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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-08 『Graceful fighter』
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Section-8

更新履歴 21/10/13 文章のレイアウト変更・表現の修正


『美山涼さんのことが、好きです』



 真剣な表情で、そう告げた直後、彼の顔は急激に紅潮していった。

 どうやらそれを口に出した瞬間、ふと冷静になり、自分の大胆な行為が恥ずかしくなってきたらしい。

 そのせいでもう、首から上はすっかり、茹で上がったタコのように真っ赤である。


 それゆえか彼は、次いでしどろもどろになりながらも、そそくさと話を締めにかかる。


『じゃあ、その、そういうわけだから……

 いやもちろん、機会があればまたちゃんと言う……と思う。

 できるだけ、頑張って……』


 そして恥ずかしさを振り払うように、最後だけふざけるような口調になって、笑顔で明るく別れの言葉を告げてきた。


『では以上、結城悟でした』


 それからすぐ、彼はこちらに向け、手を大きく伸ばしてくる。

 その直後、唐突に流れている映像が途切れた。

 きっと無事に目的を果たしたので、撮影を終了したのだろう。


 それにより完全に暗転し、何も映らなくなった画面を前に、私は――


(あ……ああ……)


 独り、大粒の涙を流していた。

 止めどなく溢れるそれを、抑えることもなくひたすらに。

 心を激しく震わせ、声ひとつ上げられぬ状態に陥りながら。


 なぜなら失ったものの全てを、思い出すことができていたから。


(結城……悟……)


 彼がどんな顔をしていて、喋り方はどうだったのか。

 佇まいはどういう雰囲気で、人柄はどういうものだったのか。

 そして自分が、どれだけその人のことを好きだったのか……


 そう言った記憶が、先のビデオメッセージを見たことにより、自分の中に戻ってきたのだ。

 何ひとつ欠けることなく、胸の内を隅々まで満たすほど大量に。


 結果として私は、揺るぎなく明白に認識する。


(うん……大丈夫。

 ちゃんと、恋してた……)


 自分はきちんと恋をしていたのだ、という確かな現実を。

 事ここに至って、ようやくそれに実感が持てたのである。


 だって記憶と同時に、あらゆる感情も戻ってきていたから。

 相手を求め胸を焦がしたりとか、その一挙手一投足に目を奪われたりとか、そういう心の揺らぎも思い出せていたのだ。

 まるで今も、彼がすぐ側にいるかのような、はっきりとした手応えと共に。


 だから、思うのだ。


 確かに私は、熱くなることが少ない気質だけど。

 恋する乙女なんて、似合いもしない人間だけど。

 しかしこんなにも強く、たった一人の相手を想っていたのだ、と。

 ああ、ああ、それはなんて素敵なことなのだろう。


 その事実がもたらす高揚感で、今の私の心は、ほぼ隙間なく埋め尽くされている。

 最期の瞬間を迎えるのに、これ以上ない状態だ……なんて事を考えてしまうくらい、良い気分なのである。

 これならもう、思い残すことは何も無い……


 ……などと私は、いったんは自分の運命に納得し、それを受け入れかけたのだが――


(……いや、違う! まだ終わりじゃない!)


 一瞬の後、そんな自身の心の動きを否定した。

 身を蝕む怠惰を振り払って、薄れゆく意識を保ち、しっかりと踏み止まったのだ。

 未だ自分に残されている、このわずかな時間を無駄にしないために。


 なぜなら確かに、私の方はもう、ほぼ思い残すことなど無い状態だが。

 しかしこのまま旅立つのなら、大切な友――のどかを後に残していくことになる。

 何もしないで置き去りというのは、あまりに薄情な振る舞いだろう。


 であれば当然、そんな彼女のために、できる限りのことをしなければならない。

 ただ放置していくのではなく、何か意味あるものを残さなくてはならない。

 全てを終わりにするのは、それからだって十分なのである。


 その胸の奥から湧き上がる、友への想いに支えられて――


(うっ……くっ……)


 私は重い体に力を込め、必死に上体を起こして、それから自分の周囲を見回した。

 こんな状態でもできることを、のどかにしてあげられることを、ひとつでいいから見つけ出そうとして。


 するとその結果、教室の後ろの棚に立てかけられた、とある物が目に入ってくる。


(あれは……旗?)


