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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-06 『Flag-bearer』
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Epilogue-B

更新履歴 21/10/6 文章のレイアウト変更・表現の修正


 教室に響き渡る、クラスメイト達の明るい声。


 彼らが浮かべる、解放感に溢れた笑顔。


 それらがもたらす、穏やかで和やかな空気。



 その幸福に満ちた空間の中で、私――志藤明は、独り寂しさを噛み締めていた。

 胸の奥で静かに暴れる、心臓を引き裂かれるような痛みに耐え忍びながら。


 なぜなら眼前の光景が、はっきりと突きつけてくるから。

 私にはもう、彼らのように喜びを分かち合う相手などいないのだ、と。

 かつては間違いなく、すぐ側にいたはずなのに。

 そういう感覚が、絶えず心を責め苛むので、素直に勝利の余韻を味わえぬのだ。


 もちろん表向きは、何事も無かったかのように振る舞っているのだが。

 内側はいつも、拭えぬその痛みに悶え続けている。

 喪失の苦しみは、未だ癒えてなどいないのである。


 そんな私の脳裏に、ふと浮かんでくる、戦いの前に聞いた栗原さんの言葉――


『だって寂しいじゃん! 忘れられちゃった人が!』


『私は絶対やだ!

 ミッキーに忘れられちゃうなんてやだ!

 だからミッキーのことも忘れたくない!』


 それはさらに鋭く、私の胸を突き抉った。

 奥まで根こそぎ掘り返して、感情を丸ごと抜き取ってしまうのでは、と思うくらいに深く深く。

 気を張っていなければ、その痛みで大声を上げていたかもしれない。


 なぜならその言葉によって、逃れようもなく再認識させられたから。

 自分がそれまでずっと、自分の都合しか考えていなかったことや、失った人の想いを、一切気にもかけていなかったことを。


 だって、そうだろう。


 私は最初、喪失の痛みに怯えるあまり、その相手を忘れた方がいいと思ったのだ。

 記憶が消えてしまえばむしろ、自分は楽でいられると考えていたのだ。

 忘れられる側の気持ちには、何ら思いを巡らすことのないままに。


 無論それは、非常に自分本位な考え方である。

 大切な人の気持ちを完全に無視した、極めて薄情な行動である。

 そのことを確認するたび、罪悪感で身悶えせずにはいられない。

 本音を言えば、またあの保健室に戻って、ずっと心を閉ざしていたい……とさえ思う。


 だがそうして、絶えず激しい後悔に苛まれていても。

 その自責の念がもたらす苦しみに、心を千々に引き裂かれていても。

 それでも私は、固く決意していた。


(でも……逃げたりは、しない)


 そこから決して目を逸らすことなく、全てを受け入れよう、と。

 どれだけ辛かろうとも、背を向けずその痛みに耐え抜こう、と。

 そう、心を定めていたのである。


 だってもし、栗原さんが言ったように、忘れられることが辛いのなら。

 逆に覚えていることは、忘れられた人にとって嬉しいことのはずだから。

 ずっと忘れずにいることが、その人の救いになるはずだから。

 例えそれが、遠く微かな記憶であったとしても、確実に価値は存在するのだ。


 だからこそ、この痛みに耐えようと決めたのだ。

 そうすることで、この悲しみに意味を与えようと決めたのだ。

 消えてしまった誰かへの、自分にできる精一杯の手向けとして。

 今も胸を貫く、この和らがぬ痛みと引き換えに。


 それにもし、今また逃げたとしても、きっと苦しいのは変わらない。

 むしろ逃げた分だけ、罪悪感は大きくなることだろう。

 ならばせめて、せめて意義のある苦しみの方を選ぼう――そういう意志だけが、今の私を支えていた。


 ただそこでふと、そんな私の悲壮さを憂いたかのように――


(……え?)


