Section-7
更新履歴 21/10/13 文章のレイアウト変更・表現の修正
一歩進むごとに、体にひとつ、透明な重りが載せられていく。
しかもその重りは、決して自分の意志で下ろすことができない。
だからほぼ際限なく、次々に体の上へと積み上がっていく。
あたかもその重みで、私を押し潰そうとしているみたいに。
そういう奇妙な感覚を味わいながら、私――美山涼は、静まり返った学校の廊下を、独り覚束ない足取りで歩いていた。
と言っても当然、実際に重い物を背負っているわけではない。
単純に体が動かしづらく、ひどく重いように感じるので、そんな気分になっているだけだ。
あくまで感覚の話に過ぎない、ということである。
ただし、その不思議な現象の意味するところは、極めて深刻なものだ。
なぜならこれの原因が、私の『本当の体』に、何か重大な異常が発生したせい……と考えられるから。
要は『本体』が怪我をしたことで、同時に脳や神経も損傷し、その機能が著しく低下した。
結果として、仮想空間の肉体を操作するのに、こういう顕著な影響が出てしまっているのだ。
あえて例えるならば、電化製品を床に落として壊した時のよう、とでも言うのが適切かもしれない。
強い衝撃によって故障し、深刻な機能不全に陥ったせいで、動きが悪くなっているのだから。
言い方はかなり乱暴だが、まさしくその通りというところである。
そのきっかけとなったのは無論、先の戦いの最終局面に起きた出来事――格納庫に侵入したステルス自爆機と激突し、その爆発に巻き込まれたことだ。
おそらくあれにより、私の肉体は、こうして意識に影響が出るほどの重傷を負ったのだろう。
もちろん何か、確たる証拠があるわけではないのだが。
しかし他に理由は考えづらいし、また少なからず実感のようなものもある。
自分の肉体はすでに破壊された後、という嫌な感触が、肌にこびりついているのだ。
であればやはり、例の自爆攻撃に巻き込まれた時点で、すでに致命傷だったと考えるべきだろう。
今こうして動けているのは、消えかけたロウソクの最後のきらめき、というところか。
先ほどのどかと話せたのも、きっと奇跡のようなものであるに違いない。
そう己の現状を把握した私は、次いですっかり重くなった頭を巡らし、これから自分が成すべきことを考えていく。
頭が働いている内に、それを決めておかねばならぬと思ったから。
自身に残された、おそらくは最後となる時間を無駄にしないために。
その結果、最初に思いついたのは――
(のどかを……悲しませたくないな)
やはり、なるべくのどかを傷つけたくない、ということだ。
今の私の姿を見れば、必ずショックを受けるはずだから。
ひょっとしたら前の時みたいに、取り乱して泣き叫ぶかもしれない。
そんな事をされたら、こっちも心配で、おちおちあの世にも行けなくなる。
そこで『どうすればそういう悲しい事態を防げるのか』と、しばし頭を悩ませた挙げ句に、私はひとつの結論にたどり着いた。
(一人に、なろう……)
このままどこか、人の来ない場所に移動して、ひっそりと最期を迎えるべきだ。
誰の目にも触れることなく、誰の心に傷を残すこともないように。
のどかを悲しませぬため、今の私にできそうなことが、そのくらいしか思いつかなかったのである。
無論それは、とても寂しく空しい決断であり、できれば選びたくないものなのだが。
しかし他に良い案も浮かばぬ以上、他に進むべき道は皆無だ。
戦場から帰れなかった人達よりは、ずいぶんとマシなわけだし、贅沢を言うべきではないだろう。
そう自分に言い聞かせつつ、私は早速、誰も来そうにない場所へ移動しようとした……のだが――
(少し……難しいか……)
すでにその時には、体にどれほど力を込めても、満足に歩くことすらできなくなっていた。
例の重みがますます増したせいで、足を引きずる程度がやっと、という状態なのだ。
もはやどんなに努力しようとも、ここから遠くに行ける気はしない。
ゆえにすぐさま方針を変更し、その場で辺りを見回す。
移動途中で倒れたりして、誰かに見つかってしまうリスクを下げるため、近場で適当な場所を探そうと考えたのだ。
すると自然に、いつもの教室の入り口が目に入ってきた。
どうやらいつの間にか、すぐ近くまで戻ってきていたらしい。
その慣れ親しんだオンボロのドアを前に、私は即座に決断を下す。
(あそこで……いいか……)
とりあえず教室に移動しておこう、と決めたのだ。
本来なら人が集まるあの場所にも、今は話の流れからして、もうしばらく誰も戻って来ないはずだから。
残された時間を過ごすだけ、という条件で考えれば十分だろう。
その判断に従って、私は重い体を引きずってそちらへ移動、ドアを開けて教室内に進入した。