 以前クラスのみんなで制作した、手作りの旗が見えたのである。

 栗原さんの提案により、全員で寄せ書きをした、それぞれの思いが詰まっているあれだ。

 文字通り、この困難な状況を生き抜くための、重要な旗印と言っていい物だろう。


 それを見た瞬間、私の中に、自然とひとつの感情が芽生えてきた。


(あれに……書いておけば……)


 のどかに伝えたいメッセージを、あの旗に書き残しておこう。

 当時は見つけられなかった、あれに記すべき想いが、今ならこの胸の内にあるから。

 そういう衝動が、猛然と湧き上がってきたのである。


 幸いその側には、使えそうなペンも置いてある。

 どうやら願い事を書かなかった人が、後からいつでも書き込めるよう、志藤さんが用意してくれていたらしい。

 すぐ行動を開始すれば、きっと十分間に合うことだろう。


 そう状況を把握した私は、迷うことなく――


(よし……!)


 最後の力を振り絞って、腰かけている椅子から立ち上がった。

 そして重い体を引きずり、今にも倒れそうな足取りで、徐々に例の旗へ歩み寄っていく。

 頼むからもう少しだけ頑張って、と自分で自分の体を叱咤しながら。


 しかし無情にも、目的の物まであと一歩というところで、私は大きくバランスを崩した。

 足がうまく動いてくれず、踏み出す時にもつれてしまったからだ。


(あっ……!)


 結果として体勢を保てなくなり、為す術なく転倒し、そのまま床に倒れ伏す。

 しかもそうなった時にはもう、足に力が入らず、歩くどころか立つことすら困難になっていた。

 どうやらいよいよ、時間切れが近くなってきたらしい。


 おまけに倒れる時、とっさに旗を掴んだせいで、一緒にそれも床に叩きつけてしまっている。

 まあ思いのほか丈夫で、壊れたり裂けたりしなかったのは、不幸中の幸いというところだろう。


 そう安堵しつつ、次いで私は、這いつくばったまま旗を手許に引き寄せた。

 さらに同じく地面に落ちていたペンを掴み、眼前の布地に押し当てる。

 自分の限界はもう間近、という事実に、猛烈な焦りを感じながら。


 しかしその危機感に押され、早速ペンを動かそうとしたところで――


(っ……目が……)


 突如として目が霞み、視界が霧でもかかったかのようにぼやけていった。

 こうなるともはや、手触りでしか周囲の状況を把握できない。

 完全に機能停止寸前、と言っていい状態である。


 それでも私は、友へのメッセージを残すために、必死でペンを走らせていく。

 思い通りに動かぬ体と、次第に狭まりつつある視界に、これでもかと言うくらい四苦八苦しながら。

 まるで乾ききった雑巾から、無理やり水分を絞り出そうとしているかのような有り様だ。


 ただそうやってしばし、すでに風前の灯火とも言える命を使って、最後の抵抗を試みた結果――


(終わっ、た……)


 どうにか無事、自らの想いを書き記すことに成功した。

 すでに皆が寄せ書きを済ませている、巨大な白い布地の上に、欠けるところなくはっきりと。


 無論そこに残せたのは、最低限のメッセージだけなのだが。

 しかし伝えておくべきことは、十分に詰まっている。

 これならきっと、のどかの役に立ってくれるはずだ。

 そう思うと、自分はちゃんとやり遂げたんだ、という満足感を抱かずにはいられない。


 だが次いで、あたかもその瞬間を待っていたかのように、突如全身から力が抜けた。


(あ……)


 そのせいで思わず、握っていたペンを落としてしまう。

 体の方にはもう、それを拾い上げる力すら残されてはいない。

 ずっと感じていた体の重さも、すでに限界を越えているので、今は目を開けることさえ困難だ。


 ゆえに私はそのまま、辛うじて保っていた意識さえも手放し――


(のど……か……)



 大切な友の名を呼びながら、己を呑み込んでいく闇に、心も体も丸ごと食らい尽くされていった……








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