 胸の奥から、ひどく優しげな、懐かしい声が蘇ってくる。


『それと、僕のことは気にしないで。

 アキラちゃんはいつも、アキラちゃん自身がやるべきだ、と思ったことだけ考えていて欲しい。

 たぶんそれが、一番みんなのためになると思うから』


 それはすぐさま、傷ついた私の心に染み渡り、和らがぬはずの痛みを和らげていく。

 まるで誰かに抱き締められて、優しく慰められたかのような気分だ。

 どうやら不意に、消えたはずの記憶が、ほんの一部だけど戻ってきたらしい。


 となるとおそらく、これは私が忘れてしまった、私の大切な人の言葉だろう。

 どんな状況でなのかは不明だが、こちらの負担を軽くするため、そう告げてくれたことがあったようだ。


 その印象としては、何と言うか……たいへん献身的、という雰囲気である。

 どうもこの言葉をかけてくれた人は、とてつもないお人好しだったらしい。

 まあ私みたいな、情緒不安定な人間の側にいてくれた相手なら、それで当たり前なのかもしれないが。


 とは言え当然、この解釈には何の証拠も無い。

 苦しみから逃れるため作り出した、自分だけの都合のいい妄想、という可能性も否定できないのだ。

 現在の私の精神状態を思えば、そういうことがあっても不思議はないだろう。


 しかしそれがわかっていても、全身をくまなく包み込む、この温かな感覚が消えることはない。

 その優しく献身的な誰かが、傷ついた私を癒してくれているのは事実なのだ。

 今はただ、それで十分だった。


 するとその、不思議な現象が呼び込んだのか――


(ふふ……)


 前触れもなく、笑みがこぼれる。

 いつの間にか気持ちの方も、ずいぶんと和らいでいたから。

 これも全ては、例の誰かが送ってくれた言葉のおかげだ。

 存在そのものが消え去った後もなお、私のことを助けてくれるなんて、本当にすごい人である。


 だからその瞬間、私は痛切に思った。


(ああ……そうか)


 もし今ここで感じたことが、本当に事実なのだとしたら。

 もしもその人が、今も私を励ましてくれているのなら。

 私は、決して――


(……無駄にするわけにはいかない)


 その人の気持ちを、無かったことにするわけにはいかない。

 その人の努力を、無意味にしてしまうことは許されない。

 そしてその目的を果たすため、絶対に死んではいけない、と感じたのだ。


 だってもし、私が死ぬようなことがあれば、その気遣いもどこかへ消えてしまうから。

 受け取る者のいない励ましなんて、何の価値も無いものだから。

 存在意義を守り通したいのなら、絶対に生き延びなければならないのである。


 もちろん、今の状況を考えれば、それは簡単な願いではない。

 むしろ見果てぬ夢、と言い切れてしまうくらい、あまりにも先行きは不透明なのである。

 結局はこのまま、全て無意味なものとして、消えていくだけという可能性もあるのだ……


(本当に、できるのかな……?)


 ……などと私が、迫る不安に負けそうになった、まさにその瞬間――


『アキラちゃんなら、きっと大丈夫だから。自信を持って』


『僕はそんなアキラちゃんを、いつまでも応援しているよ』


 またしても、そんな声が聞こえてくる。

 私を応援するという事以外、何ひとつ考えていないような、まっすぐな口調の励ましだ。


 おかげで私は、また心に活力を取り戻すことができた。

 後ろ向きな暗い感情は、もはや胸の内から完全に駆逐され、隅々まで探し回っても見つからない。

 あるのはただ、明日を目指そう、というはっきりとした意志のみである。


 ゆえに心の中で、その遠い呼びかけに応じ、真摯に感謝の気持ちを伝える。


(うん、ありがとう。私、頑張るからね)


 決して届きはしない、とわかっていても。

 何の意味も無い、と理解していても。

 それでも、感謝せずにはいられなかったから。


 その想いに導かれるまま、私は再度決意した。

 もう迷う必要なんてどこにも無い、ただ自分の道を歩んでいこう、と。

 忘れてしまった思い出も、わずかに残る記憶の欠片も、等しく抱えて進もう、と。

 唯一、今の私が頼りとすべきもの――


『アキラちゃん! 頑張れ!』



 胸の奥から響いてくる、この温かい声と共に……








 以上をもちまして、『橘幹也・栗原真希編』の完結です。

 次回からは、失われた想い人の影を追う、『美山涼・望月和歌編』を開始いたします。

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