周りの人間はすべてAIではないのか
よろしくお願いします。
幼いとき、正確には小学四年生になったとき、ふとこんなことを思ったことがある。
「自分以外の周りの人間はすべてAI(人工知能)であり、この世界には本当は自分以外意識をもっていないのではないか」
今思えばめちゃくちゃな理論なのだが、当時は本気でそう信じていた。
たしかに、よく考えてみればそうだと。そもそも逆に他の人間が存在しているのが異常なことで、むしろ存在してないのが当然であると思ったのだ。
自分という存在を意識したとき、より一層他者の存在を疑問視してしまっていた。
僕はすごく孤独を感じるようになった。
それまでは友達と外で遊び、教室でも明るく振舞っていたのだが、周りの人たちがすべてAIだと思うと、もはやそんなことはできなかった。
そして、「読書」という殻に閉じこもった。なんだ、AIの書いた割には面白いじゃないかと。そして、ついには、唯一存在する人間である僕の生きた証を残そうと、小学6年生にして小説を書き始めた。その頃の小説は今も、このサイト「小説家になろう」に残っているのかもしれない。もう、題名も忘れてしまったわけだが。
まず、この理論に至ったきっかけは、AIという物を知ってしまったことにある。サイエンスに興味のあった少年時代の僕は、AIという存在にひどく魅了された。なんて人間の技術はすごいんだ、と思った。そのAIに苦しめられるとは知らずに。
こうして書きながら振り返ると、まったく横暴な理論である。
他者からすれば、失礼極まりない理論だ。
さて、僕は知りようがないが、この文章を貴方は見ているのだろうか。僕は、どうしても、どう足掻いてもそれを確かめる術などない。これを見ていて、「なんだこいつ」と思っている時点で、僕の理論と余計な心配は意味のないものになるのだ。
こうしたところに、思考の楽しさを感じる。
正解がない。今の教育は、どうも正解が与えられすぎている気がするから、思考は大好きだ。
さぁ、では、僕はどうやって孤独という殻を破ったのか。
それは「ひたすらにAIじゃないことを確かめる」ことだった。まず親、友達、先生、、、身近な人たちに質問した。「ねえねえ、貴方はAI? 思考をもってる?」という風にだ。もちろん、これで確信を得られるわけではないのだが、少しは気持ちが和らいだ。
というのも、みな「は? 何いってんの」と反応してくれるからだ。いまだに「はい、AIです」と気味悪い笑みを浮かべながら返事をしてきた人はいない。
こうして僕は、「やはりみんな人間なのではないか」という思考を始めたのである。
さて、こうして意味のわからない思考を書いた。これを見て、感想を書いていただけることが、僕の孤独が更に和らぐきっかけとなる。だからぜひ感想を書いてほしい。
これからも、ゆっくりと僕のもつ「凡人の思考」を長々と綴っていこうと思う。
書いてて、昔の自分はどこか頭がおかしかったのだろう、と思いました