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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-07 『White knight』
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Interlude

更新履歴 21/10/9 文章のレイアウト変更・表現の修正


 その人は、何というか……とてもふわふわな人だった……気がする。



 見た目という意味では、髪に少しクセがあって、全体の印象がどこかふわっとしていた。

 言動という意味では、口調や声音が穏やかで、その内容も優しげなものだった。

 そして性格という意味では、争いを好まず、いつも一歩引くような振る舞いをしていた。

 そんな温かさと軽やかさが、『ふわふわ』というイメージの原因になったのだ……と思う。


 そう、彼にはそういうところがあった。

 男性にしては弱々しいような、いやむしろ包容力があって大きいような、そんな不思議な人だったのだ……たぶん。


 そんな彼と、私が初めて会ったのは、いったいいつのことだったか。

 何かきっかけがあったような、誰かが仲介になったような、そういう気もするのだが。

 実のところ、ほとんど覚えてはいない。


 ただひとつ確かなのは、特に親しい間柄ではなかった、ということ。

 一応顔見知り、というくらいのひどく薄い関係性だった……はずだ。

 まあ要するに、私と彼には、さしたる繋がりなど無かったのである。


 そういう一般的な関係に、変化が訪れるきっかけとなった事件。

 それはとある何の変哲もない一日に起きた、ほんの些細な彼との会話だ。

 そこを境にして、私の彼に対する印象は激変し、また私自身も大きな心の転換点を迎えた。


 その日、私はいつものように大人から説教を食らって、ひどく鬱屈していた。

 だからそういう気持ちを溢れるほどに抱えながら、独り学校の廊下を歩いていたのだが。


 そこで不意に、彼と鉢合わせした。


『あ……美山さん』


 最初は正直、その偶然をすごく億劫に感じた。

 面倒な事になったな、とため息でもつきたい気分を抱いたのである。


 なぜなら私自身が、同級生の男子というものを、全般的に苦手としていたから。

 あいつらは大抵、何かにつけて突っかかってくるので、相手するのが非常に面倒臭いのだ。


 ちなみに彼らが絡んでくるその理由も、やはり『生意気だから』らしい。

 私の態度や言動が気に障る、それがトラブルの原因だ、と彼らは主張していた。

 面と向かって、あるいは陰口で、繰り返し執念深く。


 もちろん私は、その主張に一ミリも納得はしていなかった。

 だって同い年であるのなら、『生意気』はあり得ない感覚だから。

 それは本来、上下関係があってこそ発生する感情だし、どう考えても理不尽な言い様である。


 まあおそらく彼らは、勝手に自分のことを上だ、と認識していたに違いない。

 だからそれに当てはまらぬ私と接して、勝手に自尊心を傷つけられ、勝手に怒りを感じていたのだ。

 そんな状態ゆえ、当然そういう連中との争いが絶えることはなかった。


 そういった事情から、私は同じ年頃の男子と、たいへんに相性が悪かった。

 できれば顔も見たくない、と常時思うほどに。

 それで彼とも、まともに話そうという気持ちが湧かなかったのである。


 ただし別に、彼自身と争いになったことはない。

 そして当たり前だが、偶然会った顔見知りを無視、というのも気が引けた。

 そのくらいの分別は、私にだってあったのだ。


 そこで無難に、一言二言会話を交わし、そのまま立ち去ろうとしたのだが。

 しかし彼は、そんな私とのやり取りの後、急に不思議そうな声を上げ――


『あれ……?』


 ひどく気遣わしげな声音で、なぜだかこちらの体調を心配してきた。


『なんだか、少し顔色が悪い気がするけど……

 どうかした? 何かあったの、美山さん?』


 そしてその発言に、突然何を言い出すんだと訝しみつつ、短く答えた私の内心を――


『別に……何もないよ』


 実にあっさり、おそろしいほど正確に言い当てた。


『そう? なんか嫌な事を言われて気分が落ち込んでる、って感じに見えたんだけど……』


 私は心底、その指摘に驚かされた。

 だってこれまで他人からは、表情が読みにくいとか何を考えてるかわからないとか、そういう風に言われることが多かったから。

 精神状態を見抜かれる、という経験自体、ほぼ皆無だったのである。


 その衝撃から、思わず言葉を失った私を見て、彼はなぜか突然弱気になった。


『あ……ごめん、急に変なこと言って』


 どうやらこちらが機嫌を損ねた、とかそんな風に受け取ったらしい。

 ちょっと気にしすぎな反応だが、まあそういう性格だったのだろう。

 もちろん私は、すぐさまそれを否定した。


『……特に、変ではないと思うけど』


 すると彼は、まるで大好きな親に褒められた少年のように、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。


