Epilogue-A
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俺が学校の倉庫から調達してきた、長さが人間の身長ほどもある、一本の鉄パイプ。
それからクラス総出で取り外し、いつもの教室に持ち込んだ、白く巨大な空き教室のカーテン。
これが栗原提案の、『クラスの旗』を作るための材料だ。
それらを教室の中央に集めた俺達は、まずはカーテンの加工に着手、適度なサイズに裁断する。
正確に採寸した後、シワにならないよう注意しつつ、大型のハサミで切り裂いていったのだ。
次いで軸となる無骨な鉄パイプを、こちらも倉庫から調達済みの塗料で着色した。
さらにそれを乾燥させてから、先ほど加工したカーテンの端を巻き付け、そのまま互いの結合部を縫い合わせていく。
クラス全員で協力、各種作業を分担して、互いに助け合いながら。
そうして出来上がっていく物を、少し距離を置いて眺めつつ、橘幹也は思っていた。
(結構、ちゃんとした物ができるんだな)
あり合わせの材料で作ったわりに、出来は意外に良くなりそうだ、と。
この調子なら遠からず、十分な体裁が整うことだろう。
もちろんこんな物、一生懸命作ったところで、何かの役に立つわけではないのだが。
しかし今は、むしろこういう物が必要なのかもしれない、とも思う。
明日をも知れぬ暗い状況だからこそ、無意味に見える行動にも意義が生まれるはず、という話だ。
実際、それに取り組むクラスメイト達の表情は、総じてたいへんに明るい。
ここがゲームの中だと判明して以降、初めてとなる戦い以外の作業に、誰もが心踊らせているのだ。
まるで本当に、体育祭の準備でもしているかのようにさえ見えた。
そんな皆の様子が、俺にはっきりとした確信を抱かせる。
(ホント……大したもんだよ、お前は)
栗原真希はすごいやつだ、と。
俺なんかとは、比べものにならないくらい強い人間なのだ、と。
そう偽りなく純粋に、彼女の秘めた力に感心したのである。
なぜなら志藤や望月の話を聞く限り、こんなにも状況が好転したのは、全て栗原のおかげらしいから。
以前はずっと暗い雰囲気で、誰もが不安に苛まれ、チームワークも最悪だったというのに。
それをあいつが、なんと独力で激変させしまったようなのだ。
無論、その場にいなかった俺に、詳しい事情はわからないのだが。
それでも、精神的ショックで動けなかったはずの志藤が、今は作業の工程を皆へ的確に指示している。
どこか不安そうだった望月も、いつになくやる気を出して、地道な針仕事に励んでいた。
柳井はまだ本調子ではないようだが、それでも朝倉と共に、クラスの輪には戻っている。
要はあれだけ動揺していた皆が、すっかり気持ちを建て直し、ひとつにまとまっているわけだ。
そしてそんな連中が口を揃えて、『全ては栗原のおかげ』だ、と証言している。
事態の当事者達が皆――柳井はちょっとあれだが――あいつを恩人として称賛した、ということだ。
それも表情や声音に、まっすぐな感謝の気持ちをにじませながら。
ならばやはり、間違いはないのだろう。
停滞した空気を打破し、皆に希望をもたらしたのは、あの栗原真希なのだ。
俺も含めて、みんなあいつに救われたのである。
本当にすごいな、と舌を巻くより他はない。
加えてその認識により、俺は改めて痛感する。
(人を見る目がないよな、俺……)
彼女を弱い存在と考えていた自分は、完全に間違っていたのだ、と。
本当のあいつは、俺が考えているような人間ではなかったのだ、と。
眼前のクラスメイト達の姿から、それをはっきりと思い知らされたのである。
だってあいつは、俺には絶対にできない仕事を成し遂げた。
俺の想像もつかぬ方法で、難題を完璧に解決してしまったのだ。
それは彼女への評価が間違っていたことの、何より確かな証明であろう。
自らの鑑識眼の頼りなさを、今は心より恥じずにはいられない。
と言ってもまあ、あいつ自身が弱い、という理解自体は間違っていない。
精神的に不安定で、自信が無いからブレやすく、何かにつけて他人に頼りがち。
それは紛れもなく事実である、と断言しても差し支えはないのだ。
それでもあいつには、こうして別の誰かを強くできる能力が備わっている。
