Interlude
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彼と出会い、恋をして以降、私の振る舞いは明確に変わった。
具体的には、無闇やたらと大人に逆らわないようになった。
仮に説教されても、反抗的な態度は取らず、基本は黙って聞いておく。
それに理不尽な要素が交じっていても、よほどひどくない限りは我慢する。
そういう風に、周りとの接し方を改めたのだ。
もちろんそれは、周りの大人達を認めたからではない。
薄っぺらい処世術を身につけた、とかそういう話でもない。
単に、彼に嫌われたくない、と願うがゆえの行動である。
だって、そうだろう。
いつだって周囲に反抗し、軋轢を生み続ける人間なんて、普通は側にいて欲しいと思わない。
それを理由に敬遠されるのが嫌なら、どうにか感情を律するしかないのだ。
動機としては、それが非常に強かった。
また別に、見栄を張ったというのもある。
好きな人の前でみっともないことはしたくない、子どもじみていると思われたくない、みたいに。
私だって、人並みの虚栄心というものを持っていたから。
そんな理由で、今まで絶対に無理だったこともできてしまう辺り、中々に単純なものである。
そうして私は、抱えていた人間関係の問題に、一応の着地点を見出した……わけだが。
もちろんこんな場当たり的な対策で、事態が根本的に解決することはなかった。
相変わらず説教は良くされたし、生意気と指摘されることも多かったから。
要は周囲の自分への評価には、あまり変化が無かったわけだ。
これはあくまでも、自分の方がほんの少し我慢強くなった、というだけの話なのである。
それでも、『どうしてこんな事になるのか』がはっきりした、という点はすごく大きかった。
必ずしも自分だけの問題ではない、と理解できて、気持ち的にずいぶんと楽になったのだ。
闇深き地下迷宮を散々さまよった後、ようやく明るい地上に出られた、みたいな状態とも言えようか。
また、『彼が自分を理解してくれている』という事実も、非常に強い支えとなった。
その存在が、『自分の頑張りを誰かが見てくれている』ような感覚をもたらし、精神的な負担を軽くしてくれたのだ。
ちょっと恥ずかしい言い方になるが、見守られているような気持ちになっていた、と表現してもいい。
無論、それはあくまでも、こちらの一方的な思いなのだが。
そのおかげで、色々な理不尽に耐えられたのは事実だし、やはり彼には感謝しかない。
いずれにせよ、周りと争うばかりだった頃と比べれば、格段に進歩したと言えるだろう。
ただそうして気持ちが落ち着き、周りを見る余裕も出てきたせいなのか。
私はそれを境に、また違う問題に悩まされることとなった。
具体的には彼の交友関係――オブラートに包まず言えば、女性関係が気になってきたのである。
無論私自身は、愛がどうとかいう柄でもなし、恋人になりたいなんて願望は――世間一般的と比べれば――ほぼなかったのだが。
それでも向こうに意中の女性がいるのか、いるのならそれはどんな人なのか、みたいなことには関心があった。
さすがにそういう相手がいたら、好意を寄せている以上、少なからずショックを受けるだろうから。
もっとも幸い、そういう気配は一切無かった。
彼はもっぱら男友達と過ごすばかりで、周りに女性の影は見て取れなかったのだ。
私はそれがわかった時、想像していた以上に自分が安堵したのを覚えている。
とは言えそれは本来、私などには全く関係の無い話である。
自分のような厄介者が、彼の恋愛対象に含まれているはずなどないのだから。
正直、まともに視界へ入っているかすら怪しかった。
基本的に男性が好むのは、やはりのどかのようなタイプの女性だろう。
だって性格は素朴で純真、物腰は穏やかでおとなしく、そのうえ見た目は可愛らしくて清楚……と、見事に三拍子揃っているのだから。
色んな意味で完璧であり、ほぼ男子の理想というやつではないだろうか。
もちろんそれだけでなく、ちょっと天然なところも魅力的だし、きちんと気遣いができるところも素敵だし、反応が素直なところも可愛いし、家事だって年の割には得意だし、あとああ見えてスタイルも……
……まあとにかく、彼女はそういう、とてもチャーミングな女性なのだ。
逆に私は、一番敬遠されやすいタイプのはずだ。
無愛想で反抗的、頑固で当たりも強く、他人に従うという発想がそもそも希薄だから。
そんな相手を伴侶に選ぼうだなんて、よほどの変わり者か変態である。
私とのどかが並んでいれば、百人中百人までが、彼女に好意を抱くことだろう。
一応それが不安で、のどかの気持ちを確認したこともある。
彼に対してどういう印象を抱いているか、それとなく問いかけてみたのだ。
今にして思うと、かなり恥ずかしい行動だが、まあ当時は必死だったので仕方ない。
ただし私の、そういう入れ込み具合とは裏腹に、彼女の返答は実にあっさりしたものだった。
『――君のことをどう思うか……?