そしてそのまま、中を歩いて自らの席へと近づき、倒れるようにそこへ座り込む。
たったそれだけの行程で、すっかり力を使い果たしてしまっていたのである。
それゆえ続けて、私は体勢すら保てなくなり、目の前の机に勢い良く突っ伏す。
もう体を起こす力は無いし、なんだか視界も徐々に暗くなってきた。
終わりの瞬間は、刻一刻と迫ってきているらしい。
そんな現実をひしひしと感じながら、私はゆっくり息を吐いて、独りぼんやりと考えを巡らす。
当初の目的であった、人の来ない場所への移動を終えてしまったので、そのくらいしかやる事が無かったのだ。
その際、私が最初に感じたのは――
(これで、終わりかあ……)
自分があまり恐怖を感じていない、という少し意外な事実である。
死が間近に迫っていることを、はっきりと自覚したにも関わらずだ。
なのに不思議と心には、静謐に水を湛える早朝の湖面のごとく、揺らぎひとつありはしない。
原因はたぶん、ひとつに直接的な痛み苦しみが無いこと。
それからもうひとつは、自分が今、非常に強い眠気を感じていること。
それらふたつが、私から現実感を奪い去り、心から恐怖を取り除いてしまったのだろう。
そう、実は今しがた席に着いてから、私は急に睡魔を感じるようになっていた。
もはや意識は途切れる寸前、というところまで追い込まれるくらいの、たいへんに強いものを。
これもおそらく、死期が近づいていることの証明に違いない。
そして現状、それに抗う手段は皆無だ。
今こうして感じている眠気が、この身を永遠の眠りへと誘う、死神の手招きだからだろう。
間違いなく私の意識は、このまま為す術なく、闇へと呑み込まれていくはずである。
言うまでもないことだが、これは私にとって、おそろしく悔しい終わり方である。
だってのどかや他のクラスメイト達、その行く末を見届けることなく、自分だけ退場せざるを得ないのだから。
今後彼らはどうなるのだろう、みんな生き延びられるのだろうか、と心配せずにはいられなかった。
だがそれでも、睡魔と体調不良の二重苦により、すでに身動きひとつとれなくなっていた私は――
(……仕方ない、か……)
やむを得ず、その運命を許容する。
猛然と渦巻く感情の全てを、もはや無意味になったものとして、半ば強引に胸の奥へとしまい込みながら。
そして無念さのみを道連れに、襲い来る睡魔に身を任せ、静かに目を閉じた……
……はず、だったのだが。
(ん……?)
その瞬間、ふと指先に冷たい感触が生じた。
どうやら机の中、教科書などをしまうスペースからはみ出している物に、期せずして手が触れたらしい。
おそらく座った時の衝撃で、中にあった物が飛び出してきたのだろう。
ただ私自身、その正体に心当たりは無い。
まあそれも当然だ、だって私はそもそも、この教室で勉強などしていなかったのだから。
道具自体不要なので、机の中には基本、何も入っていないはずなのである。
とは言え確かに、手には何かの感触がある。
私の知らぬ物が、知らぬ間にここへ入れられていた、というわけだ。
誰が何の目的でそうしたにせよ、どうにも不可解な印象は否めない。
ゆえにほんの少しだけ、それが何なのか気になってきた私は、残された最後の力でそいつを掴む。
それから重いまぶたを開きつつ、その謎の物体を手許に引き寄せたのだが……
次いでそれが、視界に入った瞬間――
(え……? あ……あああ!)
体中にくまなく、電流に似たものが走り抜けた。
本当に雷に打たれたみたいに、全身へ痺れのような感覚が生じたのだ。
おかげであれだけ強かった眠気も、ほぼ完全に吹き飛んでしまっている。
私にそこまでの衝撃を与えた物の正体、それは――
(この……ビデオカメラは……)
骨董品を引っ張り出してきたのか、と思ってしまうくらい古い型の、シンプルで飾り気のない、ハンディサイズのビデオカメラだった。
もちろん、見覚えなどはまるでない。
しかしなぜか、それを見ているだけで――
(何……? 胸が、痛いっ……!)
心臓の辺りを、刺すような痛みが貫く。
またそれと同時に、小刻みながらも強い拍動が始まった。
まるで魂そのものが激しく震え、それと同調して暴れ出したかのように。
消えゆくだけだった命の灯火が、再び生き抜くため燃え盛り始めた、とでも呼べそうな状態である。
そんな自身の変化に、冷え切っていた心を揺さぶられた私は、即座に運命の受け入れを中断する。
ひと息に体を起こすと、例のカメラを両手で掴み、そのディスプレイ部分を開いたのだ。
そして――
(中身を……確認しないと……!)
どうしても気になってしょうがない、その内容を確かめるため、本体のスイッチを入れた――