自分は弱くとも、他人の心に希望を与えることが可能なやつ、というわけだ。
それはこの状況において、何よりも尊ぶべき能力と言っていい。
だいたい考えてみれば、俺自身がそうではないか。
誰かを守るために戦うとか、その目的に自分の命すら懸けるとか、まったくもってらしくない。
そもそもそう思えたのもあいつのおかげ、ということなのだ。
俺は守っているつもりで、気持ち的にはむしろ引っ張られていたのである。
だと言うのに今までは、俺が何とかすればいいだの、危険だから戦いには出せぬなどと考えていた。
自分の方がずっと強く、たくさんのことができる人間だと信じていたから。
実に滑稽で、つまらぬ思い上がりと呼ぶしかない。
要するに、強さの有りようは人それぞれ、というわけだ。
俺には俺の、あいつにはあいつのできることがあり、それを各々全力で果たせばよい。
きっと、そういうことなのだろう。
するとその思索の果てに、俺はふと気づいた。
今のクラスメイト達の様子が、昔に見たあるものと、ひどく似通っているということに。
(そういや、こんな絵を見たことがあるな……)
それは、旗を掲げて味方を鼓舞する女神と、その後を追う熱気に満ちた民衆の絵だ。
タイトルは覚えていないが、確か非常に有名な作品だった気がする。
俺には、『栗原の呼びかけに皆が応える』という眼前の光景が、突如そいつと重なって見えたのである。
まあ詳しいことを言えば、たぶん絵の意味合いとは違うのだろうし、あいつは女神なんて柄でもないわけだが。
しかし雰囲気としては、まさしくぴったりというところである。
俺達には勝利の女神の加護がある、なんて言い方をしたっていいのかもしれない。
……などと俺は、少しばかり妙な物思いに耽っていたのだが。
そこに突如、そんな俺を正気に戻す、相も変わらぬ元気な声が聞こえてきた。
「できたーっ!」
言うまでもないことだが、栗原の上げた、作業の終了を喜ぶ声だ。
どうやら俺がとりとめのない考えを巡らしている内に、旗は無事に完成したらしい。
そこで早速、意識を皆の方へ戻すと――
(……うん、立派なもんだ)
綺麗に仕上がった旗と、それを取り囲むクラスメイト達の姿が目に入る。
その出来栄えは中々で、簡素だがしっかりと様になっていた。
あいつの目的は、ここに見事果たされた、ということである。
ただそれだけでは満足しなかったのか、次いで栗原は、自らの思いつきを早口で叫ぶ。
「ね、寄せ書きしようよ! 寄せ書き!
願い事書こう! 真っ白のままじゃ寂しいから!」
その提案に対して、『願い事を書くのは七夕じゃないのか』と、声なき突っ込み入れつつも――
(……ま、いいか)
一方で、考えてみれば悪いことでもないか、と納得もした。
結束の象徴という意味で言えば、むしろいいアイデアであろう。
そう独り、内心で頷く俺をよそに、栗原は真っ先に行動を開始する。
旗の上に屈み込み、どこかから調達していたらしいペンで、旗にでかでかと自分の願い事を書き始めたのだ。
「『みんなで仲良くいられますように』……と。
うん、できた!」
こいつらしいとしか言いようのない、実に純粋な願い事だった。
その日頃と変わらぬ無邪気な行動に、俺は思わず頬を緩めてしまう。
もちろん誰かに見られたら恥ずかしいので、すぐさま元の表情に戻したが。
そんなこちらに気づきもせず、栗原は素早く立ち上がって、書き手をバトンタッチしようとする。
「ええと、じゃあ次は……」
それに珍しく、積極的に応じたのは――
「よし、俺が行こう」
驚くべきことに、いかにもこういう思い出作りとかが苦手そうな、斉川だった。
彼は栗原からペンを受け取ると、何を書く気だと興味を持つ皆の前で、これまた彼らしい願いを書き込んだのである。
「『倉田に痛い目を見せてやれますように』……と。
まあこんなもんだろ」
道理で、らしくもなく積極的に行動するわけだ。
わざわざこの状況で、しかも皆の前で表明するようなことでもあるまいに。
それゆえ当然、そこには志藤から、あまりにも妥当な突っ込みが入る。
「あの、協力関係を築く予定では……?」
しかし斉川は、素知らぬ顔でそれを受け流し、そのまま志藤にペンを押し付けた。
「それはそれ、これはこれだ。はいよ、次」
そんな彼の振る舞いに、志藤はわずかな間、呆れたような表情を見せていたが。
