Epilogue-B
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教室に響き渡る、クラスメイト達の明るい声。
彼らが浮かべる、解放感に溢れた笑顔。
それらがもたらす、穏やかで和やかな空気。
その幸福に満ちた空間の中で、私――志藤明は、独り寂しさを噛み締めていた。
胸の奥で静かに暴れる、心臓を引き裂かれるような痛みに耐え忍びながら。
なぜなら眼前の光景が、はっきりと突きつけてくるから。
私にはもう、彼らのように喜びを分かち合う相手などいないのだ、と。
かつては間違いなく、すぐ側にいたはずなのに。
そういう感覚が、絶えず心を責め苛むので、素直に勝利の余韻を味わえぬのだ。
もちろん表向きは、何事も無かったかのように振る舞っているのだが。
内側はいつも、拭えぬその痛みに悶え続けている。
喪失の苦しみは、未だ癒えてなどいないのである。
そんな私の脳裏に、ふと浮かんでくる、戦いの前に聞いた栗原さんの言葉――
『だって寂しいじゃん! 忘れられちゃった人が!』
『私は絶対やだ!
ミッキーに忘れられちゃうなんてやだ!
だからミッキーのことも忘れたくない!』
それはさらに鋭く、私の胸を突き抉った。
奥まで根こそぎ掘り返して、感情を丸ごと抜き取ってしまうのでは、と思うくらいに深く深く。
気を張っていなければ、その痛みで大声を上げていたかもしれない。
なぜならその言葉によって、逃れようもなく再認識させられたから。
自分がそれまでずっと、自分の都合しか考えていなかったことや、失った人の想いを、一切気にもかけていなかったことを。
だって、そうだろう。
私は最初、喪失の痛みに怯えるあまり、その相手を忘れた方がいいと思ったのだ。
記憶が消えてしまえばむしろ、自分は楽でいられると考えていたのだ。
忘れられる側の気持ちには、何ら思いを巡らすことのないままに。
無論それは、非常に自分本位な考え方である。
大切な人の気持ちを完全に無視した、極めて薄情な行動である。
そのことを確認するたび、罪悪感で身悶えせずにはいられない。
本音を言えば、またあの保健室に戻って、ずっと心を閉ざしていたい……とさえ思う。
だがそうして、絶えず激しい後悔に苛まれていても。
その自責の念がもたらす苦しみに、心を千々に引き裂かれていても。
それでも私は、固く決意していた。
(でも……逃げたりは、しない)
そこから決して目を逸らすことなく、全てを受け入れよう、と。
どれだけ辛かろうとも、背を向けずその痛みに耐え抜こう、と。
そう、心を定めていたのである。
だってもし、栗原さんが言ったように、忘れられることが辛いのなら。
逆に覚えていることは、忘れられた人にとって嬉しいことのはずだから。
ずっと忘れずにいることが、その人の救いになるはずだから。
例えそれが、遠く微かな記憶であったとしても、確実に価値は存在するのだ。
だからこそ、この痛みに耐えようと決めたのだ。
そうすることで、この悲しみに意味を与えようと決めたのだ。
消えてしまった誰かへの、自分にできる精一杯の手向けとして。
今も胸を貫く、この和らがぬ痛みと引き換えに。
それにもし、今また逃げたとしても、きっと苦しいのは変わらない。
むしろ逃げた分だけ、罪悪感は大きくなることだろう。
ならばせめて、せめて意義のある苦しみの方を選ぼう――そういう意志だけが、今の私を支えていた。
ただそこでふと、そんな私の悲壮さを憂いたかのように――
(……え?)
