Prologue
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箱入り娘、なんて言葉がある。
まるで箱へ入れたように、可能な限り外界との接触を避け、大事に大事に育てられた女の子……という趣旨の言葉だ。
親に大切にされていた、という意味で考えれば、良い表現だと言えるのかもしれない。
ただしそれは、あくまでも一面的な見方である。
実際は世間知らずとか常識が無いとか、あるいは著しく過保護に育てられた人、という文脈で使われることが多いのだ。
基本的に悪口、と言い切ってしまっていいだろう。
私――望月和歌は、他人にそういうイメージを抱かれることが多かった。
はっきり言われることはなくとも、何となく周りからそんな扱いをされるのだ。
別段、高貴な生い立ちというわけでもないのに。
もちろん、とても嫌だった。
その言葉が耳に入るたび、自分に対して向けられたものでなくとも、少なからず気持ちがざわついてしまうほどに。
だってその表現には、相手を仲間外れにしているような、あるいは子ども扱いしているような印象があったから。
お前は何もできない人間だ、と言われている気がして、ひどく落ち込むのだ。
それは悩み事としては、比較的些細なことなのかもしれないが、私にとっては深刻な問題だった。
だから、いつも思っていた。
私は箱入りなんかじゃない、私にだってできることはある、と。
抗議と言うか反抗と言うか、とにかく他人の評価に対し、内心逆らうような気持ちがあったのだ。
自分はそこまで子どもじゃないし、感性だって普通に近い、と強く信じていたから。
でもどうやら、その認識は間違っていたらしい。
実のところ、私が普通だと思っていたものは、みんなにとって普通でないものだったようなのだ。
有り体に言えば、価値観が大きく異なっていた、ということである。
私がそう思うようになったきっかけは、主に友達と話している時に、共感を得られる機会が少なかったこと。
意見が合わないと言うか、話が噛み合わないと言うか、とにかく感性がフィットしなかったのだ。
例えば本や映画の感想が、みんなと少し違っているとか。
好きな物の話をすると、揃って首を傾げられてしまうとか。
素直な気持ちを口にして、眉をひそめられたことさえある。
自分を少数派だと感じ、心理的な壁が生まれる機会は多かった。
それで次第に、私は自信を失っていった。
自分はみんなと違う、考え方や感じ方がズレているんだ、という自覚が芽生えてしまったから。
その感覚は、私の心の奥底に、決して抜き取れぬほどに深く食い込んでいった。
結果としてそれらは、私の性格や行動にも影響を与えた。
変なことを言ってしまわぬよう、周りを良く観察しながら、いつだって慎重に振る舞うようになったのである。
具体的には、人と話す時は聞き役に回り、極力自分の話をしないで済ませたりとか。
気分が盛り上がって口を滑らさぬよう、常に落ち着くことを心がけたりとかだ。
そのせいでますます、『お嬢様っぽい』と言われる頻度が増えたのは、まさしく皮肉と表現するしかない現象だろう。
そんな私が唯一、心を許せる相手と言えば、小学生の頃から仲の良いスズだけ。
彼女はどんな時も、私をからかったり、馬鹿にしたりしなかった。
何も言わぬまま、優しく見守ってくれていたのだ。
その理由を本人は、『私も色々ズレてるから』なんて風に、ちょっと照れながら言っていたが。
何にしても、有り難いことに変わりはない。
おかげで私は、自分の有りようを否定せずにいられたのだから。
もちろんそういう自分を、少なからず情けなく思ってもいた。
こんなにスズに頼りきりでいいのかな、それってすごく箱入りっぽいんじゃないのかな、と感じてはいたのだ。
これは改善すべき状況である、と頻繁に考えるくらいはっきりと。
もっとも結局、具体的な行動は起こさなかった。
相も変わらずスズ頼みの、それこそお姫様、と揶揄されても仕方のない状態でいたのだ。
何をすればこういう自分が変われるのか、見当もつかなかったせいで。
そんなぼんやりした日々こそが、私にとっての日常だった。
そういう風に、巣で親を待つ雛鳥のごとき、他力本願な生活を送っていた頃である。
『彼』が、私の前に現れたのは。
出会いは確か、高校に入って間もない時分だったと思う。
スズの元クラスメイトだったとかで、偶然知り合いになったのだ。
ただ最初は、正直ちょっと苦手だった。
彼にはどこか荒っぽいと言うか、何となく無神経そうな雰囲気があったから。
スズからも悪評を聞いていたし、実はあまり積極的に関わりたくない、とさえ思っていた。
そんな敬遠気味の相手を、なぜ私が意識することになったのか。
それはとある雨の日に、学校の玄関で起きた、ひとつの出来事が原因だ。
私はその時、彼の意外な行動を目撃、そこから急速に惹かれていったのである。
その運命の日は、『昼までは晴れていたのに、夕方から急に土砂降りの雨が降り出す』という、荒れ模様の天気だった。
そんな中で下校時刻を迎えた私は、折り畳み傘を手に玄関へ向かい、そこで同じく帰宅途中の彼と遭遇した。
とは言え当時の私は、まだ彼と親しくなく――まあ今もそうだが――直接話すのにかなりの気後れがあった。
なので向こうがこちらへ気づいてないのをいいことに、素早く距離をとって身を隠した。
会わずにやり過ごそうとした、ということである。
だがそんな私の目の前で、不意に彼はピタリと動きを止めた。
