であまり警戒されて無かったからだろう。ジンダが鍵を扉に刺すと、ちゃんと扉は開いた。カヌリは音を立てないように扉を押して開き、周囲を見回す。誰かに見つかったら一巻の終わりだからだ。
「ジンダ、難しいかもしれないけど、手錠を操作してみて」
「どうやるの?」
カヌリがしゃがんでジンダと同じ目線になり、手錠に繋がれた両腕をジンダの目の前に差し出す。操作に魔力が必要だった場合はジンダには無理かもしれない。その場合は手錠をしたまま逃げるつもりだった。
「この、右手の手錠の上に四角い板があるでしょ。そこを指で触れてみて」
「こう?」
ジンダが触れるとカヌリが見えない方向に魔力で立体化された操作盤のようなものが現れた。どう覗き込んでもカヌリから見えないように表示されるみたいだ。それでも目隠しして操作していたのはグイブの慎重さ故だろう。
「数字が並んでない?それを昨日の『4989』の順番で押してみて」
「ねえ、お姉ちゃん。
お姉ちゃんは悪者じゃないんだよね?」
ジンダは自分の行動に不安があるのか、カヌリの目を見つめてくる。カヌリは本当は即答出来ない質問だった。でも時間が無く、答えは決まっていた。
「悪者じゃないよ。ボクはジンダの味方だからね」
「分かった。やってみる」
カヌリは胸の痛みを感じながら答えた。ジンダは素直に操作を開始した。
「お姉ちゃん、何か光ってる。文字が並んでるけど読めないよ」
「一番下の文字を押して」
これは賭けだが、カヌリには古代魔導帝国の魔導具の知識があった。重要なボタンは一番下に設置してある事が多いと知っていたのだ。ただ、もし違うボタンだった場合、再度実行するのに時間がかかる必要がある。
「押すよ」
ジンダが言われた通り下の方に触れた。カヌリはそれが手錠解除のボタンである事を祈る。数秒何も変化が無かったが、しばらくすると両手を繋いでいた輪が開き、カヌリの手は自由になった。
「やった!!ありがとね、ジンダ」
「もう行っちゃうの?」
「うん、でもその前に」
カヌリは手錠を独房に投げ込むと、周囲に魔法を使った。ジンダが独房を開けた証拠を消したのだ。
「ボクが消えて5分経ったらお姉ちゃんが居ないって誰かに伝えに行くんだ。ここに来たらもう居なかったってね」
「分かった。
でもあたし、寂しい……」
ジンダが泣きそうな顔をする。
「大丈夫、絶対戻って来るから。約束する」
カヌリはジンダを優しく抱き締めた。無責任な約束だなと自分でも思った。それでも今だけは本気の約束だった。
「分かった、待ってる」
「じゃあね」
「うん、バイバイ……」
カヌリは祝福の力を使って工房の地面の下へと潜っていくのだった。
(やっぱり手ぶらだと心許ないな)
カヌリは地中を進みながら思う。服や下着はドワーフの物を貰って問題無いが、それ以外に持っている物は何も無い。以前の服や私物はどこかに仕舞われ、それを探しに行く危険は冒せなかった。そもそも魔族連合に捕まった時点で許可された短剣ぐらいしか私物は無くなっていた。でも短剣は祖父の形見なので出来れば取り返したかったと心残りになっている。
カヌリは魔法が得意なので外に出てすぐに死ぬ恐れは無いが、食事や飲み水はどこかで確保したかった。ジンダにそれを頼むのも考えたが、バレるリスクがあるので最低限の手助けだけにして貰ったのだ。そしてカヌリは何とかなるだろうという楽観主義者でもあった。
前にジンダに地図を見せて貰った事があり、ドワーフの工房とその周辺の地理はカヌリの頭に入っていた。カヌリの目的地は南西にある自分が暮らしていた集団の隠れ家で、徒歩では数日かかる計算だった。
ドワーフの工房からある程度離れ、近くに魔族連合の拠点も無い事が分かっているのでカヌリは地中から地上に出た。地中に居る能力では呼吸も問題無いのだが、新鮮な空気を吸えるのは気持ちいい。
「やったー、久しぶりの自由だ!!」
カヌリは周りにモンスターが居ない事を確認してから叫ぶ。魔族連合に捕まってからの数ヶ月は本当に辛かったので、カヌリは自由を噛みしめていた。
「結局大した成果も無しか。タイミング失敗したなあ」
カヌリは歩きながら以前の事を思い出す。スミナ達に話した、タイミングを見て魔族連合を抜けようと計画していたのは本当だった。カヌリにはその力があったし、魔族連合相手でも問題無くやれる筈だった。
