プロローグ
「エース」とは、負けない人、球が速い人、開幕投手になる人、完投する人…など人によって定義は分かれるだろう。だが「エース」は最初から「エース」であるわけではない。
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相川勇気の性格は、10人に聞いたら10人弱気と答える。それほど悪い容姿ではないし、背も178センチと悪くはない。しかし、子どものころから母の影響もあって、どうしても人の前に出ることが出来ず、少しずつクラスの端の方に追いやられていった。
そんな勇気が野球をやめなかったのは、【祖父がずっと野球を続けていたから】というのと、【憧れの選手がいたから】である。祖父はプロというわけではなかったが、毎朝一緒にキャッチボールを欠かさずにして、週末には球場に連れて行ってもらっていた。そしてその球場でマウンドに立っている皆瀬修人という選手に憧れたのである。
家庭の事情からバットかグローブどちらかしか買ってもらえないとなったときに、勇気は真っ先にグローブを選んだ。祖父と自分のグローブでキャッチボールをしたかったというのと皆瀬がマウンドに立って投げていたからである。祖父と毎朝キャッチボールをして、公園で壁当てすることを繰り返した。変化球を投げたいと祖父に相談したこともあったが、小さいうちはやめておいたほうがいいと言われ、結局直球を愚直に投げ込んだ。
祖父は勇気が中学生になるのを待たずにいなくなってしまった。医師は大往生だったと言っていた。祖父がいなくなっても、幼いころのからの習慣は変わることはない。キャッチボールをすることはできなくなってしまったが、壁当てのキャッチボールもどきと、ランニングを増やすことで誤魔化した。
13歳になり地元の中学校に進学したが、そこには野球部はなかった。問題を起こしたらしく、部活自体がなくなってしまったらしい。怖い母親に地元の野球チームに入りたいとは言えるわけもなく、他の部活に入ることも考えたが、結局帰宅部でランニングとキャッチボールもどきを続けた。
ある日ふと思う。母は偏差値の良い高校への進学を望んでいる。勇気は野球の強い高校へ行き野球がやりたい。では、偏差値の良い場所でかつ野球の強いところを受験すればよいのではないかと。その日から勉学に励み、母にとある高校への進学を打診した。県外の高校であるし、怪しげな目で見ていたが、偏差値の良い高校であるから母はその進学を許した。
毎日の習慣をしながら勉学に励み、受験の結果行きたい高校へ行けることになった。母はなにも言わなかった。もしかしたら母親として勇気の何かを感じ取っていたのかもしれない。
《私立関堂高校》
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