ええと……優しいのはわかるけど、ちょっと頼りないような気がするかな。
どうしてそんなこと聞くの?』
ほぼ眼中に無い状態と言うか、そもそも男性として意識してないような口ぶりだったのだ。
私が心底安堵し、胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
……まあ一方でちょっと、のどかの容赦ない物言いに、軽く傷ついたりもしていたのだが。
心根がピュア過ぎて、たまに発言が毒を含んでしまうのは、あの子の数少ない難点である。
しかし頼りない、というのはいささかひどい言い草であろう。
スパッと私の悩み事を言い当てたり、結構頼れるところもあると思うのだが。
のどかの求める頼りがいとは違う、みたいな意味なのだろうか。
まあ彼女が好意を寄せている相手を思えば、感性にズレがあるのも納得なのだが。
そう、のどかと私は、異性の好みに大きな隔たりがあるのだ。
彼女が私の想い人を評価しないように、私も彼女の想い人を良く思ってはいなかった。
はっきり言って、嫌いだったと表現してもいい。
もちろん記憶がおぼろげだから、詳しく何が嫌いだったのかは不明である。
それでも、『本当にろくでもないやつ』とか、『なんでのどかはあんなやつが好きなの?』とか、頻繁に思っていた気はする。
よほどそいつに対して、私は苛立っていたらしい。
ただ不思議と、他の男子のように、生意気だなんだと言われた記憶は無い。
むしろ対等な立場で、ずっと喧嘩していたような雰囲気なのだ。
何となくだが、同類の臭いを感じて、それが気に入らなかったというような印象も……
……あった気はするが、まあそれはいい。
とにかくそうして、みっともなく振り回されてしまうほど、私は彼に執着していたのである。
とは言えそれは、あくまで過去の話。
まだ私が、こうも異常な状況ではなく、普通に生活していた頃のエピソードなのだ。
実を言えば現在、その感情はどこか曖昧で、当時と比べてひどく遠いものとなっている。
なぜなら彼についての記憶が、私の中で極端に薄くなっているから。
その声はおろか、顔すらはっきりとは思い出せなくなるほどに。
つまり今の私は、自分の恋した相手がどんな人であったか、ほとんど忘れてしまっているのだ。
それゆえ今は、心に残る自分の思い出を、まるで漫画か小説で読んだ話のように感じてしまう。
何があったかは覚えているのに、そこにどんな人がいたかの記憶は無いので、やたらと現実感が希薄なのである。
無論それは、私にとって、とてつもなくショックな出来事であった。
だって私は、らしくもなく心を乱すくらい、彼が好きだったはずなのに。
自身の渇望を満たされ、運命だと感じるほど想っていたはずなのに。
その相手を忘れるなんて、恋心自体が嘘だったみたいではないか、と感じてしまっていたから。
無論これが、『順化調整』とやらの影響によるものだとはわかっていた。
外部からの操作で、無理やり忘れさせられたに過ぎない、ということはきちんと理解していたのである。
ただのどかの話を聞く限り、私はその影響が、他の人よりも強く出ているらしい。
自らの想い人の記憶さえ、満足に留めておけなくなるくらいに。
私にはそれが、自分の恋心がとても弱いものだったという事実の、明確な証明のように思えた。
だから私は、のどかを強く羨んだ。
自分には大切な人がいた、と言い切れる彼女に、激しく嫉妬せざるを得なかったのである。
その凛々しい姿を見るたび、ひどい息苦しさを覚えてしまうほど猛烈に。
それが決して、自分にはできぬ行為だと知っていたから。
そのせいでつい、つまらぬ想像さえした。
ひょっとするとこの記憶は、妄想の類いではないのか、と。
ただの夢や憧れを、現実に起きたことと勘違いしているだけではないのか、と。
だからこそこうも、あっさり忘れ去ったのではないか……と、そんな考え方さえしてしまったのだ。
そしてその妄想を、はっきり否定することもできない。
確かな思い出を持たぬがゆえに、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすこともできない。
それを可能とするだけの自信が、今はどうしても湧いてこない……
ああ、本当に……本当に、私は――
恋なんて、していたのだろうか?