しかしすぐ気持ちを切り替えたらしく、早速旗に向き合って、今までとは少し毛色の違う願い事を書き込んでいく。
『みんなで無事、この戦いから生還できますように』
ここに来て、いきなりシリアスに路線変更し、これから皆が歩むべき道を指し示したわけだ。
流れに乗る気が皆無な辺りは、まさしく志藤と言うか、相変わらず生真面目なやつである。
その印象の通り、志藤は作業を終えると同時に、手早く書き手を次に引き継いだ。
「では次の人に……ええと、じゃあ望月さん」
そのバトンを受け取ったのは、隣で思案顔をしていた望月だ。
彼女は同じ表情のまま、しばし考え込むような素振りを見せた後――
「うーん……よし」
俺が思ってもみなかった、さらに方向性の異なる願いを、丁寧な字で旗の上に記した。
『忘れてしまった人達のことを、ちゃんと思い出せますように』
その着眼点に意表を突かれて、俺はかなりの驚きを覚える。
そんなことは不可能だろう、と勝手に思い込んでいたから。
そう認識していたのは、他のみんなも同じだったのか、総じて俺と近い表情である。
ただ考えてみれば、確かに無理だと決まっているわけではない。
『記憶の完全な操作は不可能だ』と、倉田……先生も証言しているのだから。
諦めるにはまだ早い、というところか。
そこに気づく辺り、何だかひどく望月らしいな、という印象があった。
そう感心する俺の前で、彼女は満足げな表情をして作業を終え、次の相手を探す。
そしてすぐに美山の姿を見つけ、ペンを渡そうとしたのだが――
「はい、スズ」
その当人からは、あっさり辞退されてしまった。
「……ごめん、まだちょっと思いつかなくて。
私は後にするよ」
どうやら彼女、まだ願い事を決められていないらしい。
まあ栗原が急に言い出した話だし、ある意味そちらの方が自然な反応だろう。
それを察したのか、望月はすぐさま手渡す相手を変更する。
「そっか……じゃあ、ええと、柳井君は?」
しかし結局、変わらず調子の上がらない柳井に、すげなく断られることとなった。
「……俺も後でいい」
結果として彼女は、ペンを持ったまま、戸惑った様子で立ち尽くす羽目になる。
そのせいで再び、ほんの少しだが、場の空気が停滞気味となった。
するとそれを見かねたのか、軽く慌てた様子の朝倉が、そこに割って入ってくる。
「あ……! じゃあその、次は私で!」
そして素早くペンを受け取ると、猛然とそれを動かし、一気に自らの願い事を書き込んでいった。
『もう敵が襲ってきませんように
変なトラブルも起きませんように
そもそも二度と危ない目に遭いませんように』
その瞬間、『さすがにそれは無理だよな』という空気が、場に漂う。
あまりに欲張りなその願いに、少なからず内心で苦笑いしたわけだ。
しかしそれでも、誰一人として、彼女の願いを否定する者はいない。
きっとみんな、気持ちは同じだったからだろう。
やはり平和と安全は、何物にも代え難く魅力的なのである。
そんな風にクラス一同、考えている事はバラバラながらも、全員でひとつの目的に進んでいたのだが。
ただ不意に俺は、その中に一人だけ、今の流れと距離を置く者がいることに気づいた。
(……ん? ……絡む気は無いのかな、あいつ)
なんと意外なことに、春日井真那である。
彼女はなぜか、妙に暗いオーラを纏って、少し離れた場所からみんなを見ていたのだ。
しかもその表情は、まるで良く出来た氷の彫像のように、固く冷え切っている。
そう言えばあいつ、旗の制作への関わり方は、かなり消極的だった。
またその後、軽くふざけた斉川に対し、いつものように突っ込むこともなかった。
詳しい理由は不明だが、どこか彼女らしくない、というわけだ。
そんな春日井の方を、斉川もまた、事ある毎にチラチラと見ている。
おそらく様子が普段と違うので、あいつなりに心配しているのだろう。
なんやかんやで仲はいい、ということか。
するとその感想をきっかけに、俺はふと彼らについての、とある仮説を思いつく。
(あれ? 待てよ。ひょっとして……)
それはもしや、俺と栗原がそうだったように、こいつらも元々知り合いだったのではないか……という推測だ。
二人の関係性を見ていて、何となくそんな印象を持ったのである。