カヌリが1人だけ気を付けていたのはレオラというデビルだけだ。彼女だけは力の底が見えず、覇者の王冠の全力を使っても1対1でなければ勝てないと感じていた。だから抜けるとしたらレオラが居ないタイミングを狙っていたのだ。
そして丁度レオラが居ないタイミングが来たと思ったら、スミナに覇者の王冠を解除されてしまったのだ。裏切るならスミナが来る前だったなとカヌリは後悔している。カヌリは王国の転生者の双子に関わるのは危険だと理解したからだ。強いと自覚しているカヌリだがあの2人には勝てないだろうと。勝てない相手と戦うのは馬鹿のする事だとカヌリは思っている。
(もうあいつらの事を考えるのは止めよ)
カヌリには国を救うとか、人間を救うなどという気持ちは無い。自分の出来る事の限界を知っているからだ。
元々カヌリは祖父と2人で人里離れた場所で暮らしていて、戦争などの争いとは無縁だった。両親を記憶も無い頃に亡くし、祖父以外の人間とは殆ど会った事が無かった。自分の身を守る術は祖父から教わり、自給自足で祖父と2人で生きていくつもりだった。だが、祖父が病で亡くなり、遠い親戚を頼れというのが祖父の最期の言葉となった。そこでカヌリは初めて1人になり、人間達が住む町へ行かざるをえなくなったのだ。
(嫌な事思い出しちまった……)
結局カヌリは親戚と出会う事は出来なかった。魔族との戦争で死んでいたのだ。既に人間は魔族連合に組み込まれ、カヌリが向かった町は魔族に支配され、人間は奴隷のような扱いだった。中でもカヌリのような別の場所からの流れ者は魔族からも人間からも扱いは悪く、一番身分が低い奴隷にされるところだった。
だが、魔族がカヌリの能力の高さを見抜き、戦闘要員として魔族の砦へ送られる事になった。カヌリは幼く世間知らずだったので、訳が分からない状態で、言われるがままに魔族に付いていった。祖父が死んだ時点でどうなってもいいと思っていたのもある。
砦に着き、魔族連合の戦闘要員として使われるようになりそうだったカヌリだが、そうなる前に事件が起こった。砦に居たならず者のような人間の戦士に性的な関係を強要されたのだ。魔族はそういった事には関与せず、他の人間もその戦士に敵わないのか助ける者はいなかった。見た目は男の子のようなカヌリだがこの頃から胸や尻が成長して大きくなり、男達からいやらしい視線を感じるようになっていた。常日頃から女性を襲っていたこの男がそんなカヌリに目を付けたのも当然の流れだったのかもしれない。
か弱い女性なら恐怖でそのまま乱暴な男の思うままになぶり者になっていただろう。しかしカヌリはそうでは無かった。祖父に男の子のように育てられたカヌリは魔法と護身術を習っていたからだ。カヌリの服を脱がそうと男に隙が出来たところを魔法で動きを封じ、護身用の祖父の形見の短剣で喉を突き刺したのだ。男は絶命し、カヌリは砦に居られなくなった。仲間殺しは重罪だと分かっていたからだ。カヌリは祝福を駆使して逃げ出し、また1人に戻ってしまった。
(でも、あの時からボクの新たな人生が始まったんだ)
逃げた当時の孤独と今の自由の身になった孤独は大きく違っていた。逃げ出して生きる希望も無い過去のカヌリは祖父と過ごした家に戻り、孤独に生きようかと思っていた。人と関わっても碌な事にならないし、今は魔族が支配する地獄のような世界だと理解したからだ。
そんなカヌリの運命を大きく変えたのは逃避行中に1台の奴隷を乗せた馬車を見かけた事だ。馬車の中には大量のカヌリと同年代か、それより若い少女が載せられていた。恐らく砦に向かうと思われ、奴隷として砦の家事をさせるのだろう。しかし、それ以外に女性として性的に消費もさせられるだろう事はカヌリの実体験が物語っている。カヌリは襲われた怒りを忘れられず、気が付けば身体が動いていた。
初めてのデビル相手の戦闘だったが、カヌリは魔法と祝福を駆使して敵を倒す事が出来た。そして奴隷にされていた子供達を解放した。自分の仕事はそこまでと立ち去ろうとしたカヌリだが捕まっていた子供達に助けを求められてしまう。デビルを倒した力を見込んでだろう。結局カヌリは流されてその子供達と一緒に居る事になってしまった。
(ユメル大丈夫かな……)