じっと固まったまま、出入り口の方を見つめるだけになったのだ。
その振る舞いを不思議に感じた私は、すぐ彼の視線の先に目を向けた。
するとそこには、雨粒が際限なく落ちてくる曇天を見上げつつ、独り途方に暮れる彼の友人の姿があった。
きっと急な夕立に阻まれたのに、傘を持っていなかったので、為す術なく立ち往生していたのだろう。
ただし、それを眺めるあの人の手には、大きめの折り畳み傘があった。
それを二人で使えば、無事濡れずに帰宅が可能、というわけだ。
ゆえに当然、私は彼が、自らの友人にそう提案するだろう……と、思い込んでいたのだが。
しかしそんな私の予測を、次いで彼はあっさりと裏切った。
直後になんと、その折り畳み傘を、自らの鞄にしまい込んだのだ。
まるでそれを、友人の目から隠そうとしたみたいに。
そしてそのまま、立ち尽くす友人に歩み寄り、何事も無かったかのように話しかけた。
『ようサ――。ピンチじゃないか。お前らしくない』
友人はそれに応じて、ごく当たり前の質問を返したのだが――
『ああ、カ――。
うん、今日はちょっと、傘持ってくるの忘れちゃってさ。
そっちは?』
そこに彼が返したのは、思いもかけない驚くべき答えであった。
『ふっ……俺がそんなに用意周到だと思うのか?』
なんと彼、妙に芝居がかった言い回しで、雨具の所持を否定したのだ。
先ほどは間違いなく、折り畳み傘を手にしていたというのに。
しかもその発言に、呆れた様子で応じる友人と――
『自慢げに言うことじゃないと思うけど……
でもそうか、カ――も持ってないのか。
参ったな……どうしよう?』
私の予想を遥かに超えた、意味不明とも思えるやり取りを始めた。
『そりゃあもちろん、強行突破だろう』
『……本気? この雨だよ?』
『大丈夫だ。雨に打たれても人間は死なない』
『風邪は引くと思うんだけど……』
『問題無い。自分の免疫機能を信じるんだ』
『それは問題無いって言うより、解決する気がないだけなんじゃ……
ああ、もう完全にやる気だね、しょうがないな……』
『よし、じゃあ行くぞ! 突撃ぃー!』
『ちょっと待って! せめて鞄! 鞄を傘がわりにしようよ!
――トーっ!』
そして二人、降りしきる雨の中を、ずぶ濡れになりながら駆け抜けていった。
本来なら避けられるはずのものを、わざわざ自分から浴びにいったわけだ。
もちろんそれは、私には全く理解も共感もできぬ、不可解極まりない行動だったわけだが。
しかしそれゆえに、深く心へ刻み込まれもした。
あまりにも予想外過ぎて、二度と忘れられなくなってしまう、というほどに衝撃的だったのである。
だから自然と、彼がなぜそうしたのかについて、真剣に考えるようになった。
あまりに意味不明なその行動の理由を、何とか知りたいと願ったのだ。
好奇心とはどこか違う、謎めいた強い衝動に、心も体も突き動かされながら。
もっとも、その答えは思いの外あっさりと出た。
相談したスズに、『単に、二人でひとつの傘を使うのが恥ずかしかっただけでしょ』と、すんなり謎を解明されてしまったから。
言われてみればその通りの、何とも拍子抜けな結論であった。
ただそれでも、私は彼の行動の中に、気恥ずかしさとは別の感情を見出していた。
本来なら苦しいだけの出来事を、むしろ明るい思い出に変えてしまおう、という前向きな意志を感じたのである。
だって私の目には、彼が自らの選択を、心底楽しんでいるように見えたから。
また実際に、向き合うことが面倒なだけのトラブルを、面白おかしく突破してしまっていたから。
呆れながらも笑顔を浮かべる、彼の友人の表情を見れば、それは明らかな事実だろう。
つまりは例え、大きな困難が目の前に立ちはだかっても、決して明るさを失わない。
嫌がり遠ざけるでもなく、うまく解決しようとするでもなく、笑顔でまっすぐその中へ飛び込んでいく。
私は彼が、そういうすごく立派なことをやってのけたんだ、と感じたのである。
あるいはパートナーを孤独にしないよう、共にその苦難を背負い込んで、手を取り合いながら敢然と立ち向かった……と言い替えてもいいだろうか。
まるで二人なら必ず乗り越えられる、と信じているかのように。
いや、きっと本当に信じているのだろう。
その情熱に影響されて、相手もまた同じ感覚に陥ってしまうほどに、強く強く。
彼ならどんな高い壁も、そのエネルギーでぶち破ってしまうのではないか、とさえ思えた。
だから私は、そんな二人が眩しかった。
彼と共に歩める、彼の友人が羨ましかった。
自分があの立場だったらどんなに幸せだろう、と思わず夢想してしまうくらいに。
それこそ私があの人を、『特別な相手』として意識した瞬間だった。
そう感じたのはきっと、臆病な自分を変えたい、と私が願っていたからだろう。
それで強引なほど積極的に、新たな世界へ駆け出していく彼へ、猛烈な魅力を感じたのだ。
その想いだけは、他の記憶のように薄れることなく、今も私の胸の中に息づいている。
でもやっぱり、それも変な理由なのだろうか。
私が世間知らずで、箱入り娘だから、そう感じてしまうのだろうか。
ひょっとしたら単なる憧れであり、恋愛感情でさえないのだろうか。
私はその可能性を、自分への自信の無さゆえに、否定することができなかった。
ただ、仮にそうだったとしても。
その考えが揺るぎない事実であり、この感情が幼稚なものだったのだとしても。
それでも、私は――
(すごいなあ……木―君は)
あの人の強さとまっすぐさに、心を惹きつけられずにはいられなかった……




