この人生は何度目?
お久しぶりです
みなさん一度は考えたことがあるのではないか。「私の前世はなんだろう?」「この人生は何度目なんだろう?」と。
僕は、小学三年生くらいから、この思考を始めた。僕にとって、小学三年生というのは転換期で、このエッセイにも度々登場すると思う。詳しい内容はいずれ話そう。
さて、僕はこれに対して、どう結論づけたか。
それは「来世があるのなら、来世でも覚えているくらい今世の記憶を濃いものにしよう」と考えた。もし前世があるのなら、僕は恐らく前世で大したことを成し遂げてないのではないか。なら、来世に残るくらいのことを成し遂げ、来世で「前世の記憶をもつ人」になればいいじゃないか。
だが、この時期に同時にあった思考が「みんなAI」であったから、これはもう困惑した。僕だけ存在していて、それで前世の記憶も持ってないのか、と。僕だけが人生を何周もしていると考えると、ひどく憂鬱になった。
読者の中に、前世の記憶を持つ人がいるのなら、もしかしたら前世で凄い偉業を達成したか、記憶に残る出来事があったか?かもしれない。
そして、ここからは余談だが、僕の前世は何か考えてみたことがある。
今のところの最有力候補は、「ロシア(旧ソ連)の軍人」である。僕はなぜか、結構昔からロシア、旧ソ連の音楽、歴史、光景が懐かしく感じるのである。きっかけは、カチューシャというロシア民謡だった。それを聞いたとき、ホームシックに陥るような、そんな感覚にとらわれた。そして気付いたらロシアの音楽を聞き漁り、ロシア語の勉強を始めていた。
その中に、「モスクワ郊外の夕べ」という音楽がある。歌っている動画を見て、その背景になっている軍人たちを見て、僕は見入っていた。デジャヴというのだろうか。
以上で今回は終わりだ。
前世は何かがきっかけで思い出すことなどあるのだろうか。あるとしたら、その時は正常を保っていられるのか。
みなさんの前世はなんでしょうか。