このクラスには他にも、似た境遇のやつがいる雰囲気だし、十分あり得る話だろう。
もちろんそのこと自体は、特別重要な話でもないのだが。
しかし仮に事実だとすると、ちょっと気になる問題が持ち上がってきてしまう。
それは春日井が、倉田……先生とも知り合いだった可能性が出てくるのだ。
つまり彼女はずっと、斉川と同じ立場に置かれていた、ということである。
知り合いの教師が、悪魔のように振る舞うところを、目の前で見せつけられていたわけだ。
だとしたらあいつは、いったいどんな心境で、それに接していたのだろうか……
そうして俺は、降って湧いた思いつきに、しばし心を囚われていたのだが。
そこへふと、無邪気な栗原の呼びかけが届いた。
「はい、次はミッキーの番」
その声で我に返り、そちらへ視線を向けると、笑顔でペンを差し出す彼女と目が合う。
どうやら寄せ書きが一巡し、俺に順番が回ってきたらしい。
なのですぐさま、相槌を打ちつつペンを受け取ってから、思考を自分の願い事の方に切り替えた。
「ん? ああ、そうか。
……じゃあ、どうするかな」
そしてわずかな思索の後、『同じような願い事だけどな』と少し迷いつつも、結局は思いついたものをそのまま書き記す。
『月に行くまで絶対に死なない』
そのせいで、願い事と言うより決意表明になってしまったが、まあ構うまい。
何よりもこれこそが、今の俺にとって、一番大切にすべきことなのだから。
他人のことなど気にせず、自分の気持ちに素直になれば良いのだ。
しかしそう自身の選択に満足し、ペンを栗原に返そうとした瞬間、不意に彼女が意外な言葉を投げかけてきた。
顔にも声音にも、隠しきれぬたっぷりの不安をにじませながら。
「……ねえ、ミッキー。
これってさ、もう無理はしないってこと?
ここから先は、その……ちゃんと生きるために頑張る、ってことなの?」
俺はその呼びかけに、心底驚かされる。
だってそんな質問、こちらの内心を理解していなければ、決して出てはこないはずだから。
どうやらこいつ、俺に生きる意志が無いのを見抜いていたらしい。
おそらく俺の行動や言動から、彼女なりにそれを直感、ずっと憂いていたのだろう。
表に出しているつもりは無かったが、すっかりお見通しだったようだ。
やはり何かにつけて、俺の想像を超えてくるやつである。
無論、それが真実であるのならば、このまま放置しておくわけにはいかない。
なのですかさず、俺は彼女の不安を取り除くため、力強い答えを返した。
「ああ、その通り。ちゃんと頑張る、ってことだ」
すると栗原は、即座に笑顔を浮かべて、嬉しそうな声でそれに応じた後――
「うん! だよね!」
すっかり元気を取り戻した様子で、みんなの輪の中に戻っていく。
俺はその後ろ姿に向けて、もう一度静かに語りかけた。
「……お前はホントに、大したやつだよ」
そして独り、決意を新たにする。
(ああ、そうだ。
確かに俺の命には、もう終わりが見えているのかもしれないが――)
例え自身の死が、どう足掻こうと決して逃れられぬものだとしても。
平和な未来なんてものは、永遠に自分の元へは訪れないのだとしても。
もはやこの身が、半分死んだに等しい状態なのだとしても――
(それでも、決して諦めたりはしない)
だからと言って、もう以前のように捨て鉢になったりはしない。
覚悟と自棄を履き違えて、無謀な行動をとったりはしない。
これから何があろうとも、生き抜く意志は失わぬ、と想いを定めたのである。
なぜなら――
(だって俺は、まだ生きているから)
俺にはまだ、本当の死が訪れたわけではないのだから。
こんな死にかけの体でも、できることはたくさん残っているから。
ならば途中で投げ出したりせず、最後まで努力すべきだろう。
今しがた宣言したばかりの、大切な誓いを守り抜くには、そういう覚悟こそ必要なのだ。
ゆえに改めて、固く心に誓う。
(だからこれからも、自分と仲間を生かすため、俺は力の限り戦い続ける)
この命続く限り、己の全てを懸けて戦おう、と。
本当に体が朽ち果て、魂が灰になるまで、ひたすらに前進していこう、と。
だってそれこそ、他のどんな方法よりも――
(ま……そうしないと、またあいつが大騒ぎするからな)
俺の大切な人が、一番長く笑顔でいられる方法なのだから……