『そう? 良かった』


 その年齢に似合わぬ素直な反応に、私の心は大きく緩んだ。

 胸の奥で複雑に絡まっていたものが、自然に解きほぐされていくのを感じたのだ。

 彼の物腰の穏やかさに、気持ちを強く引っ張られたかのように。


 それが影響したのか、次いで私は、自分でも驚くような行動に出てしまった。


『……生意気なんだってさ』


 先の発言の後、すぐ別れの挨拶に移ろうとした彼に向け、急に愚痴をこぼしてしまったのだ。

 しかもさして親しくもない、同じ年頃の男子を相手に、堰を切ったと例えるに相応しい勢いで。


『私、よくそういう風に言われるんだ。

 態度が悪い口が悪い性格が悪い、だからすごく生意気だって。

 親とか先生とかの、周りの大人に。

 私自身は、そんなつもり全然ないんだけど』


 もちろん私にとっては、珍しいと言うか、ほぼ経験の無い事態である。

 おそらく鬱屈が度を越して、誰かに不満をぶちまけずにはいられなかったのだろう。


『だからいつも、そのせいで説教されて、そのあと喧嘩になったりする。

 さっきもそれがあって、すごくイライラしてた。

 自分でも嫌だし、何とかしようと思ってるんだけど、中々うまくいかないんだ。

 ホント、何でこういうことになるのかな……』


 そうした事実に、さんざん喋り倒してから気づいた私は――


(……何言ってんだろ、私)