カヌリはその時出会って親友になり、自分達の集団のサブリーダーを務めるユメルという少女の事を思い出す。覇者の王冠を盗みに行くのをユメルに止められたのだが、カヌリは絶対に必要だと聞かず、喧嘩別れのような状態で出て行ってしまったのだ。
カヌリと奴隷の少女達は生きていく為に山賊のような生活を始めた。運が良かったのはカヌリの他にも少女達の中に戦闘が出来る子が居た事だった。カヌリとユメルは特に抜き出ていたのでリーダーとサブリーダーという地位にいつの間にかなっていた。
カヌリ達は食料や物資を奪い、時には人殺しもした。生きる為に必要だったからだ。1つの場所にはとどまらず、捕まらないように場所を変えつつ強奪を繰り返した。それと同時に奴隷として扱われている少女も解放した。解放後に仲間にならない子もいたが強制はしなかった。
最初は10名程度だったカヌリ達はどんどんと人数が増えていった。問題が起こらないよう、幼児以外は女性しか仲間にしなかったが、魔族連合から逃げ出した者やはぐれていた者が噂を聞いて集まって来たのだ。一番多い時には100名を超えた集団になっていた。
(あの時は大変だったな。ユメルが居てくれて良かった)
人が増えれば問題も増える。山賊のような集団ではあるが、最初は仲間意識があり、問題は少なかった。全員が魔族連合の被害者という意識があったのも大きい。だが、人が増え、横暴に振舞う者、他人の物を盗む者、悪い噂を流す者も現れた。致命的だったのは魔族連合に仲間を売ったヤツだ。
カヌリ達は休んでいたところを襲われ、多くの仲間を失った。カヌリの能力で中核となる者は助かったが、あの日の惨劇をあカヌリは忘れる事が出来ない。連れ去られた仲間を個別に救いに行こうともしたが、ユメルに止められた。それを教訓に無闇に仲間は増やさない方針が出来た。
ユメルが仲間にする人の決まりを作り、それを満たす者しか新たに仲間にしない事となった。それと同時に年齢制限も決められた。カヌリが10代なのもあり、それを基準に仲間に出来る限界を20歳までと決めたのだ。今まで仲間だった者も20歳を超えたら出て行く必要があると。
その頃にはディスジェネラルの噂があり、人間でディスジェネラルのシホンの管理する町なら女性の待遇がいいと知られていた。20歳を超えた者はそこへと送り届ける事で身の安全をある程度保障されるだろうと決まった。全員でシホンの元に行くという案もあったのだが、既に重犯罪者であるカヌリやユメルが許されるとは思っていなかった。だからその案は却下された。
(魔族連合に新たな動きが起こるまでは幸せだったなあ)
人数が減ってからのカヌリ達は必要最低限の襲撃しか行わず、出来る部分は自給自足するようになった。戦力強化の為に魔導具などを奪いはしたが、魔族にとって価値が低いので前のように執拗に狙われる事は無くなった。信頼出来る仲間だけになり、皆家族のように感じていた。それでも敵の襲撃で死者が出る事はあったがカヌリ達は諦めず生き延びようと誓っていた。
明らかに状況が変わったのは今から1年前ぐらいだった。魔導結界内の王国で何かあったという噂はカヌリの耳にも入って来た。魔族連合のディスジェネラルの動きが活発になり、異様な盛り上がりが感じられた。そして人間、亜人、モンスターに関わらず、魔族連合に従順で無い者への粛清が始まったのだ。
しばらくは逃げ隠れしていたカヌリ達だが食料不足になり、強奪は危険を極めた。戦闘の度に仲間が死ぬリスクを感じ、カヌリは覇者の王冠の噂にすがるしかないと思ったのだ。それがカヌリをおびき寄せる罠だと分かったのは捕まった後だった。
(王国から来たヤツラを恨むつもりは無いよ。でも、協力はしないから)
少しの時間だが双子やその仲間を見て彼女達が自分達と同じように苦しんでるのは分かった。もっと大きな使命を持ち、戦っている事も。立派だとは思うが自分には関係ない。
(ボクは仲間が無事ならそれでいい)
カヌリは合流出来たらユメルに謝らねばと思っていた。結局彼女の冷静さが自分には必要なのだと。
「!?」
過去の事を思い出しながら半日ほど歩いたカヌリは何かを感じ取り警戒する。ここは道らしい道も無い山の中だ。モンスターすら獲物がいないので近寄らない場所だと思う。そこに大量の何かが移動しているのを感じたのだ。
(あれは、魔族連合の部隊?)