胸の奥から、ひどく優しげな、懐かしい声が蘇ってくる。
『それと、僕のことは気にしないで。
アキラちゃんはいつも、アキラちゃん自身がやるべきだ、と思ったことだけ考えていて欲しい。
たぶんそれが、一番みんなのためになると思うから』
それはすぐさま、傷ついた私の心に染み渡り、和らがぬはずの痛みを和らげていく。
まるで誰かに抱き締められて、優しく慰められたかのような気分だ。
どうやら不意に、消えたはずの記憶が、ほんの一部だけど戻ってきたらしい。
となるとおそらく、これは私が忘れてしまった、私の大切な人の言葉だろう。
どんな状況でなのかは不明だが、こちらの負担を軽くするため、そう告げてくれたことがあったようだ。
その印象としては、何と言うか……たいへん献身的、という雰囲気である。
どうもこの言葉をかけてくれた人は、とてつもないお人好しだったらしい。
まあ私みたいな、情緒不安定な人間の側にいてくれた相手なら、それで当たり前なのかもしれないが。
とは言え当然、この解釈には何の証拠も無い。
苦しみから逃れるため作り出した、自分だけの都合のいい妄想、という可能性も否定できないのだ。
現在の私の精神状態を思えば、そういうことがあっても不思議はないだろう。
しかしそれがわかっていても、全身をくまなく包み込む、この温かな感覚が消えることはない。
その優しく献身的な誰かが、傷ついた私を癒してくれているのは事実なのだ。
今はただ、それで十分だった。
するとその、不思議な現象が呼び込んだのか――
(ふふ……)
前触れもなく、笑みがこぼれる。
いつの間にか気持ちの方も、ずいぶんと和らいでいたから。
これも全ては、例の誰かが送ってくれた言葉のおかげだ。
存在そのものが消え去った後もなお、私のことを助けてくれるなんて、本当にすごい人である。
だからその瞬間、私は痛切に思った。
(ああ……そうか)
もし今ここで感じたことが、本当に事実なのだとしたら。
もしもその人が、今も私を励ましてくれているのなら。
私は、決して――
(……無駄にするわけにはいかない)
その人の気持ちを、無かったことにするわけにはいかない。
その人の努力を、無意味にしてしまうことは許されない。
そしてその目的を果たすため、絶対に死んではいけない、と感じたのだ。
だってもし、私が死ぬようなことがあれば、その気遣いもどこかへ消えてしまうから。
受け取る者のいない励ましなんて、何の価値も無いものだから。
存在意義を守り通したいのなら、絶対に生き延びなければならないのである。
もちろん、今の状況を考えれば、それは簡単な願いではない。
むしろ見果てぬ夢、と言い切れてしまうくらい、あまりにも先行きは不透明なのである。
結局はこのまま、全て無意味なものとして、消えていくだけという可能性もあるのだ……
(本当に、できるのかな……?)
……などと私が、迫る不安に負けそうになった、まさにその瞬間――
『アキラちゃんなら、きっと大丈夫だから。自信を持って』
『僕はそんなアキラちゃんを、いつまでも応援しているよ』
またしても、そんな声が聞こえてくる。
私を応援するという事以外、何ひとつ考えていないような、まっすぐな口調の励ましだ。
おかげで私は、また心に活力を取り戻すことができた。
後ろ向きな暗い感情は、もはや胸の内から完全に駆逐され、隅々まで探し回っても見つからない。
あるのはただ、明日を目指そう、というはっきりとした意志のみである。
ゆえに心の中で、その遠い呼びかけに応じ、真摯に感謝の気持ちを伝える。
(うん、ありがとう。私、頑張るからね)
決して届きはしない、とわかっていても。
何の意味も無い、と理解していても。
それでも、感謝せずにはいられなかったから。
その想いに導かれるまま、私は再度決意した。
もう迷う必要なんてどこにも無い、ただ自分の道を歩んでいこう、と。
忘れてしまった思い出も、わずかに残る記憶の欠片も、等しく抱えて進もう、と。
唯一、今の私が頼りとすべきもの――
『アキラちゃん! 頑張れ!』
胸の奥から響いてくる、この温かい声と共に……
以上をもちまして、『橘幹也・栗原真希編』の完結です。
次回からは、失われた想い人の影を追う、『美山涼・望月和歌編』を開始いたします。