 当然のように、激しく後悔した。

 いくら語ったところで、わかってもらえるはずなどない。

 単に面倒な奴だと思われ、引かれてしまうだけだ。

 自身の無思慮な行動を振り返って、そう心底呆れ果てたのだ。


 それゆえすかさず、その無益な行いを止め、話を切り上げようとしたのだが――


『ごめん、今の話は忘れ……』


 しかしそれよりも早く、彼は私の独白に反応し、予想外の返答をしてきた。


『……それはきっと、怖かったからだよ。

 たぶんみんな、美山さんに無視されるのが怖かったんだ』


 そしてそれに驚く私をよそに、やたら熱心に自らの考えを語り続け――


『美山さんは、ほら……その、何て言うか……すごくカッコいいから。

 迷いがなくしっかりした人、っていうイメージがあるからさ。

 そういう人に否定されるのは嫌だ、絶対に見下されたくない……っていう気持ちが、みんなの中にはあったんだと思う。

 強い人に自分を否定されるのは、すごく辛いことだからね』


 最終的に、私の価値観を激変させるほどの、衝撃的な解釈を提示した。


『だからみんな、何とか美山さんに勝とうとした。

 色んな手段を使って、自分の方が上なんだと示そうとした。

 それができなければ、自身の立場や価値観を脅かされてしまうから。


 まあそんな言い方をすると、ちょっと大げさな感じもあるけど……

 でもやっぱり、みんな美山さんのことを、心のどこかで怖がっていたんだよ。

 僕は臆病な人間だから、そういうのはよくわかるんだ』


 それはつまり、怯えていたという意味だ。

 私に説教した大人達が、説教相手の私に否定されることを。

 私が自らの価値観を脅かされるのを恐れ、意固地になっていたのと同じように。


 確かに、理屈としてはわからなくもない。

 説教と言うのはつまり、自分が正しいと思う価値観を、相手に押し付けることである。

 なればそれを無視されるのは、自分自身が否定されるのと同じ。

 当然自尊心も傷つくから、怯えを感じるのも無理はない、というわけだ。


 実際、思い当たる節も多い。

 彼らは皆、私の反抗に対し、感情を制御できなくなっていた。

 いつもより振る舞いが粗暴になったり、ひどく強引な理屈をこねたりしていた。

 それも自分の心を守るため、と解釈すれば辻褄は合うわけだし、十分筋の通った推論と言えよう。


 無論あくまでも、相手は年を重ねた大人であり、こちらは二十にも満たぬ子どもなのだが。

 精神年齢という点において、本来は大きな開きがあるはずで、対等な喧嘩など起きるはずない間柄なわけだが。


 しかし一方、大人であれば子どもを恐れぬ、という道理も無い。

 むしろ子どもだからこそ、叛逆を許せなかったのかもしれない。

 本来は教え導くべき対象だからこそ、ないがしろにはされたくなかったのかもしれない。

 それは何よりも、自身の尊厳を傷つけられる事態だから……


 彼の指摘により生まれた、今までの認識を大きく覆す考え方の数々。

 その全てに、私は文字通り、世界がひっくり返ったような衝撃を受けた。

 頭の中が真っ白になり、あらゆる思考が停止してしまうくらい、心を揺さぶられたのだ。


 そんな状態に陥った私を、また機嫌を損ねたと勘違いしたのだろう。

 彼はひどく動揺した顔で、また弱気な謝罪してきた。


『あ……ごめん、事情をよく知らないのに、勝手なこと言っちゃって。

 それに全部、僕がそう思っているだけの話だし。

 良くないよね、こういうの』


 しかもその呼びかけに、心中の乱れっぷりゆえ、うまく応じられなかった私に向け――


『そんな事はない……けど』


 ますます縮こまりながら別れを告げ、そのままそそくさと立ち去ってしまった。


『あの、えと、じゃあ僕はこれで。

 変なこと言ってごめんね』


 何か言いたいのに、何を言ったらいいのかわからない、という状態の私を置き去りにしてだ。

 目の前の相手の価値観を、根本的に変えるような発言をした、という自覚は全く無いようだった。

 謙虚なのか弱腰なのか、あれだけのことをしておいて、何とも不思議な人である。


 ただそうして彼を見送った後、私はふと、自分の体が妙に軽くなっているのを感じた。

 ずっと背負っていた重荷を下ろしたと言うか、あるいは四肢を縛り付けていた鎖が千切れたと言うか、なぜだか突然そんな状態になっていたのだ。


 私はその理由を、自分の胸の内を理解してもらえたからだ、と推測した。

 彼が闇に埋もれた真実を見つけ出し、枷となる悩みを打ち払ってくれたからこそ、こうも体が軽くなった……と考えたのである。

 同時に心の方からも、すっかり重さが消え去っていたし、その解釈は間違っていないと思えた。


 そんな自らの心境の変化により、私は初めて気がついた。

 自分が他人に、心の内をわかって欲しかったのだ、と。

 抱える悩みを理解し、優しく気遣って欲しかったのだ、と。

 単に無理と諦めていただけで、願望が失われたわけではなかったのだ。


 そんな私の願いを、彼は何よりも的確に、誰よりもスマートに叶えてくれた。

 前触れもなく現れて、閃光のように一瞬で、美しさを感じるほど鮮やかに。

 それは思わず、めまいすらしてくるほどの衝撃だった。


 だからか私は、激しい心臓の高鳴りを覚えた。

 経験のない感情が、体中を駆け巡るのを感じた。

 滅多にないそれは、滅多にないことだからこそ、胸の内を埋め尽くしていったのだ。


 そう、つまり私は――



 その瞬間、恋をしたのだ。



 日頃は冷たく、浮つくことの少ない心が、猛然と燃え盛ってしまうほどに熱く。

 どこで何をしていようとも、不意にその姿を、頭にはっきり思い浮かべてしまうくらいに強く。

 それは決して消えることはない、と本気で思える、煌々と輝く恋心であった。


 ゆえに私はそれ以降、その沸き立つ恋心に、日々翻弄されていくこととなった。

 やたらと揺らぐ感情に戸惑ったり、らしくない己を笑ったり、時にはどうしようもなく傷ついたり。

 今までとは全く違う、そんな浮き沈みの激しい生活が訪れたのである。


 それは当然、普段は感情の起伏が少ない私にとって、思ってもみない事態ではあったのだが。

 ただしそれでも、そんな自分を、意外に悪くないと思っていた。

 どれほど心掻き乱されようとも、決して辛いだけではなく、どこかに満足感を覚えていたのだ……





 ……ああでも、それなのに。


 当時はそこまで強く、彼のことを想っていたというのに。


 取り憑かれたかと感じるほど、胸の内を占有されていたというのに。


 それさえ叶えば後はどうだっていい、と本気で思いさえしていたのに。



 だと言うのに、今の私は――








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