魔族連合に使われていたカヌリはその内情もある程度知っていた。今の魔族連合はディスジェネラルがボロボロになり、まともに軍隊を動かす機能が低下していた。なのでドワーフの工房辺りはしばらく襲撃されないだろうと思っていた。
カヌリは地面に潜って顔だけ目立たないように出して動く集団を観察する。そこには新型と思われる機械の闇機兵やモンスターをデビルが強化した化け物の集団が居た。指揮を執っているのは数人のデビルで、そいつら自体の強さはそこまででは無い事が分かった。それでもこの数の敵はかなりの脅威だ。
(まあボクには関係ない話だ)
カヌリはそのまま地面に潜ってやり過ごそうとする。部隊の進む方向はカヌリがやって来た方角で、ほぼドワーフの工房が目的地だろう。だが、カヌリには危険を伝えに戻ったり、ここで妨害したりする義理は無い。下手に動いて自分が危険な目にあったり、自分の情報が魔族連合に知られては元も子も無いのだ。
魔族連合の部隊はカヌリには気付かなかったようで頭上を移動していった。ドワーフの工房には戦闘出来る機械の兵器があるし、グイブと覇者の王冠と兵士もいる。被害は出ても覇者の王冠を使いこなせれば勝てる可能性は高い。だが、それは敵と普通に戦った場合だ。奇襲をかけられた場合は大きく異なる。下手をするとドワーフの工房は破壊され、撤退を余儀なくされる可能性もある。
(なんで頭に浮かぶんだよ!!)
カヌリの脳裏に浮かんだのはジンダの笑顔だった。それとドワーフの子供達の顔も浮かんで来る。子供達には何の罪も無い。戦争を始めたのは大人達の責任だ。そしてカヌリが思い出すのはジンダとの約束だ。ジンダが死んでしまったら約束が果たされる事は一生無い。
「食事と風呂の礼だ。今回だけだからな」
カヌリは自分にそう言い聞かせ、地上に姿を現した。魔族連合の部隊は突然現れたカヌリを見て思考停止する。1人の人間の少女が突然地面から現れたからだ。だがカヌリは容赦などしない。敵が行動をする前にカヌリは動いた。
「沈め!!」
カヌリの祝福は自分を地中に沈める他にも敵を沈める事も可能だ。ただし敵相手に使う場合は範囲も限られ、あまり深くは沈められない。それでも敵の大半を身動き取れなくさせる事が出来た。
「敵襲か。だが、1人で丸腰とはマヌケなヤツだ」
指揮官と思われるデビルがカヌリを敵だと理解し、ダロンやモンスターに攻撃を命令する。比較的埋まってないダロンの射撃武器の砲口がカヌリの方を向いた。近くのモンスターの触手もカヌリへと向かってくる。何も武器も防具も持たないカヌリはどう見ても不利だった。カヌリの地中に潜る祝福は自分か敵のどちらかにしか使えないので、地中に逃げれば敵を沈めた意味が無くなる。
「まさかこんな所で使う事になるなんてね」
カヌリの身体が光り、一瞬のうちに魔導鎧が装着されていた。右手には銃のような魔導具が握られている。カヌリは高速で宙に舞い上がり、敵の攻撃は元居た場所を素通りしていった。
「悪いけど全滅してもらう!!」
銃のような魔導具から黒い球が撃ち出される。それは地面にめり込んだ敵に当たると“ズドンッ”という音と共に敵が潰れた。カヌリが持っていたのは重力を操る魔導具だったのだ。カヌリは他にも生き残っているダロンやモンスターに向けて球を撃ち、次々と圧死させていった。残ったのは空中に逃れたデビル2体だ。そのうち1体は既に逃げ出している。
「キサマ、何者だ?」
「名乗らないぞ。お前は死ぬんだから」
カヌリはデビルに急接近し、いつの間にか左手に持った針のような魔導具をデビルに突き刺した。
「その程度か。
な、キサマ何をした……」
デビルの身体がどんどんと膨れ上がっていく。カヌリは急いで離れ、逃げたデビルを追った。膨れたデビルは風船のように膨張し、破裂して死んだ。
「逃がさないよ」
カヌリは魔法を逃げたデビルの前方に放って動きを止めた。デビルは距離が縮まっていると気付き、逃げるのを諦めて攻撃してきた。カヌリは運動能力は人並みで、デビルと格闘戦で勝てるとは思っていない。だから魔導鎧で攻撃を防ぐ事に集中した。デビルは押し切れる判断し、接近して槍でカヌリを貫こうとした。
「ほんと、あんた達弱いよね」
カヌリの左手には先ほどの針では無く、10センチぐらいの球形の魔導具が握られていた。それを攻撃しようと近付いたデビルに投げる。デビルは気付いて槍でそれを貫こうとした。その瞬間球が割れ、デビルの身体は一気に凍り付いた。
「はい、おしまい」
カヌリは飛行魔法で近付き、蹴りを繰り出すとデビルは粉々に砕け散った。
カヌリが魔導具を取り出したのは祝福、複製の力だ。カヌリは一度触れた道具を好きなタイミングで複製する事が出来るのだ。魔族連合に捕らえられた時は隠していたが、カヌリは2つの祝福を持つ非常に珍しい人間だった。